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2020年夏・東北遠征の記録(2日目/飯坂温泉→野蒜→仙台)

前日の行程についてはこちらからどうぞ、まだお読みでない場合は。
https://note.com/uttkw/n/nae0b0e6b0a83

2日目の行程

仙台をちょっと覗いて被災地の駅を見に行く

前日の疲れをしっかりと温泉で流して、朝6時台に起きる。オタクの休日倶楽部の朝は早い。
朝8時少し前の列車で仙台に向かうために少し早く朝食なしで温泉宿を出発した。

飯坂温泉駅の改札、レトロな案内表示に加えて首都圏ではまず見なくなった昔ながらの改札口

福島交通飯坂線の駅構内の表示はちょっとレトロである、20年くらい前の都心であればまだまだ現役だったであろう雰囲気の少し昭和寄りの表示器が残っていたりする。このような風情が令和の今でも残っているのがなんかいい。

こういうの昔のJR線の駅にあったよね、○○駅をでましたみたいな

列車の到着を知らせる案内表示器も一昔前のJRになりたての頃の国鉄時代から多分使っていたであろうものを彷彿とさせるものだった。一昔前は確か西八王子駅とか西国分寺駅あたりにこういう感じのが残っていた気がする。

さて、列車で福島駅まで戻ってまいりまして、7:47発の普通列車仙台行きに乗車する。東福島駅のあたりまでは学生さんが利用していてなかなか混んでいたものの、そこを過ぎると乗客は白石駅到着まで空いていた。空は晩夏の最後の輝きを放つかのようにまだまだ夏っぽい全力の雰囲気だったがどことなく寂しい印象を受けた。

多分、藤田駅-貝田駅の国見峠の車窓

国見峠のあたりの車窓は、あたり一面に広がる田園とちょっとした林と家屋が見える。坂を登る中で高いところからこれらを一望できるような車窓になっている、太平洋側の座席を取っていれば上のような景色を望むことができるだろう。最近(2022年現在)とある著名な鉄道系YouTuberが自分の本名を公開しますというので少し話題になったエリアでもあるようだ。

そうこうしているうちに仙台駅へ到着してしまった。白石駅から徐々に列車は混雑してきた、常磐線との合流駅である岩沼駅から先は本格的に仙台近郊区間という雰囲気を呈していた。

駅構内の天井と中央口の改札も立派である
堂々の面構え、そして広大なペデストリアンデッキを抱えている仙台駅

仙台駅、やはり降りたらまずはこれを写真に収めたかったのである。新幹線がやってきたときに合わせて現在の立派な駅舎に。ここから伸びるペデストリアンデッキは恐らく日本最大級と言って差し支えないだろう。さすが、東北地方で唯一100万人の人口を抱える都市の玄関口である。
ここから仙台市内観光といきたいところだが、ひとまずそれは翌日に実施するとして、東日本大震災で壊滅的なダメージを受けた野蒜駅の遺構を見に行きたいと思う。

ところが筆者、ここで便意を催して改札外のトイレに並んでいたところ、乗りたかった石巻行きの仙石線を一本逃してしまう。うんこにしてやられたり、ひとまず高城町行きの仙石線普通列車で終点まで行ってから仙石東北ラインの列車に乗り換えて行くことにした。

首都圏ではすっかり引退(2022年現在)してしまった205系、まだまだ仙台では現役である。八高線とか南武線なんかもこんな顔のやつが走っていた。懐かしい。

仙石線の車内はおなじみの205系、主要路線から駆逐されてからは東京メガループのようなサブ的な路線だがそこそこ利用者の多い路線を中心に投入されていたが、それもJR世代の新型車両に次々置換されて引退してしまった。往年の205系の首都圏での活躍を思い出させてくれるような座席のふかふか具合とモーター音である。しかし、決定的に違うところがある。

忘れてはならない悲劇

仙石線は、筆者が中1の終わりの春に起こった東日本大震災で壊滅的な被害を受けていた。列車が津波でまるまる流されて駅も線路も尽く破壊された区間もあった。今でこそ内陸部分に駅と線路が移転した区間こそあれどもまだまだ海沿いを走る区間は残っている。そういうわけで、乗客に対して津波警報が発令された場合に、車外にやむを得ず避難しなければならない場合の退避方法まで丁寧に図解されている。あの時の悲劇を繰り返しまいとする努力に脱帽である。


