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一瞬の永遠、ゼロになる瞬間。

あなたはこれまでの人生で、”一瞬の永遠”を感じた事はあるだろうか。

いきなりこんな書き出しをしたところで「何のこっちゃ」と言われるかもしれないが、私はずいぶん前から”人は一瞬の永遠を探し求める生物”だと思って生きている。

登山してて山頂に到達した瞬間、散歩で多摩川の川沿いに出て急に視界に青空が広がった瞬間、音楽フェスで音楽に揺られながら音と一体になったと感じた瞬間、南の島でコバルトブルーの海を見た瞬間、旅行先でものすごくおいしい物を食べた瞬間、猫とダラダラして過ごした日のふとした瞬間などなどなど…。
そんな些細な瞬間に私は一瞬の永遠を感じてきた。

人によっては誰かを愛した瞬間とか、何かを理解した瞬間かもしれない。
芸術家なら創作活動の中でその瞬間に到達する時もあるのかもしれない。

中学の頃愛読していた”ウォールフラワー”という本のラストシーンで「無限を感じる」という表現がされていた。

いわば、自分の中で何もかも全てが無になった瞬間とでも言うべきか。楽しいとか嬉しいといった感情とは違う。虚無とか空虚みたいなものともまた違う。そこにはポジティブもネガティブも存在しない。
大自然に触れた時に感じる事が多い。自分のちっぽけさを思い知りながらも、そんな事はどうでも良くなり、ただ世界の一部として存在する事を感覚で思い知る。
その瞬間だけは、自分のこれまでの歴史やちっぽけな悩みが全てどうでも良くなってしまう。
うーん、言葉では言い表し難い。仏教の悟りの境地に近い部分もあるのかな。

”千と千尋の神隠し”の主題歌、”いつも何度でも”の歌詞の中に”ゼロになるからだ”というフレーズがある。
”さよならのとき”や”はじまりの朝”と対になっているこのフレーズ。意味深であり、人によって様々な解釈がされているだろう。
この”ゼロになるからだ”も先述の感覚に近いものなのではないかというのが私の解釈だ。
”ただ青い空の青さを知る”というフレーズも併せてこの曲は大好きだ。

ゼロ。無。
数字で表すと0。
プログラミング言語だとnull。
この無を科学的に言い表す学問が物理学とか数学なのかもしれない。
前から興味あるからそのうち勉強しようなんて思いつつも、他にやる事多すぎて放置しているが。
ちなみに私は学生時代、このあたりの学問には人一倍興味がなかったし、言ってしまえば大嫌いだった。学校教育は人間を学問嫌いにする為に全力を尽くした前時代的なものだと考えているが、それについては別の記事で語る事にしよう。

そういえばこの”一瞬の永遠”という言葉、私の愛聴するGRAPEVINEの”CORE”という曲の歌詞にあって初めて認識したような気がする。
この曲を初めて聴いて「一瞬の永遠ってあの感覚の事か!」とピンときたような。全てが線として繋がった瞬間だった。この瞬間もまた一瞬の永遠だったのかもしれない。

最後にこの言葉を繰り返す。
あなたはこれまでの人生で、”一瞬の永遠”を感じた事はありますか?
それはどんな瞬間でしたか?

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