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【シャニマス】七草弁護士についての試論【改訂版】

はしがき

※注意、この記事は、シャニマスのシナリオイベントである「明るい部屋」や「セブン♯ス」、及び七草にちかのカードである「♡まっクろはムウサぎ♡」・『アイドルマスター シャイニーカラーズ 事務的光空記録』のネタバレを含みます。
2023年5月下旬、七草弁護士についての試論と題して、七草はづき・にちかの父親が一体どんな人物で、どのような弁護士だったのか、当時判明していた情報をできる限り集めてプロファイリングするという試みを上梓させていただきました。(改訂前の論考も、記録として遺しておきます。)

そうして11月ももう終わりかけという時期、ジムシャニの連載もいよいよ始まり、おまけにシャニソンのサービス開始で今まで以上に七草はづきという人物について注目が集まっている時期なのではないかと思われます。
というのも、ついにはづきさんのプロフィールがシャニソンで公開されました。

22歳!?

これにはコペルニクスもびっくり。にちかとたったの6歳差であるという新事実が発覚しました。
というわけで、上記の考察も、にちか初登場時の2021年に、はづきさんが22歳だったという設定でもう一度やり直してみることになりました…。
内容は初版と重複する部分もございますが、だいぶ変わっている部分もあります。最後までお付き合いください。


【初版・はじめに】

※注意、この記事は、シャニマスのシナリオイベントである「明るい部屋」や「セブン♯ス」、及び七草にちかのカードである「♡まっクろはムウサぎ♡」のネタバレを含みます。

こんにちは、常磐というものです。普段はシャニマスやったりTwitterに貼り付いてTLを眺めては時々旅行に出かけている異常独身男性です。

私がシャニマスを始めたのが2020年の4月12日ということで、この記事を書いているだいたい3年前になります。それから今日まで毎日続けております。
どうしてこんなエントリを書こうと思ったのか、それは、七草先生の背中を垣間見れるところまで人生の駒を進めた手前、どうしても七草先生の弁護士像がどんなものなのか、ついプロファイリングしたくなったからです。
プロファイリングなどという言葉を使ってしまっていますが、シャニマスのコミュで明かされている七草はづき・七草にちかの父について考察の素材とすることのできる情報源は、明るい部屋やセブン♯スと限られていて、そもそも素材が少ないわけです。これらのコミュで明かされている事実から、できる限り根拠を持った考察もとい妄想をしてみたい、今後の283プロ創世記に係わる掘り下げ、八雲なみと斑鳩ルカについての掘り下げが進む過程で徐々に七草弁護士の正体が明るみになっていくという一縷の期待を込めて、試論という形でプロファイリングしてみたいと思います。

こうしてシャニマスについての考察を本気で書き上げたのは今回が始めてなので、拙い部分もある(推測に推測を重ねた部分が少なくないと思います。)かと思いますが、どうぞ最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

そもそも七草弁護士は何期の弁護士なのか

※本題に入る前の共有しておきたい前提知識部分が長くなってしまっているので、適宜読み飛ばしてしまってかまいません。

①「期」って何?(前提知識)

・弁護士となるために必要なこと
弁護士と聞いて、皆さんはどのようなプロセスを踏めば弁護士になることができるかについてそもそもご存知でしょうか。

弁護士法第4条には、「司法修習生の修習を終えた者は、弁護士となる資格を有する」と規定されており、弁護士となる前にまず司法修習生という身分になって、修習というものを修了しなければならないことがわかるでしょう。

では、その司法修習生というのはどこに規定があるのかというと、それは裁判所法という法律になります。裁判所法第67条第1項で「司法修習生は、少なくとも一年間修習をした後試験に合格したときは、司法修習生の修習を終える。」とあり、その司法修習生になるためには、同法第66条1項の規定を参照すると、「司法修習生は、司法試験に合格した者(司法試験法(昭和二十四年法律第百四十号)第四条第二項の規定により司法試験を受け、これに合格した者にあつては、その合格の発表の日の属する年の四月一日以降に法科大学院(学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)第九十九条第二項に規定する専門職大学院であつて、法曹に必要な学識及び能力を培うことを目的とするものをいう。)の課程を修了したものに限る。)の中から、最高裁判所がこれを命ずる。」とありますから、司法試験に合格して、司法修習生採用選考というものに応募して採用される必要があるわけです。

すなわち、弁護士になるためには、司法試験に合格しなければならないということになります。なお、その司法試験について、裁判所法第66条2項において、「前項の試験に関する事項は、別に法律でこれを定める。」とあり、これを受けて、司法試験法という法律が存在して、そこに試験についての詳細、すなわち受験資格や科目についての規定があるという建付けになっています。

