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常識は偏見のすり込み

6月4日は”虫の日”らしい。語呂合わせ。

「虫は苦手」という人は多い。私も苦手だ。
だが、昔はそこまで苦手じゃなかった気がする。
というのも、小学校低学年の頃は平気でダンゴムシの巣に手を突っ込んでいたからだ。
今だったら考えられない。

小学校高学年あたりには、もう虫は苦手になっていた。
この差は何なのか?

成長していくにつれて、だんだんと「虫が嫌い」「虫!気持ち悪い!」という周囲の意識に感化されていったのが理由な気がする。
だからもし、周りに「虫気持ち悪い!」という人が全く存在しなかったら、今でも平気でダンゴムシの巣に手を突っ込める人になっていたかもしれない。


気持ち悪い虫の代名詞と言えばゴキブリだ。
害虫だし、多くの人が嫌う。
しかし、見た目だけだとそう他の虫と変わらない気もする。
あえてゴキブリを捕まえて飼ってるような人も、稀にだが存在するらしい。

ゴキブリといえば「気持ち悪い」「即退治するもの」という認識は、幼少期からすり込まれる。
たしかに、部屋にゴキブリが出没して「まぁ可愛いわね〜」とか「元気ね〜」なんて言う母親はそうそういないだろう。
大抵は「気持ち悪い!」「無理!」「殺さねば!」という反応になるだろう。
その姿を幼少期から見ていれば、ゴキブリは害虫というイメージでしかなくなる。
逆に、「ゴキブリ出たわね〜可愛いわね〜」みたいな母親のもとで育ったら、もしかしたらゴキブリを可愛い存在だと思うようになったのかもしれない。
だがそんな母親はレアだろうし、母親に限らず周囲の人間だって大抵「ゴキブリは気持ち悪い」という認識である。

昔から、屋内に出没する虫は害虫扱いされていたらしい。
母親の母親、そのまた母親…世代を跨いで伝えられた意識なのかもしれない。

周囲によるすり込みをきっかけに、本当に苦手になっていく事ってたくさんあるんだろうし、その逆も然りなのかなと思う。
”常識”というものはこうやって出来ていくのかなと。

人間の心理って面白い。

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