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肩の力を抜いて生きていこう

つい先日三十歳になった。三十路ってやつである。もう若者なんて言えない年齢になりつつある。

世間的には専業主婦という立場で、子供もいないので気楽に生きている。それなりの自由度も与えられている。他人から羨ましがられる事もある。
別にマウンティングしたいわけではない。
私は現状に何一つ満足していないのだ。

一体何が不満なのか?そう思う人も多いだろう。私自身そう思う時がある。一体この生活の何が駄目なのかと。贅沢な悩みであると。

前からよく考えていた。
「私はこのまま何も成し遂げずにただ死んでいくのだろうか」
別に名誉が欲しいとは思わない。ただ、自分の生きた証を何か遺したい。
このまま死んだら何も残らない。だから私は死を恐れていた。交通事故に遭ったりして突然死ぬ可能性が怖かった。毎日ビクビクと脅えて生きていた。

この状況が嫌で、二十代後半から何か技術を習得しようとがむしゃらに学んだ。
私の事を最近知った人は"手先が器用な人"という印象を持っているかもしれないが、数年前まではものづくりなんてほとんど出来なかった。編み物も2年前くらいに母親に教えてもらいながら習得したものだ。
とにかくがむしゃらだった。何もしないという行為が怖くて出来なかった。だから息継ぎもせず走り続けてきた。
二十代前半は仕事してない時はゲーム漬けのような生活だったが、ここ数年はゲームもほとんどやらなくなってしまった。というより、ゲームに割ける時間が取れなかった。「忙しい」が口癖だった。私の中に暇な時間なんてものは存在しなかった。しょっちゅう「暇」と言っている人に「その時間を分けてくれよ」と何度思ったことか。

ただただ怖かったんだ。

当時の私は力が入りすぎていたように思う。
だが、全力で何かに取り組んでいると見えてくる事もある。
「何も遺せなくても別にいいじゃないか」
もし仮に明日突然死んだとしても。この人生で何も遺せなかったとしても。私は今日までやれる事を全力でやってきた。それなら悔いはないと。
何かに全力で取り組む。これは苦しいけど楽しい。今自分が生きているなと実感出来る幸せ。それがたとえ誰にも評価されずとも。お金にならない事でも。成し遂げられなくても。
その事に全力で取り組んだ事実だけはある。誰にも認知されなくても。自分が胸を張って言える。ただそれでいいじゃないか。

冒頭に書いた現状に満足していない問題。出来れば早急に解決したい。その為にやっぱり私はがむしゃらに頑張っているけれど。昔よりは焦っていない気がする。吹っ切れたような。
一歩一歩出来る事をやっていく。ただそれだけだ。
最近は多少は何かを遺せてるのかなと自信もついた。この駄文だってその一つなのかもしれない。

やりたい事を無理しない程度に全力でやって、気付いたら人生終わってた。そんなもんでいいんじゃないかな。

肩の力を抜いて生きていこう。

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