・修習期とその例
さて、ここまで少しくどくどと法律の条文を参照しながら弁護士になるために司法試験を受験しなければならないことが必要条件であることを導きました。弁護士にも「期」というまるで高校の卒業年度で何回生という区別に似た概念があるようだが、それは一体何であるかついて、ここまで読んで頂いた読者としては、そろそろ知りたいとお思いでしょう。
これは、司法修習生として採用され、裁判所法第14条の規定により最高裁判所に設置された研修機関である司法研修所に所属した年度を基準に割り振られる期の数字です。
例えば、筆者含め令和4年の司法試験に合格して同年9月に司法修習生採用選考に応募して採用された者は、第76期司法修習生となります。そして、司法修習修了考査である通称二回試験(司法試験の次に受けるからこのような呼び方をしていて、落ちた人間の番号が貼り出されるような試験で、よほどの失態をしない限りほとんどの修習生が合格していくものです。)に合格してそれぞれ裁判官・検察官・弁護士のいずれかになった後も、同期の人たちとの交流が職域や職場を超えて続くことになりますし、先輩や後輩が何期の人物であるかで、当時の司法研修所の教官が誰でこのような指導を受けただとか、実務修習地でこのようなことを休日にやってたんだとか、そういった話で盛り上がるわけです。

現実世界で著名な法曹界の人物が何期であるかについて、いくつか例を挙げさせてもらうと…

・大阪市長と大阪府知事を歴任した橋下徹先生であれば49期
・立憲民主党の党首を務めていた枝野幸男先生であれば43期
・日本のネット史上最大級の炎上事件の渦中にいた唐澤貴洋先生であれば新63期(後述しますが、旧司法試験と呼ばれるものと新司法試験と呼ばれるものが併存していた時代には、新旧修習がそれぞれ別立てだったので、新司法試験合格者の修習期の頭に新を付けたりします。)
・要件事実マニュアルという法曹実務家必須アイテムを書き上げる傍ら、裁判官として東京高裁、仙台高裁判事まで歴任したものの、自身のTwitterの投稿を巡って分限裁判にかけられてしまい、自らが最高裁判例ともなったブリーフ判事こと岡口基一判事は46期

という感じになります。

・小括
要するに、期というのは、司法修習生として採用された年度に割り振られる数字で、高校の卒業年度で、○○回生というものに相当するものだと思っていただければ良いです。

和光市にある司法研修所、まあまあ駅から遠い

②司法試験制度の変革についてのあらまし(前提知識)

・現行の新司法試験と旧司法試験の概要
司法試験は、「裁判官、検察官又は弁護士となろうとする者に必要な学識及びその応用能力を有するかどうかを判定することを目的とする国家試験」(司法試験法第1条第1項)であって、受験資格を有するのは、2023年現在、原則として、法科大学院修了者(もちろん出願時は修了見込でも、実際に修了できれば受験可)か、司法試験予備試験合格者であります(同法第4条1項1・2号)。
現在の司法試験制度は、このように受験者資格を法科大学院修了者と予備試験合格者の2つに設定していますが、現行の司法試験になる前に2010年まで実施されていた旧司法試験は、現在実施されている司法試験予備試験と同様に、受験資格の制限がなく誰でも出願すれば受験することができました。

最近は、法学部の法曹養成コースを3年間で早期卒業してそのまま法科大学院の法学既習者コースで2年間勉強する傍ら法科大学院最終学年でも所定の要件を満たせば司法試験の受験資格を得られるなどと、私が受験生だった当時と比べて色々ややこしい様相を呈してきているので、これ以外の資格で受験することもできる場合があることには留意が必要ですが、その話は割愛させていただきます。

・旧司法試験の廃止、法科大学院と予備試験誕生の経緯をざっくりと
ここで、司法試験の制度が変化する歴史について触れますが、法科大学院ができる前まで実施されていた旧司法試験は、何年もの年月を受験に費やして人生を破滅させる数多の人間を生み出しているだとか、法学部の授業にろくに出ないでシコシコ予備校で勉強してる受験生が司法試験予備校の作成した論証パターンを答案に貼り付けた画一的で思考が浅い答案こと金太郎飴答案が量産されまくっている現状があって、法曹の質の担保を確保する点で問題があるなどと、様々な問題を抱えていると指摘されていたところがありました(根拠があるかはさておいて)。そうした旧弊を打破するべくプロセス重視の教育をもって法曹を養成しようという機運、それから法化社会の流れと欧米並の司法サービスの拡大を目論んで法曹人口を大きく拡大しようという機運も相まって、2004年より専門職大学院として法科大学院が設置されたのでした。

法科大学院ができて、法学既習者が2年で修了して最初の司法試験を受験することとなる2006年より現行の司法試験(新司法試験と便宜上呼んでいます。)が始まったのでした。もっとも、1949年より続いてきている旧司法試験については、2006年から2010年にかけて新司法試験と平行して実施されていました。

