見出し画像

2020年年末瀬戸内ぐるっと旅行(0日目・1日目/東京→津山→倉敷→高松)

はじめに

この旅の記録は、筆者が主に公共交通機関を駆使して自分の趣味である鉄道要素のある場所に訪問したり、列車を乗りつぶしたり、地元のグルメを探訪したり、各地の産業遺産や文化的遺産、戦争遺産といったものを中心に巡っていくというコンセプトのもとに自分の好きなように出向いた旅行を記録したものである。もしあなたが鉄道要素のある場所、産業遺産文化遺産が好きで訪問してみたいと思ったならば、少しでもこのエントリが参考になっていれば幸いである。

初手寝台特急

今回の旅行は0日目が出現しているが、1日目としてカウントするには旅行としての活動時間が3時間もないからにほかならない。ただ列車に乗って移動するだけだからだ。何を隠そう、今回の旅行はサンライズ瀬戸に乗って岡山で朝からたっぷり活動開始したいがためにこうしたのだ。

中高は鉄道研究会に所属していたもので何度か乗っていた、やはり寝台特急はワクワクする。お財布には決して優しくないが。
当然2階席のシングルだよな

シングルの2階の個室を陣取った、こちらの席は対向の列車とたくさんすれ違うので””てっちゃん””的にはおすすめだ。とにかく寝るということを第一に考えるならば、YouTuberのスーツ氏がおすすめしているように、ジョイント音が少なく走行音も静かなJR東日本の区間のうちにうとうとして速攻で寝るということをおすすめしておきたいが、私は車窓から行き交う列車と夜景をじっくり見ながら富士を過ぎるあたりまで夜更かしをすることを提案したい。晩酌しながら寝台個室で物思いに耽るのはなかなかこの歳になると沁みるものがある。高校生のときにはできなかった体験だ。
なお、熱海駅を出発すると、すぐに丹那トンネルというかなり長いトンネルに突入するのだが、この区間だけはブラインドを下げることを強く推奨したい。なぜなら、ここで開けっ放しにしていると本当にポリゴンショックになりそうになるからだ。流れていく蛍光灯の光がチカチカ点滅の如く作用して頭がじんじんしてきて大変よろしくない。この区間だけは夜更かしをする場合でもブラインドを下げておこう。

岡山駅、四国方面の列車が発着するホームに到着。

あんまりよく眠れなかった。寝ぼけた状態でなんとなくジョイント音的にここ大阪駅かなと思ったらビンゴだったし、そうこうして寝ぼけた状態でなんだか姫路駅到着アナウンスがはっきり聞こえてしまったので、ちょっと早起きして5:40くらいに電灯を点けた。冬至だからか、外は真っ暗だ。おまけに西日本だから朝は遅い。
そうこうしているうちに岡山駅に到着した。寒い、キンキンに冷えてる。高校生の頃3月中旬くらいに岡山に来たことがあるが、その時も朝はすごく冷え込んでいた記憶がある。岡山の冬の朝は案外寒い。あんまりナメてかからないほうがいい。

いざ津山へ

今回の第一の目的地は、津山線を乗り継いだ先の”””岡山の県北”””の都市、津山市である。昔懐かしいキハ47に揺られて一路津山を目指す。

6時を過ぎているがまだまだ太陽光がない。
やっぱこういうボックス席だよな、もう岡山と富山くらいにしか残っていない


列車に揺られることしばらく、津山に着いた。

蔵の壁風の地下通路、どことなく時代を感じる作りだ。

寒い、太陽も登ってきていたがやはり寒い。あの変態糞土方もこんなに寒かったら県北の川の土手の下で盛り合ってる場合ではないというくらいに冷え込んでいる。それにしても、岡山の県北の川の土手の下っていうのは、吉井川のことなんだろうか、私、気になります。

空いている店がなかったのでホテルα-1に付属しているファミレスでゆっくり行きたい場所の開館時間を待った。
その行きたい場所とは、旧津山機関区である。

津山まなびの鉄道館

旧津山機関区の転車台に中国地方の非電化路線で活躍した気動車類を中心に保存している。

やっと来れました。津山まなびの鉄道館。ここでは、中国地方で活躍していた気動車や大糸北線で活躍していた気動車、かつて交通科学博物館で展示されていたD51といった少しニッチだけど我が国の鉄道史を語る上ではなかなか貴重な車両を集めた博物館となっている。

亜幹線の非電化路線の旅客・貨物輸送を担うために開発されたDF50、山陰本線でも活躍したが、紀勢線や予讃線での活躍の方がイメージ強いかな
大糸北線で割りと最近まで活躍していたキハ52である。今は末端の路線で採用されているキハ120が単行で動く瀕死の路線になってしまった…
D51 2号機、その昔、交通科学博物館にあった車両だ
これが交通科学博物館で展示されていた当時のD51 2号機(2011年12月撮影)、クリスマスシーズン直前でリースの飾りが付いていた。多くが京都鉄道博物館に送られていった中でこの車両は津山に転送された。
国鉄の急行型気動車と言えばキハ58だろう、北海道を除き全国の非電化路線の急行列車はだいたいこの車両だった、晩年は塗装変更されたり普通列車として運用されたりジョイフルトレインとして転用されたりしていた。原型で原塗装でこうして保存されている車両は意外と少ない。

