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2020年夏・東北遠征の記録(3日目/利府→仙台市内→東京)

1日目の行程はこちらから

2日目の行程はこちらから

さて、2020年夏の東北遠征の記録もこの記事をもって最終回です。


3日目の行程

新幹線車両基地のちょっとしたPRコーナーを覗きに行ってみる

3日目の行程は仙台周辺でサクッと終わらせて帰るつもりだったが、少しだけ見に行きたかったものがある。それは岩切駅から東北本線の支線に分岐して利府というところに行かねばならない。

仙台からたったの数駅で結構鄙びた郊外の街の駅というふうになる。昔はこちらから先に品井沼の方まで線路が伸びていたが、今は松島経由になってこちらの線路はここで打ち止めだ。

新幹線車両基地内の見学施設に行く前に、基地の反対側の児童公園に静置されている保存車を見に行くことにした。(※残念ながら2022年現在解体済み)

ED91 11号機関車

駅から車両基地と反対側に歩いていくと森郷児童公園というところがあって、そこに電気機関車1両と蒸気機関車1両が静態保存されていた。
まず電気機関車の方であるが、これは日本で交流電化が試験的に実施された仙山線の仙台~作並間の区間に投入された機関車で、国産の交流電気機関車では第一号の形式であるという結構エポックメイキングな車両だったりする。それにもかかわらず、この児童公園で雨ざらしでもお構いなく静置されていて、ヘッドライトのガラスはくすみ、塗装も鮮やかな交流電気機関車らしい赤色が褪せて錆びた小豆色になって塗装も剥げているところがちらほら、窓ガラスも割れている箇所があるなど相当保存状態が悪かった。
(2005年当時の保存状態は結構良かったらしくしっかり塗装もされていたが、15年の歳月は恐ろしいものであるhttp://www.kanorail.com/ED91/ED91.htm)
この後訪問しようとしていた新幹線車両基地内でも同型の機関車が保存されていたそうだが、残念ながら筆者が出向く前に解体されてしまったそうだ。

C58 354号蒸気機関車

もう一方の保存車であるC58の方も、黒い塗装がすっかり剥げてしまっている。雨ざらしというだけでちょっと放置されていればここまでぼろぼろになってしまう。おまけに正面の煙室扉のヒンジ(時計の針のような持ち手と円盤が一体になったやつでナンバープレートの下に本来あるべきもの)も誰かに盗まれてしまったのか欠損している。ナンバープレートをもぎ取ってく不届き者も跋扈している中でこれで留まっているのは幸か不幸か。

少しだけ周辺の利府町の街並みを散策して時間を潰して新幹線車両基地内のPRコーナーへ向かう。訪問前日までに電話での訪問予約が必要だったり、空いている曜日も限定されているようなので、もし訪問するならば気をつけたほうが事前に調べていったほうが良いと思われる。

一見すると200系新幹線だがこれは試験電車、961系というやつだ。
953系試験電車、1990年代のJRの試験電車ってあのTRY-Zなんかもあってなんかワクワクすっぞって感じだったよな。のりもの探検隊のビデオでWIN-350が爆速するやつとか。90年代のJRって程よく国鉄型とこれからの世代の車両が走ってて子供ながらに一番ワクワクさせられた世代だったなと回顧させられる。
こっちこそが200系の営業車の方

この記念館の車両はなんとこれだけだった。というかこれだけになってしまった。他にもEF71電気機関車とかここでしか見られない交流型の電気機関車やSLといった東北地方の昭和の鉄道の歴史の生き証人が奥に保存されていたが、訪問当時の2020年にはすべて解体されてしまっていた。おまけにこの当時は数少ない保存車についても新型コロナウィルスの蔓延防止のために閉鎖され車内に立ち入ることができなかった。無念である。

一般的な博物館ではなく、あくまでJR東日本の車両基地内にあるちょっとしたPRコーナー、少し敷居の下がった鉄道総研のような場所であるとわきまえて行ったほうが良いと思われる。
東北新幹線の東京延伸の時の200系のヘッドが残されている。普通に鉄道博物館にあってもいいような品がひっそりと置かれていたりする。

建物内部には、ちょっとした休憩スペースに新幹線の鼻の部分に取り付けられていた部品が少しと現役の新幹線で使われていた座席のモックアップが置いてあった。また、PRコーナーには大きなプラレールのジオラマとJR東日本で活躍する新幹線の車両と路線についてのちょっとした紹介があった。