旧司法試験がその役目を終え、2011年より、法科大学院に経済的事情等で進学することができない人向けに司法試験予備試験が始まったのでした。なお、予備試験の難易度が司法試験よりも難しい上に、受験資格の制限もないことから、現在は大学学部在学中に予備試験に合格した人がそのまま司法試験に一発で合格することを見込まれて四大法律事務所を始めとした優秀でぶっちぎりな事務所の内定を総ざらいしていくという様相を呈しており、いかに早く予備試験に合格するかが近年の法曹志望のステータスになっているきらいがあります。私も大学時代、いかに早く予備試験で早抜けするかということばかり考えており、学部在学中に論文まで合格を勝ち取り、ここまで勝てば残すはほぼ落ちることがない口述と司法試験だというので意気込んでいたら口述試験でやらかしてどん底に叩き落されたということを経験しております。詳しいあらましは有料noteに書き連ねております(隙あらば自分語り)。

・司法試験合格率の変遷
試験制度が変われば、当然その時々での合格者数や合格率も異なってきています。1949年から2010年まで実施されていた旧司法試験の場合、最盛期では5万人近い受験者がいて最後に残るのが1000人程度で最終合格率が優に3%、年によっては全受験者の2%しか残らないという修羅場でした。(法務省資料参照)

https://www.moj.go.jp/content/000054973.pdf

一方新司法試験が始まってからの受験者総数から合格率、司法試験予備試験の受験者数割合は以下の通りで、かつての旧司法試験の頃から比べれば司法試験の受験者数は減り続ける一方で、先述した法科大学院への早期卒業等の措置や法科大学院在学中の受験を一定の条件で認めるといったことでなんとかテコ入れしようとしている状況です。その一方で、予備校による受験攻略メソッドが年を追うにつれて確立され続けていっていることや、しっかり予備校で正しい方向性の努力を積めば、就活でも無双できるということで、年々予備試験の受験者数は増え続けています。(日弁連資料参照)

https://www.nichibenren.or.jp/library/pdf/document/statistics/2019/1-3-2_2019.pdf

③ようやく本題

・にちかとはづきさんが生まれた年を確定しよう
では、七草弁護士は何期くらいの弁護士なのか。
はづきさんかにちかの年齢をもとに推測できないかと考えてみました。
はづきさんは、千雪さんと下の名前で呼び合う仲で時々飲みに行っているようであることからしても、千雪さんと同い年かそれ以上の年齢であることが伺えますが、はづきさんの年齢を初手ではっきり確定できない以上、にちかの年齢を手がかりに七草弁護士の年齢を推定していきたいと思います。
便宜上、七草にちかのゲーム初登場が2021年なので、その時点で16歳という設定であったわけですから、本稿では、にちかの生まれた年は2005年であるとしておきます
そして、2021年を基準とする限り、はづきさんがその時点で22歳だったとすれば、はづきさんの生まれた年は1999年になるとしておきましょう。

・次にはづきさんの年齢と、七草弁護士が亡くなった年を手がかりに、修習期を推定する
さて、ここで思い出してほしいのが、七草家の母が現在病院に入院しているという話です。【♡まっクろはムウサぎ♡】七草にちかのTrue endコミュででっかい家を建てるぞとにちかが夢をぽろっと語るシーンにて、現在にちかの母が入院中であることが言及されています

2021年時点で病院にいるはず

それから、同じく【♡まっクろはムウサぎ♡】のコミュである「やばいいきもの笑」の中では、コミュタイトルにもなっているやばいいきものことハムスターともうさぎとも似つかない謎クリーチャーをはづきさんが生成した過程が述べられています。
この「やばいいきもの」は、にちかが小学校に入学する時に、小学校に持参する持ち物一式に名前を書いたり、名札を書いたものを縫い付けたりする作業をはづきさんがしていたときに生成されたものでありました。
にちかが小学校に入学する時点でありますから、2021年の9年も前、2012年4月の少し前になりましょうか、その時ににちかの学用品のネーム付けをはづきさんが母の代わりにやっていたという事実がこのカードから明らかになりました。
2005年生まれの小学校入学が2012年4月という一方、2012年当時のはづきさんは、1999年2月3日生まれという説ならば、なんと中学2年生(2011年入学)ということになります

一方で、我らが社長、天井努が283プロの女子寮にある開かずの部屋について、「どうしたものかな、ここは。片付かないものばかりが時間と共に堆積していく。もう10年だぞ」と言及(シャニマス2ndLIVEおよび3周年前夜祭の生放送で流れたユニット発表映像でこのような言及があったようです→https://ikasamaotoko.com/syanimas-shhis-kousatu/)されていました。
この点、シャニマス2ndLIVEが開催されたのは2021年であります。
そうすると、七草弁護士が他界した時期は、2021年を基準とすると、ちょうど2011年頃と推測できます。

どうしてもゲームの物語上の設定でも、なかなか描かれない深層の部分でもあるので、ズレが生じてしまっているかもしれませんが、上記の事実と仮定を前提とすれば、にちかの小学校入学前、年長さんの時、はづきさんが中1の時に亡くなられてしまったというのが真相のようです

ジムシャニ2nd page : sugarcube(後編) 15ページ目の病床のコマで描かれているはづきさんはセーラー服姿であることも、少なくとも小学生ではないことが伺えます。このシーンがベッドにいる父を看取っているところなのか、病床にいる母の見舞いに行っているシーンなのかは現時点では不明ですが、いずれにせよ、はづきさんが中学生の時に七草先生は逝去されたとみるべきでしょう。