津山まなびの鉄道館は、実車に乗ることはできないものの、外から眺めるだけでもなかなか味のある車両が置かれている。それだけではなく、中国山地の鉄道を中心にちょっとした展示もされている。

タブレット閉塞器、単線区間では閉塞と呼ばれる一定の駅間に一本しか列車を進入させることができない。それを管理するために用いられた機器がこれである。その昔、神田の須田町にあった交通博物館では、同型のマシンに触れてチーンって音鳴らせたりできたんだよね。
115系の幕もあるけど、気動車用、なんなら客車時代にあったようなサボが残っている。こういうのでいいんだよこういうので
津山駅と津山市街中心部を再現したNゲージのジオラマもある。

というわけで1日目の鉄分の摂取は大方満足である。戻りの列車とこの後の行程上、津山城のある吉井川を越えた先の市街地中心部には立ち寄っている時間はなかったので、それはまた今度来る言い訳にしておこうと思う。

帰りの列車は快速列車、キハ40が充当されていた。もう数も減ってきているし今のうちにしっかり乗っておきたい。

岡山の鉄道は懐かしい

小見出しの通り、岡山県内を走行する在来線の顔ぶれ、30年前くらいから大きく変化していない部分が少なくない。色こそ真っ黄色で末期色とまで言わしめたものの115系は未だに現役であるし、2022年現在国鉄特急型としては最後の活躍をして、とうとう引退が決定した381系電車もやくも号としてリニューアルを経たとはいえやはり昔ながらの特急列車の面影が残っている。キハ47とキハ40については言わずもがなだ。

実家のような安心感
国鉄特急のマークが簡易版になっているのも、多客時に増結を容易にするための工夫である。

雨の中倉敷散策

天気はぐずつき、とうとう雨が降り出してしまった。屋外での散策を予定していたので萎えた。
とりあえず仕方がないのでまずは腹ごしらえから、倉敷名物といえば、おうどんもそうなのだが、とりあえず地元の名店のとんかつかっぱでIDL(異常独身男性ランチ)をしようじゃないか。

とんかつだがドミグラスソースなのだ。岡山名物ドミカツ丼を思い出す味だ。

アーケードのある商店街の中にあるのであまり濡れずにここまで来れたのは幸いだった。
腹ごしらえを終えて、面倒な折りたたみ傘を持っていざ街なか散策である。

インフォメーションセンターの入っている建物、石橋と堀の部分と垂れた柳が映える。これが晴れていたらどれほどフォトジェニックだったか
こういうなんともない路地が景色になる。

ごくごく普通の路地も石畳でいい感じの建物に囲まれた、美観地区というのはそういうものだ。ゆっくり歩いてみればいいだろう。ただ、堀のところは特に柵が無いので足を踏み外さないように気をつけよう。

少しばかりの産業遺産要素

倉敷美観地区を少し進んだところに、倉敷アイビースクエアという場所がある。もともとここは倉敷紡績所があった場所で、工場跡を活用してクラボウの記念館や宿泊施設、レストランとして活用されている。今回は、クラボウ記念館に立ち寄ってみることとした。

クラボウは、今でこそ大阪に本社を置き、繊維事業のみならず化成品・食品事業まで手掛けるようになった我が国の大企業の一つへと成長を遂げたが、名前の通り紡績事業からその歴史は始まった。12年以上前の中学受験の社会科で倉敷を取り上げたときは、確か水島工業地帯というところで重工業が発達しているという話を覚えておけという指導を受けたのだが、明治時代からそんな産業があったわけではない。とにかく明治・大正期は軽工業、それも製糸・紡績で外貨を稼ぎまくれという時代だ。
写真をあまり撮ってはいなかったが、倉敷に紡績所を建設するために尽力した者、当時の借用書や使われていた機械といった展示がされている。我が国の紡績業の歴史の一端を垣間見ることができる。

かつての工場を再利用する形でホテルにしたり記念館にしたり、こういう古いものを壊さずに残すのは感心だ。あまりに蔦蒸していて一瞬廃墟かと見紛えたが

最後は雨の中倉敷市の美観地区の路地をそのまま道なりに進んで駅に向かう。なんでもない路地が写真として映えてしまう。

なんでもない路地なのに、妙に小洒落ている。

倉敷の発展と大原家の関わりは極めて重要な話であって、あの大原美術館もその歴史を伝える美術館であって、大原家の本邸などまだまだ見たいものがあったが、これでは予定の時間までに高松に行けずに食べたいものが食べられなくなってしまうので断念、また次に訪問する理由にしておこう。

