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エンドレスおかわりとエンドレス障害物ハイハイマラソンの日々

 ある日の土曜日の夕方。この日は夫が泊まり勤務で、息子と2人で過ごしていた。
 夕食は前日に夫が作ってくれた夏野菜たっぷり手羽元カレーにしよう。ちなみに息子は朝ごはんにも昼ごはんにもカレーを希望してもりもり食べていたから、多分鍋の半分以上のカレーが彼の胃の中におさまっている。
 月齢2歳半、体重11キロほどの小柄さんにも関わらず、息子は私よりも多くのカレーを食べ、その上でカレーに入っていたかぼちゃとにんじん、それに鶏手羽元のおかわりを要求した。あっという間に野菜を平らげ、大好きな手羽元を右手に持ち、満足げにがぶりとかぶりつく。手をカレーまみれにして、骨をしゃぶりながら身の部分を綺麗に食べつくしたかと思うと、カレーのお皿を私にずいっと差し出し、再び「にんじんさんとおいもさんとおにく」と言った。
 2回目のおかわりまで想定していたから、ある程度の野菜は少しずつ残していたけれど、あいにく彼のお気に入りの手羽元は数に限りがあるためもう売り切れだ。残ったカレーをすべて入れた上で、おにくもうないんだよ~と言いながらお皿を出すものの、おにく!おにくがいいの!と納得しそうにない。こういうとき、息子に言葉はあまり通用しない。キッチンからカレーのルーがこびりついた空っぽの大鍋を持ってきて、ほら、全部食べちゃったよ、またとーちゃんに作ってもらおうね、と言うと、ようやく納得したようだった。
 カレーをたらふく食べた後、息子は「いいものちょーだい!」とデザートを要求した。私がやれやれ、と腰を上げて先日もらった大きなスイカを切りに再びキッチンに行くと、息子は自分でハイチェアを降りて様子を見に来た。スイカの種を丁寧に取り、息子に渡す。席に戻る前に齧り始め、赤い部分が完全になくなって薄緑の皮の部分が残るのみになるまで食べつくした。どう考えても最後の方は水っぽくて青臭いと思うけれど、それは私の思い込みなのだろうか。
 スイカはとてもおいしいのだけれど、いかんせん、大きすぎるため冷蔵庫を占拠してしまい持て余しているのも事実である。そんな親の心が見え透いているのか、息子はまたおかわりを要求した。食べてもらえるのはありがたいが、最近こんな感じでスイカを大量に摂取しているので息子のお腹は明らかに少し冷えている。あんまり食べさせたらあかんよな…と思いつつ、小さいスイカを出すと再び息子のエンドレス「もうちょっと!!!」が始まってしまう。なるべく皮の面積を小さくして、細長ーいすいかを差し出すことで納得してもらった。

 息子は今、いわゆる「イヤイヤ期」真っ只中だ。気に入らないと、「~したらだめだったのーーー!!」「かーちゃんやだだったーーーー!!!」の阿鼻叫喚。夏場で家中の窓を開け放っていることもあり、我が家のドシン、バタン、ギャーギャーはマンション中にこだましているのではないかと思う。多分している。
 そして、夕食を済ませてからがまさにこのドシン、バタン、ギャーギャーの正念場である。とにかくお風呂に入るよう誘うのが難しく、毎日あの手この手を使っている。最近買った彼のお気に入りの砂場セットをお風呂で使えるようにして、それをエサに釣れた日もあったけれど、2日間くらいでその手は通じなくなった。
 いつもなら夫と協力して乗り越えているこの山場を、今日は私1人で乗り切らねば。さてどうやって誘おうかな。とりあえず食器の片付けをしつつ、私はふう、と気合いを入れ直した。

 お風呂に入ろうか、という声掛けだとやーだーよー!!が待っているので、息子自身に考えてもらうことにした。

「何したらお風呂入る?」
「たんとんたんとんしたら!!」

 これは息子が保育園で毎日のように行なっている身体遊びのひとつ。ピアノのリズムに合わせてハイハイで広い場所をぐるぐる回るというただそれだけのものである。息子が「たんとん、たんとん、たたたたとーん」と歌いながらハイハイするので、私は何となくその音階に合わせておもちゃのピアノを弾く役を担っている。しかし、これは夫が息子と一緒にハイハイしてくれる場合に限った話。参加者が私しかいない場合、否応なしに私はピアノの音階を歌いながらハイハイする二役を担わねばならない。
「かーちゃんここ!ぐるぐるするの!」
息子がスタート地点に定めたのは食卓の椅子のすぐ近くだった。聞くと、そこからスタートしてテーブルの下をくぐり、テーブル沿いに行儀よく収まっていた別の椅子を斜めに設置して、トンネルに見立てたその椅子の下をくぐれ、ということらしい。
 たんとん、たんとん、たたたたとーん、を3回ほど歌えば一周できるくらいの距離だ。けれど、大人の体格だとテーブルをくぐる時は身体を伸ばしてほふく前進し、椅子をくぐる時は片方の肩を上げて身体を傾け、肩に椅子を引っかけながら何とか脱出せねばならない。

 小さな身体を少しくねらせながら難なくコースを巡る息子に対し、母親はうんしょ、よいしょ、あっつ!なんて言いながら床を這う。

 たんとん、たんとん、たたたたとーん
周るたびにご飯粒や食べこぼしや抜けた髪の毛を見つける。かき集めるも捨てに行けない。5周くらいすると、私はもう汗だくだった。

じゃああと3回ね!
うん!たんとんたんとんしたらおふろはいる!
自分で言っておきながら、そもそも「1回」って何だろう。とりあえず2周で1回分としてみたが、それはあくまで母のルールである。

 3回=6周して、じゃあお風呂入るよ、と声をかける。
もーちょっと!!!!もーちょっとたんとんたんとんすーるーのー!!
息子に母のルールは通じないようだ。嗚呼、お風呂が遠いぜ。
こうなったら、息子が飽きるまでやってやろうじゃないか。
無駄な負けず嫌い(?)を発動し、ただひたすらに障害物ハイハイマラソンを駆け抜けた。

たんとんたんとんたたたたとーん
たんとんたんとんたたたたとーん

 トータルして30回ほどは歌っただろうか。何周したかもうわからなくなる頃、不意に息子と目が合った。
 私は立ち上がった。

 おーしーまい!
 ありがーとーう!!!

 息子の声が重なり、満面の笑みでお辞儀をしてくれた。どうやら終わったらしい。

 さ、お風呂入るで!!
息子は洗面所に駆けて行き、自分で服を脱いだ。
私は洗面所のドアを閉めた。ふぅ。
 すると、全裸の息子がニヤリと笑った。すぐさまドアを開け放ち、すっぽんぽんのまま洗面所を飛び出す。待て。待ってくれ…。。

 どうやら、今日はまだまだ終わらないようだ。怒りやイライラはもうないが、疲労感が全身を襲ってくる。
 障害物ハイハイマラソン、第2ラウンドの幕開けである。私は再びテーブルや椅子に身体をぶつけながら、汗だくで息子を追い回す。いつかこんな日を懐かしく思い出すのかな、そうだといいな、なんて、遠い目をしながら。

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