当然、はづきさんがこの世に生を受けたであろう1999年頃に、七草弁護士が存命でなければなりません。この時代の司法試験は、難易度的にも過酷を極めたいわゆる旧司時代で、合格できるかまだまだわからない段階で家族計画を立ててしまうのはさすがに向こう見ずだろうから、七草先生がまだ学生だった時に七草母を身ごもらせたという筋はさすがにないだろうと考えておきたいので、既に1999年時点では社会人であったと考えるのが妥当でしょう。たとえどんなに低く見積もっても司法修習生だったと考えるのが限度だと思います。
1999年当時いわゆる旧司法試験の時代でしたが、1998年に司法研修所に入所して2000年に修習を終えた52期が2年修習の最後の世代で、1999年入所からしばらくは1年6ヶ月の修習期間になる過渡期というので、場合によっては1年6ヶ月の修習期間最初の世代である53期である可能性も微レ存ということになるでしょう
(参考までに内閣官房の出している司法修習の変遷についての資料を掲げておきます)。

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/hoso_kaikaku/dai2/siryou6-2.pdf

はづきさんが生まれた時点で七草弁護士が成り立てホヤホヤであるとすれば、1997年から2年間司法修習でみっちり鍛え上げられた世代、和光市にある司法研修所で育った51期の弁護士だったということになるでしょう。
昔の司法修習生も、最高裁判所から給付金という形でお給料を貰っていたのですが、それだけで七草母とともに自立して暮らしていくのは大変だったでしょうから、少なくとも弁護士となったすぐか、しばらくしてから七草家にはづきさんが誕生したと見るのが穏当であると考えられます。
ですから、この51期よりも少しだけ期が上くらいである可能性も十分考えられます。

そのうえ、この当時の旧司法試験に大学学部在学中に合格できたとしても学部4年生の時にようやく合格するというのが当時の最速級だったというくらい難しい時代でありましたし、現在と比べても司法試験予備校のノウハウも整っていない時代でなおさらです。七草弁護士が、受験生時代に大学学部4年次に合格を果たしと仮定した場合での最少年齢は22歳ということになりますし、普通に卒業後も数年司法浪人をしていておかしくない時代(なんなら大学入試で浪人したり大学で一度留年しているかもしれません)でしょう。そうすると、大学4年次に司法試験に合格し、それまで浪人も留年もしておらずに修習を全うしていたと仮定すると、七草弁護士の生まれた年はどんなに若く見積もっても1975年より前になりそうで、同年より5年くらい前の1970年代前後であることも十分に考えられそうです

・小括
1975年生まれだとすれば、にちかが生まれた年である2005年に、30歳を迎えたということなるわけで、第二子誕生時の年齢として少々若いが妥当なラインを大きくはみ出さないといったところでしょうか。ありえなくはない年齢設定になりそうです。むろん、これより2・3歳くらいまでなら上の年齢ということも十分ありうると思います。

そういうわけで、七草弁護士が生まれた年は、1970年前後、どれほど若く見積もっても1975年を含む1975年以前で、第二子のにちかの誕生年から遡って無理のない年だと1967年生まれより上の年齢だと高齢の父だなというきらいが出てくる。すなわち、1967年から1975年の間くらいなのではないかと推測できそうです。

④当面の結論

以上より、七草弁護士は、50期前後、あるいは50期より1期か2期上の修習期(48期か49期あたりが特に濃厚なゾーンな気がします)で、どんなに若く見積もっても51期くらいまでであると考えるのが相当であると私は思います。

七草弁護士が携わっていた業務分野

①手がかりとなる蔵書についての違和感

・導入
さて、先程まで七草弁護士の修習期についての考察をしてみましたが、次は弁護士としてどのような法分野を中心に弁護士として活躍していたのかを考えてみたいと思います。

七草弁護士がバッジを貰って活躍していた時代、少なくともにちかが生まれる前までの時代は、まだまだ会社法という名前の法律がなく、商法に会社の規定がまとまっていたような時代でした。この時代に企業法務を中心に扱う弁護士であれば、「商法」ないし「証券取引法」などの基本書が本棚にあっておかしくないわけです。
もし一般民事事件や労働事件、刑事事件を取り扱っているのであれば、例えば民法や刑法の大コンメンタールだったりが本棚に収まっていたりしていないと仕事にならないでしょう。それから、どのような業務分野を突き詰めていようが、六法全書という分厚い鈍器みたいな本が、毎年のように買って更新していくうちに書斎にうず高く積まれているだとか、ジュリストや判例時報といった雑誌、自由と正義という日弁連が出している雑誌があったりするものだと私は思っていました。

しかし、「明るい部屋」のコミュにてはづきさんが部屋の整理をしていた時に出てきた本は、上記のいずれでもありませんでした。

なんでこのラインナップ…?