そうこうしているうちに移転後の野蒜駅に到着した。駅を降りても特に住宅や商店があるわけでもなく、少し通路をくぐって階段を降りた先にある低地エリアにぽつぽつと住宅が建っているにすぎないようだ。建築されてから10年も経っていないような新しいものが目立ち、復興に向けて一歩一歩向かっているとはいえ、震災の爪痕は馬鹿にならないのだなと改めて実感させられた。

野蒜駅を出て旧野蒜駅のあった住宅地に向かうにはこの通路を通ることになる。これは現在の野蒜駅のあるエリアを開発する際に土砂の運搬に使われていたベルトコンベアを転用したものらしい。
旧野蒜駅方面を向いてみるとまだまだ新しい家がぽつぽつと建っている。この先の記念館で震災前の建物の様子を移した被災当時の写真と較べて見てみていただきたい。
これが旧野蒜駅、津波がここまで来ましたという印が生々しい。
建物の中に入ってみると津波の高さの絶望感がより伝わってくるものである。
一見すると普通の廃駅のホームに見えなくもないが・・・
ホームにあった電灯らしき柱が根元から倒れているし、ホーム端の縁石も剥離している。
よく見ると線路が歪んでいるのがおわかりいただけるだろうか。
津波で破壊された券売機。画面がひしゃげている。

館内には被災当時の写真や、震災後に実施されたデンマーク王室と東松島市との交流についての展示がある。震災当時の写真はなかなかに衝撃的なものであるが、ぜひとも一度見ていって欲しい。ここにどういう生活がかつてあったのかの片鱗を感じることができるはずだ。

昼飯

さて、一旦仙台市に戻って昼食をいただくことにした。仙台名物といえばまずずんだ餅だの牛タンだのが思いつくところだが、そこまで全国的知名度はないものの地元ではそこそこ有名な感じのいわゆるB級グルメというやつだろうか、そういうのを食べようと思い立った。そういうわけで、この日の昼飯は麻婆麺を秦陽楼というお店でいただくこととした。

町中華にありがちな感じの麻婆豆腐の下に中華麺が潜んでいる。場所は仙台駅の西口のハピナ名掛丁から少し入ったいい感じの路地にある駅前店にした。


腹ごしらえをして向かうところは、仙台市電保存館である。

仙台市電保存館

市営地下鉄南北線の南側の終点富沢駅まで乗車。ここから少し住宅街を歩いたところというか車両基地の施設に付属する形で立地している。
昔の市電の車両にかつて電停にあった琺瑯看板も保存されている。仙台市交通局の職員の方の解説付きで案内してもらえる場合もある。
昔懐かしの仙台駅をイメージした模型、もちろん市電も走っている。


市電保存館を見終わったら後は仙台市内、駅周辺を散策して1日を終える。

仙台市街を一望できるSS30というビルの展望台、特にエキストラ料金もかからずに普通に無料でエレベーターに乗って展望台から市街を観察できる。
もちろん夕飯は牛タン。駅前のたんや善次郎というTwitterのフォロワーおすすめの店で思いっきり平らげた。


おまけ: 鉄道の写真

本編でいちいち触れなかったが、移動の途中で収めた鉄道写真を最後に本編とは脈絡なく貼っておきたい。

もともと東急の車両だったやつだ、しかも中間車。けれどもドアチャイムはオリジナルだ。
東北本線の普通列車、主に新白河~一ノ関で見かけるタイプ
今回は乗らなかったが仙台空港アクセス線の車両が入線してきたので撮っておく。名古屋や大阪方面から仙台に来る人は結構世話になる路線なのではないか。
特急ひたち、堂々の10両編成、品川行きである。これに乗れば一本で東京都の品川駅までいけるわけである。在来線で首都圏と繋がっているわけで、是非とも一度乗り通しをしてみたいところだ。
これが震災後に登場した仙石東北ライン、交流電化の東北本線と直流電化の仙石線を途中の専用の渡り線を通じて行き来している、ハイブリット車両なようで技術的に少し特殊みたいだ。

最終日の行程はこちらからどうぞ
https://note.com/uttkw/n/n070e47df70e2

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