おじさんもかつてプラレールでしこたま遊んでいた。その車両、懐かしすぎるラインナップだ。だって今の子たちは普通にE5系とかE6系のプラレールしか知らないわけで、200系スーパーやまびことかその後のやまびこ・こまち連結セットとか知らないんだよな…
やっぱり山形新幹線はこの塗装だよなぁ!?旧塗装も好きだが初代の旧々塗装がやっぱりナンバーワンだ、この実物は鉄道博物館で見ることができる。
これ多分盛岡までやってきてた頃のE1系だから2002年の八戸延伸前だと思うんすよ。幼稚園に入るか入らないかの頃に”でんちゃ”のビデオで見た新幹線、本当にあったんだな。おじさん、懐かしさで感涙だよ。

というわけで新幹線車両基地内のPRセンターの見学を終えて利府駅から仙台駅まで戻るが…途中でなかなか””てっちゃん””としては血の騒ぐ出会いをしてしまったので記録しておかなければならない。

慌ててカメラモードにする

あれは…、新幹線試験車両のALFA―Xじゃないか!?たまたま動き始めたところを並走することになってしまった、咄嗟にカメラを起動しようにもすぐにカメラモードにならない、かなり急いだものの先頭車両を捉えることはできず、中間車だけでも、出会った記録だけでもと必死に写真に収めた。

あああED75だああああああ

おまけに岩切駅に来てみればなんかチキがいるぞ、それもED75だ。これもED75を正面から捉えることができなかったが、せめてもの気持ちとしてこういう形で記録しておいた。現役で動くED75は、客車と貨物の減少でだいぶ姿が減ってしまっている。

仙台市内散策

そうこうしているうちに仙台駅に戻ってきた。土産の萩の月や支倉焼、牛タンの付け合せの南蛮味噌をゲットすることも大事だが、残りの市内観光もしっかりしておかねばならない。

土井晩翠邸

ところで、土井晩翠という人物をご存知だろうか。東京帝国大学を卒業し、詩人として、また英文学者としてホメロス・バイロン・カーライルの翻訳を手掛け、多くの学校の校歌の作詞を担当している。生まれも晩年も仙台市で過ごしており、あの荒城の月の作詞を担当したのも彼であり、何かと仙台市との縁は深い人物である。その晩翠の終の棲家であったのがこの邸宅であり、晩翠の死後、仙台市に寄贈され、晩翠草堂として一般公開されるに至った。

こじんまりとした邸宅である。奥には寝台も当時のまま残っているそう。

仙台に戻って同邸宅を見学していたらいい感じの時間になってきたので昼飯だ。ひとまず牛タンもずんだ餅も麻婆麺も平らげたことだし、ここはちょっと…
ラーメン二郎といこうじゃないか

うおお二郎スメルがするぞ
はい着丼、麺を減らしてニンニクとキムチをぶち込んだ。激臭セットだ。

ラーメン二郎仙台店、ごっそさんでした。家に帰ってシャワー浴びたら風呂場が二郎スメルで激臭だったと同居人に怒られました。

腹ごしらえを済まして向かうはあの伊達政宗公の銅像のあるあそこである。

仙台で有名な銅像

正宗公の銅像があるのは旧仙台城跡、バスで広瀬川を越えて山になっているところをひたすら登っていった先にある。結構駅から離れているのでレトロ調な循環観光バスに乗って行くことをおすすめしたい。

仙台市

ここから見える仙台市の景色は壮観である、晴れていて良かった。

定禅寺通

最後に麓に降りてきて定禅寺通の写真を撮っておいた。杜の都らしい一枚を写真に収めておいた、けれども青葉通の方の写真は撮り損ねていたようだ。
仙台の夏、なんだか切ないけどいい感じの雰囲気だな。青葉城恋唄じゃん。

以上をもって2泊3日の東北地方遠征は幕を閉じた。さらば、仙台。

新幹線ホームの発車メロディは青葉城恋唄になった。個人的には一世代前のやつが好きだったかな。

おまけ

当方はオタクにて中高生の時から旅行に行ったら地方都市のアニメイトに時間があったら訪問してみようというしょうもないルーチンを課している。
当然仙台到着後にアニメイトに訪問してきたのだが…、なんだこれ、魚臭い!!!!!めっちゃ魚の匂いがする。日本で一番魚臭いアニメイトはどこだと聞かれたら、仙台のアニメイトだと自信を持って言える。(メロブもここに入っていたと思われる。)

訪問当時は夢見りあむさんのCDが発売されてしばらく経ってたが、ポスターが残っていた。
デレステ5周年

旅行から帰ってきた時になんとなく秋葉原に寄りたくなってしまう性分なのだが、やはり旅行帰りにここに寄ると東京に戻ってきたんやなとつい感慨に浸ってしまう。

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