それは、「国際法」とカントの「人倫の形而上学」でした。
初めてコミュを読んだ時には、はづきさんから弁護士だったことを打ち明けられたときに、七草先生は、民法商法刑法などといった実定法学を中心にやっている法律学科系のコースではなく、政治学系の学科ないしコースで学生時代を過ごしていたのではないかと疑いたくなる予想外のラインナップだなとただただ困惑していました。

・「国際法」というタイトルの本
まず、国際法とひとえにいっても、国家間の合意に基づいて、主に国家間の関係を規定する条約や国際慣習についてのルール、すなわち、外交使節に関するルールや領海の幅・大陸棚の資源利用・公海の利用についてのルール、戦時中の交戦法規(ハーグ陸戦条約とか)を取り扱っている国際公法という分野がまずあります。
これとは別に、ある私法関係についてどの国の法に従って当事者間の紛争を解決するかということについての原則的なことを定めた法の適用に関する通則法についてを扱っていたり、民事訴訟法第118条の外国判決の承認や、国際裁判管轄について取り扱っている国際私法という分野があります。

そして、単に「国際法」という場合、前者の国際公法のことを示しています。基本書のタイトルでも国際法と単に書いてあるものは国際公法を取り扱っています。

先程も述べたように、国際公法という法分野は、その性質上国家間の関係を規律する条約や国際慣習について取り扱っているもので、弁護士業務で向き合う日本の裁判実務や日々の法律相談で直接この領域を検討しなければならない案件は正直そうそう多くないものになります。

あったとしても、例えば日本の民間企業2社が、パキスタン・イスラム共和国に対して売却したコンピューターの代金を消費貸借の目的とした準消費貸借契約に基づく貸金返還請求を、パキスタン・イスラム共和国を被告として提起した事件について、国家が外国の裁判管轄権に服しないという主権免除の主張が認められる結果、企業側の請求が認められないかが争われた事件(最判平成18年7月21日民集60巻6号2542頁)のように、一見するとごくありふれた貸金返還請求訴訟という一般民事事件でたまたま外国国家が被告となっているような事件であるとか、米軍基地の離発着の差し止めに係る民事訴訟であったり、北朝鮮の映画著作物を巡って、未承認国家についてもベルヌ条約の権利義務が発生するかが争われた事件(最判平成23年12月8日民集第65巻9号3275頁)といったようなものになってきます。

いずれにせよ、企業法務系の弁護士にせよ一般民事・刑事事件を幅広く取り扱っている街弁であれ、なかなか触れることがないと考えられる法分野であります。民法・刑法といったように、法学部でも法律学科系統で深掘りする実定法と呼ばれる部分からは若干遠い法分野で、どちらかと言えば政治学との関わりが深い分野であり、実定法の深掘りを徹底的に仕事でやっている弁護士の蔵書として真っ先に挙がるのはなかなか異色であるということです。

・カントの「人倫の形而上学」という本について
一方のカントの「人倫の形而上学」の本の内容についての詳しい解説は他に譲るとして、これは国際法の精神と切っても切れない関係にあるもので、この中の『徳論』で扱われる「人間の尊厳」という概念は、世界人権宣言第23条第3項にも登場するなど、この本で取り扱われている概念は、現在の国際法でも通用するものになっています。
しかし、やはりこの本も弁護士の普段の業務からは離れた所にある書籍であることは間違いありませんし、前述の「国際法」と比べてもさらに業務関連性からは離れているといえましょう。

むろん、シャニマスのシナリオ執筆陣は、これまでもこれからも丁寧に人物像や人物同士の関係を掘り下げているわけですから、法律実務家である弁護士が執務で使用する書籍が例えば大コンメンタールであったり、民法・商法・刑法・刑事訴訟法といったようなタイトルの基本書であるとか、様々な執務参考資料として使える雑誌があるということを一切心得ていないだとか、あるいは調べもしなかった結果、とりあえず法学部出身者が読んでそうな書籍としてこれら2つの書籍のタイトルを挙げてみたということは考え難いです。
ということは、283プロの開かずの間の本棚に詰められて床にも無造作に積み上げられて雪崩を起こしている七草弁護士の生前の蔵書から、はづきさんんがこの2冊を取ったというのも、七草弁護士の人物像を考察する上で意味を持ってくるのではないかと私も当初は思っていました。
しかし、どうやらそうではないかもしれない、カントの著作については七草先生の蔵書であるという事実よりも、もっと大事な伏線としての機能があったのではないかということが後述で紹介させていただいた考察で示されていることがわかりました。その点についてはまた項を改めて説明させていただきます。

②ならばどのような業務を弁護士としてやっていたのか

・七草先生が目指していた弁護士像
七草弁護士がどのような弁護士像を目指していたかについては、はづきさんの伝聞になりますが、生前の発言からその様子を伺うことができます。

ミシェルちゃん人形…

ドレスを着たミシェルちゃんという自分のためのクリスマスプレゼントを欲しがっているはづきさんをよそに、消防服を着たミシェルちゃん人形を見て、ミシェルちゃんが「消防士という仕事に強い夢」を抱いていたと解釈して、その消防士としての夢を応援してあげたいという気持ちが勝って消防服を着たミシェルちゃん人形をクリスマスプレゼントとして買ってくる。そのような人物であるわけです。そりゃ子供の頃のはづきさんもジムシャニの一コマであったああいう顔芸するよねえとしか言いようがない。

