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問わず語り

まだ若く迷える子羊だった四半世紀ほど前、たまたま見てもらった占い師に「頻繁に居場所を変える相が出ています」と言われたことがある。そのときにはピンと来なかったのだけれど、もしかしたらこの言葉には「あなたは飽きっぽい人ですね」という意味合いも含まれていただろうか。
これまでいろいろなブログサービスを利用してきたが、3~4年も続けていると、飽きてしまってぶん投げたくなるのが常。その「飽きっぽさ」のために幾度も別のサービスに乗り換えてきたことも、「頻繁に居場所を変える」行為に含まれるかもしれない。

思えば、ネット草創期を体験してきた50代60代の人にとって、ブログの登場(当時は『ブログ』と呼ばれず、『日記』と呼ばれることが多かったかも)は画期的な出来事だった。何しろネットの専門知識を持たずとも、簡単な操作のみで誰でも個人の見解が拡散できるようになったのだから。

このプラットフォームが全盛期を迎えたのはおそらく’00年代半ば頃のことだと思う。
私自身も店や商品の宣伝などに大いに活用させてもらったものだが、今は「一読して理解できるキャッチ―な短文(Twitter)」や「一目で把握できるおしゃれ画像(Instagram)」、または「パンチのあるおもしろ動画(TikTokやYouTube)」など、究極のわかりやすさが重視される時代。東日本大震災以降に店をはじめた人は端からブログサービスなど利用していないだろうと思う。
つまり、ブログは今や商売上必ずしも必要なメディアではなくなったわけだ。

そう思いつつも、昨年、初の自著を上梓したときに改めて感じたことがある。
それは、物事を筋立てて「長めの文章」を書くことは自分の思考をなぞる上で大いなる助けになり得るということ。
前のブログを放置したときは、仕事に必要な情報の発信はTwitterやInstagramで十分事足りているから、そのままフェイドアウトさせてもよいのでは?と考えたりしたものだけれど——それだと大事なものを見落としてしまうようにも思える。

「思想」なんて言葉を使うと大仰になってしまって気が引けるが、自らの手で商売をはじめた人間であれば、目には見えないなにがしかの「想い」を抱きながら日々の仕事に携わっているはず。
そういった想いは普段、自分の胸の内に収めておくべき不可視のものだけれど、何らかの刺激が加わると、勢い余って外に弾けて飛び出してしまうこともあると思う。
そんなはみ出した想いをひとりごちる場として、ブログを活用するという手もあるのではないだろうか。草創期の「日記」に戻るような感じで。

最近「note」というプラットフォームを利用する人が増えていると聞いたので、(またもや居場所を変えることになってしまうけれど)ここいらでちょっと世の流れに乗っかってみようと思う。
頻繁に更新することはないかもしれないが、誰の役にも立たない不要不急の文章を折に触れて書いてみたい。

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