うどん屋はしごすっべ

快速マリンライナー

朝昼と2回も通った岡山駅にもう一度戻ってきて、今度は四国を目指す。いや18きっぷ解禁されてて良かったよね、あのきっぷじゃないとこんな冗長でめちゃくちゃ動くちゃんするムーブなんてできないんだわ。
そのまま快速マリンライナーに乗り込んで、いよいよ香川県に上陸する。

坂出の工業地帯が見えてきた。
さぬきうどん駅

そうこうしているうちに高松駅に着いた。中学1年の時に学校の部活で訪問した時以来である。実に10年ぶりだっただろうか。もう日が暮れそうであるが、まだまだ高松でやるべきアクティビティが残っている。もちろんうどんちゃんをすするTVしなきゃならない。

元京急

高松築港駅から琴電に乗車、長尾線の花園駅を目指す。もう5時を過ぎている。行きたいうどん屋は6時に閉まってしまうのだ。

はぁ、うっっっっっめ

花園駅から歩いて6分くらいのところに、その店はある。手打十段うどんバカ一代という店だ。香川県 うどん おすすめ とでも検索すれば必ずどこかしらのサイトで取り上げられているくらいには有名で美味い店だ。店のおすすめは釜バターうどんらしいが、やはりせっかくなので普通の出汁とコシマシマシのうどんで香川県を啜りたいと思う。
はぁ…うっっめ。これだよこれ、この出汁とコシは香川県じゃないと食えないんだよ、それも東京でこのうどん出すなら普通に600円700円くらい飛ぶんだけどこっちは400円ちょっとでうまいのをすすれる。おまけにこの店にはお土産うどんも売っていて、箱に店特製の出汁とうどんを入れた自宅でもバカ一代を楽しめるキットを売っている。自分で楽しむ場合でも贈答用としても絶対に喜ばれる一品なので、訪問した際には購入してみることを強く薦めておきたい。

6時前に少し早めの夕飯を済まして一旦ホテルにチェックイン。朝から活動していたし昨夜は寝台特急にいたのだから風呂にも長い間入っていないわけだ、とりあえずひとっ風呂してホテルでゆっくりしていた。だが、これで良いのだろうか。悔いなくうどんを啜っておきたい。

夜に開いているうどん屋や高松では貴重だ

何故か香川のうどん屋は朝6時から開いているところもざらにあるが、主に日中時間帯にしか営業しない店の方が多い。夜にやっている店は実はガクッと減る。夜でも普通に飲食店の開いている東京の感覚で来ると露頭に迷う。

カレーうどん、ちゃんとした香川のやつは死ぬほど美味いんだな

鶴丸といううどん屋の名物はカレーうどん、この店は夜にならないと開かず、うどんの他におでんも提供しているが、俺はうどんを啜りに来たんだ。
友人の勧めに従ってカレーうどんを注文をする。うまい、うますぎる。はしごして正解だった。カレーうどん、出汁とカレーがちゃんと混ざってコシがしっかりしているだけどこんなにバカうまくなるものなんだなと震えた、こんなにカレーうどんが美味い食い物だと思わなかった。関東では絶対に食べられないカレーうどんがここにはある。悪いことは言わない、糖尿病になってもデブになってもはしごするべきうどん屋だこれは。

風呂に入ってホテルでゆっくりするムーブだったし靴は雨と長い間歩いたせいで死ぬほどムレムレで正直履きたくなかったがこれは足を運んで大正解だった。

そういうわけで、0・1日目の行程はこれにて終了。高松中央公園近くのドーミーインでゆっくりして翌日に備えることとした。(2日目に続く)

おまけ: 鉄道の写真とかちょっとした駅舎の写真も

本編で貼らなかったけど撮りためた鉄道写真を

改装前の車内

外は末期色だが、車内に入ってみたら登場当時のままの古い内装で正直嬉しかった、引退前にこれだけは乗っておきたかった。倉敷から岡山に戻る時に乗った普通列車にて撮影。

8600系

JR四国の新しい電車特急だ、しおかぜに使用されていた振り子式の車両ももう25年くらいは動いていることになるんだよな。そりゃそろそろ新車入れないと。

いしづち

こちらが高松駅で撮影した、いしづち号、しおかぜ号と併結して松山に向かう車両、上の写真の車両の一代前の車両。

だいぶ遠くまで行くようだ

高徳線ホームからは阿南行きの普通列車が出るようだ。徳島を越えて牟岐線の阿南まで行くらしい。最近末端の阿佐海岸鉄道の区間と合わせて阿波海南以南がDMV化されてしまった。

元国鉄121系

顔が207系っぽくて側面と車内が近郊型電車っぽい不思議なビジュアル、明日乗る。

顔つきの駅舎
高松城跡に食い込むような高松築港駅
瓦町駅、高松の中心部はJR高松駅よりもこちらだというのがわかる


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?