もっとも、単に夢を持ってる人を応援する弁護士といっても、様々な形で様々な夢を持った依頼者を応援することができるでしょう。例えば、起業して自分のビジネスを売り込みたいと考える人の夢を弁護士として手助けするとすれば、いわゆるスタートアップ法務として、会社の設立についてのアドバイスをすることもできますし、婚姻関係が破綻するべき事情があって、離婚して心機一転して新たな人生を送りたいという人の手助けをするだとか、関わり方は様々です。七草弁護士のモットーから直ちにどのような仕事をしているかを想像するのは早計でしょう。

・セブン♯スから読み取る日々の業務内容
七草弁護士という名前でダイアログボックスに登場するのはこのコミュが初めてでした。このコミュでは、幼少期の斑鳩ルカに語りかけていた様子が描かれています。

八雲なみを救った立役者

20数年前、2021年時点を基準とすれば2000年よりちょっと前くらいに一斉を風靡したアイドルである八雲なみは突然失踪してしまいました。それから八雲なみはひっそりと暮らして、子供である斑鳩ルカを授かり暮らしていたところに、マスコミの連中が何らかの方法で住所を突き止めて押しかけてきたわけです。
突然失踪してアイドルを辞めてしまったという経緯からも、アイドルを引退した経緯について根掘り葉掘り聞かれる形で取材の攻勢を受けることは八雲なみ本人が望んでいるわけもなく、平穏に暮らす利益が週刊誌の記者らによって侵されているというわけです。取材の過熱具合次第では、その取材の態様が執拗でプライバシー権を侵害し、不法行為が成立しかねない状況が発生しうるわけですし、何度も帰ってくれといっているにも関わらず玄関前に居座って執拗に取材の申込みを承諾するまで帰らないなどということになれば、それは刑法上犯罪を構成しかねない事態に発展する危険もあるわけです。当然、そうした事態は娘である斑鳩ルカの生育環境にも暗い影を落としてしまいかねません。

そういう場面であるからこそ、弁護士が盾となって過熱する報道に手を打ち、斑鳩家の平穏な生活を守るべく戦ったのでしょう。それから、電撃的な引退、もとい失踪の時に、それまでCDとして売られていた楽曲の権利関係をどうするのか、それまでの八雲なみと283プロとの間の契約関係はどう整理していくのか、それまで出演が予定されていた公演をキャンセルしまくる関係で、先方との契約関係を整理しなければならないと法的問題は山積みであったことは想像に難くありません。そうした事後処理についても、七草弁護士が、大学時代の親友であった天井努と懇意にしていた関係で、案件として努から頼まれて事件処理に当たったのではないかと考えられます。

デキる弁護士だ…

八雲なみの関係で事件処理を担当するとなれば、報道関係対応であれば民法や刑法の知識、プロダクションやテレビ局等との契約関係の整理も同じく民法の知識が必要ですし労働法の経験もあったほうが頼もしいでしょう。
それから、楽曲の権利関係についての著作権法絡みの知的財産法系の経験、それから租税関係の整理もひとえに精通していなければなりませんし、同時に案件処理全体に係る問題ですが、芸能界の慣習を踏まえた上での案件処理でなければなりません。到底新人レベルの弁護士が一人でできるような話ではなく、七草弁護士が一人事務所という形で独立して、弁護士経験10年目くらいでできるようになってくるようなレベルの事件であるように思われます。要は簡単な案件ではないということです。

いくら弁護士といえど、それなりの経験がなければ、八雲なみ絡みの案件をこなせるようになるわけではないでしょう。それまでの間に、一般民事事件を中心とした個人事務所を立ち上げ、執務室を現283プロ女子寮となっているあの部屋に最終的に置いて、セブン♯スでも努と七草弁護士がタッグを長いこと組んでいたことが伺われる描写があることからも、努からの案件紹介も交えて徐々にエンターテインメント法務・芸能法務のノウハウも蓄積していき、七草弁護士の信念でもある「夢を持ってる人を応援する」という理念を実現するべく、アイドルのような夢を持っている人の活動を影で支える立役者にもなっていたのではないかという推測は一応できるのではないかと思います。

以上、七草弁護士は、弁護士として独立して事務所を構えてから、一般民事事件を中心に芸能法務にも精通していった人物であるという推測を立ててみました。もっとも、このような結論は、セブン♯スというシナリオから逆算して導き出した一つの側面でしかなく、先述した七草弁護士の蔵書として取り上げられた二冊の本の内容からはやはり乖離した業務内容であることに変わりはありません

・本棚の蔵書との整合性
では、先述した二冊の本の内容と弁護士としてできる職務を整合的に説明できる仮説は一体どのようなものなのか、私にはどうしても思いつかなかったのですが、この考察を書くに当たってリサーチをしていくにあたり、今から2年ほど前に発表されていたとある考察が目に入り、これだと思わず手を打ってしまったものがあったので、ここで紹介しておきたいと思います。

国際司法支援、すなわち法整備支援に携わる弁護士として海外派遣されていたのではないかという仮説です。
法整備支援というと、現地の裁判官や検察官らを育成するための制度を整えたり、現地の立法機関の新法制定に助言をしたり、裁判制度や調停・仲裁制度を整備するといった職もあるのですが、中には紛争・天災直後の国での平和構築活動として紛争解決機関の設置・運営、選挙監視、戦後賠償支援、戦争犯罪者の裁判支援ということもあるようです。
我が国の法整備支援事業としては、東南アジアに特に力を入れているようで、特にポルポト政権時代に行われた原始共産制の極端な解釈に基づく都市文明の否定と、政権崩壊後の内戦により、司法制度が根本から破壊されたカンボジアの法整備支援と司法機関の再建には大きな力を入れていました。
仮に七草弁護士が派遣された地域がそうした紛争地域であって、そこで法の支配を回復させるための活動に尽力している最中に不幸にも亡くなってしまったとすれば、まだ30代であるというのに早世しているという点でも説明がつきますし、何より海外に赴任しているからこそ、家にいなかったというはづきさんの証言とも整合性が取れるのです。

正直2年前の時点でこのような仮説が既に立っていたことに私は驚きを禁じ得なかったですし、何より私もコミュの読解が浅いなと自省するほかなかったです。確かに有力な仮説だと思いました。

③ジムシャニの一コマとカントの著書の意味についての別の説明から、国際司法支援業務説が立たなくなってるかもしれないこと

先述の国際司法支援業務に関わっていたという話、とてもいい考察だと思います。しかし、こうしてジムシャニの連載が始まったことや、カントの本の意味がCoMETIKというユニットの伏線であったと理解するべき考察が上がっていることからも、国際司法支援業務関係者の仮説よりも、七草先生が病気ないし不慮の事故で亡くなられたという仮説のほうが相対的に説得力は上になってきているのではないかと思われます。

はづきさんがジムシャニ 2nd page sugarcube(後編)にて、雛菜からどうしてそんなに仕事ができるようになったか尋ねられるシーンで、『これが私の普通で(はやく普通にしたくて)特別なことなんてないですよ、本当に。』と答えるところがあります。ここで、はづきさんが中学生くらいの時に病床に伏せる誰かを見ているシーンが回想されています。制服のはづきさんのスカートを不安そうにぎゅっと掴む幼稚園児くらいのにちかの姿もそこにはあります。
病床にいる人物は、やはり七草家の関係者であることは当然ですが、それが父なのか母なのかは現時点では判然としません。
もっとも父であるとすれば、海外への国際司法支援業務で何らかの紛争に巻き込まれてしまったならば、このように病床で最期を迎えるというのは無理があるのではないかと思われます。

また、七草先生のいた部屋にあるカントの著書の意味は、ロラン・バルトの明るい部屋の解釈で我々を食いつかせてる傍らCoMETIKの到来を示唆していた3年越しの仕込みに仕込まれたとんでもない伏線であった可能性について以下に引用する記事で指摘がありました

そうすると、七草先生の本棚にあったカントの著書は、あくまでCoMETIKの到来を必然的に予言していたアイテムに過ぎず、七草先生が国際司法支援業務に携わろうとしていたことを示すアイテムではなかったと考える方が、上記のジムシャニの回想シーンとの関係でもより整合性が取れるのではないかと思われます。

④まとめと当面の結論

(1) ひとまずのまとめ
以上、七草弁護士の蔵書や、八雲なみをめぐる一連の事件処理を担当したこと、先述の有力な仮説をまとめてみると、七草弁護士は、「夢を持っている人を応援したい」という信念のもと独立開業し、一般民事事件を柱に、努からの案件紹介もあってか芸能関係法務にも精通するようにそのキャリアを発展させた。しかし、持病を抱えていただとか、過労ないし不慮の事故で、はづきさんが中学1年生・にちかがまだ幼稚園児の時に亡くなってしまった
ということになると考えられそうです。
改訂前は国際司法支援業務に携わる傍ら何らかの紛争に巻き込まれて命を落とした可能性についても言及しましたが、その筋はどうやら薄いということが今回の考察で見えてきたので、病死・不慮の事故で亡くなられてしまったという立場に改説します。

(2) 2024年4月12日公開の412の日コミュについて(2024年4月14日追記)
前述の通り、私は七草先生が病死ないし不慮の事故で亡くなられてしまったということについて当面の結論を出しておりました。
この改訂版の考察を上梓したのは2023年の11月か12月くらいだったかと思いますが、それからはや4ヶ月が経過した2024年4月12日、そう、私がシャニマスを始めてちょうど4年が経過しようとしたその日、特別なコミュが公開されました。
その内容を見るに、社長の天井努は、働き詰めな様子のはづきさんにそれ以上根を詰めるなとそろそろ「灸を据える」べきかと独り言を漏らしていたときに、我らがシャニPが事務所に入ってきて、「…-わーいい香り-」とコーヒーを挽いていた社長に気づかずに脳天気なセリフを吐いて登場します。
本来スケジュール上では外出中ということになっていたことを把握していた社長は、シャニPにこれからどうするのかを尋ねるのですが、シャニPは早めに用事が済んだので事務所に戻ってやるべき仕事を片付けようとしている。そのようなシャニPに対して社長がかけた言葉は以下のようなものでした。

激務

「身を削るような働き方をするな」という忠告。私が一番最初にこのコミュを読んだとき、二回試験直前の集合修習で自分のクラスを担当されていた司法研修所の教官が本当にそっくりなことを言っていたなという感想を抱きました。
法曹という仕事は、人の爭い事に介入して調整することで糧を得て生きていくもので、必然的に人間の醜い部分を容赦なく見させられる仕事でもあります。そして、厳格な手続的要請によりミスが許されず、スピード感を持った決断の連続で、働き方も基本的に極めて忙しいものになります。それにより誰かを救うといっても、自分自身をないがしろにしてしまっては到底何もできないだろう、気がついたときには手遅れな程に故障してしまう人も中にはいるわけで、そうした状態を誰かに発見してもらう期待可能性は、ごく普通の会社員や公務員と比べても相対的に低いものになることは否定できないと思います。そうした現場にこれから出ていく者たちへの餞別の言葉として、司法研修所の教官の中には、上記のような言葉を本当にかけてくださる方もいるというわけです。

確かに、はづきさんの働き方がアルバイトという身分ながらかなりの働き詰め方をしていて、自分の親友だった七草先生の娘にそこまでのことはさせられないと彼なりに思うところがあり、はづきさんに対してそこまで根を詰めるなと言うべきだろうかと考えていた場面が直前にあったからこそ、それ以上に激務をこなしているシャニP(どうやら容姿が七草先生に似ているらしい…?)に忠告をした。そういう自然な流れでかようの発言が出たという考え方もできると思います。
もっとも、私としては、上記のような解釈の余地も排除しないけれど、むしろこれは七草先生が依頼者のために無茶な働き方をして、それが祟って亡くなってしまったことを社長は知っていて、シャニPに同じような轍を踏んで欲しくないと思ったからこそ、そう発言したのではないかと思えてなりません。
この発言の直前に、283プロの各ユニットの活躍ぶりを取り上げたネット記事を社長は読んでいるようなのですが、コメティックの記事の見出しが登場した直後に、努が八雲なみと思わしきアイドルからこの靴は履けないと突き返されたときの記憶がフラッシュバックします。彼はかつて八雲なみという人物をこの手で”ダメ”にしてしまいました。しかし何の因果か、その娘が283プロに加入してきたのです。どうかルカがかつての八雲なみのようになってほしくないと”身勝手”ながらも努は祈るのでした。
この”八雲なみと同じ轍をルカには踏んでほしくないと祈ること”の対比として、”七草先生のような無茶な働き方をしてシャニPに潰れてほしくないと祈ること”を描いているのではないでしょうか?

そうだとすれば、七草先生が急逝された理由は、仕事の無理が祟ったという可能性が有力になってくるのではないかと思われます。

あとがき

ここまで拙い考察をお読みいただき、ありがとうございました。

はづきさんの年齢が22歳であることが判明してからもう一度時系列で追ってみた時に、はづきさんが中学1年生くらいの頃に父が亡くなったという一つの可能性に辿り着いてしまいました。いずれにせよ、七草先生が亡くなられた当時、はづきさんは高校生ではなかったと考えています。

ともすれば、弱冠中学1年生で頼れる大黒柱を失い、母も病気で入院していて稼得能力を期待できないわけです。
バイトができるようになるのはどんなに早くても高校生になってからで、中学生にできることには限界があることも推して知るべしだろう。
はづきさんはただ「はやく普通になりたくて」大人になるしかなかったのだと、たった12歳か13歳の子供に突きつけられた現実としては、あまりにも過酷なものだったことは想像に難くありません。

これまでの考察を踏まえて、改めてジムシャニのこのコマを読んでいただきたいのです。

それに、本編のenza版でも千雪さんとこんなやり取りをしているシーンがありました。
前回の考察でサムネに使わせていただいたシーンです。

大人になるしかなかった

本当に改めて読んでみると、切ない。あまりに切ない。

書きながら正直目頭が熱くなってしまいました。

「この頃からうっすらわかっていた。自分がそういう星の下に居ることを。」と、自分のことはどうせ後回しになってしまうのだろうというどことない諦観がある一方、そうした『裏方』ともいうべき日常の業務の中で積み重ねていく日々が283プロのアイドルたちが輝く舞台に繋がっていき、そうした日々に愛おしさを彼女は感じているようです。

切ないけれども、健気で只管沁みます。

ということで、みんな、ジムシャニ読んで!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

ということでおしまいです。ありがとうございました。



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