「和田誠の仕事」展と、濃密で心臓が縮むような時間[2010・5〜12]

5月×日

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仕事場(机)を借りているクライアントの会社で働いている「上司」的な存在のHさんと、ブルータスの「うつわ」特集に出ていた奈良美智の陶芸作品の話で盛り上がり、清澄白河の小山登美夫ギャラリーで始まった奈良美智展「セラミック・ワークス」に一緒に行くことになった。奈良さんにとって陶芸は新しい試みだったとのことで、美術手帖でも大きな特集が組まれていた。ギャラリーに足を踏み入れると、例の奈良さんのキャラが見事に立体化されており、思わず立ちすくむほどの迫力だった。家で毎日1歳児と向かい合っているので、子どもならではのふてぶてしい頬の再現度に目を見張った。先日ミッフィー展で見たミッフィーの立体にも通じる物質感。乳幼児の体のフォルムってすごいと思う。Hさんは小さな顔の一体が気になって、しきりにほしがっていたようだったが、実際これらの作品はいくらで手に入れられるんだろうか?

観終わってもう職場に戻るかと思ったらまだ時間があるとのことで、深川でごはんを食べてから、予定になかった東京都現代美術館のフセイン・チャラヤン展にも立ち寄ることになった。以前フランスのファッション雑誌を定期講読していた頃、よく名前をみかけたことがあった。トルコ系ということで、イスタンブールに旅したことがある自分には、とりわけ親しみが感じられるデザイナーだった(が、もちろん彼の服を買ったことはない)。すぐロンドンに移住したというから、ファッションの仕事そのものは西欧文化の流儀に則っている部分が大きいのかもしれないけど、ファッションを逸脱したアートの部分にトルコ出身らしい、というか、西欧文化に回収されない、ヨーロッパとアジアの境界に生まれたマルチカルチュラルな歴史観や問題意識みたいなものがにじみ出ているように感じられた。その点では川久保玲と似ている部分もあるかもしれない。
 

6月×日

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初台の東京オペラシティアートギャラリーで猪熊弦一郎展「いのくまさん」を観た。展示のアートディレクション、グラフィックデザインを大島依提亜さんが担当していた。丸亀の猪熊弦一郎現代美術館にはどうにも行けそうになかったから、近くでこういう展示が開かれるのがとてもありがたい。初めてまとまった形で作品を観て、月並みな感想だけど「天才だなあ」と素直に思った。幼少期の作品から才気走るようなセンスに満ちている。スタートダッシュからしてすごい。努力しても絶対に追いつけないような才能。個人的には、1950年代中盤にニューヨークに渡り、高度成長の空気の中で制作された「都市」のシリーズに強く惹かれた。形に対する鋭敏な感覚が伝わってくる。本質的にモダニストだと思う。
 

7月×日

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ここ何年かアルバム関連のアートディレクションを担当している、スムルースの東京公演の日。ライブの前に、イラストレーターはまのゆかさんの個展「Presents」が代官山のGALLERY SPEAK FORで開催中だったので立ち寄ることにした。実は先月末、ヴォーカルの徳田君との電話でのミーティングで、はまのさんのイラストを次回のアルバムに起用することが決まったばかりだった。これまでの三部作(UNITE、WALK、HAND)で、色を抑えたメンバーの写真にテーマカラー一色という試みを続けてきて、次回はこれまでとは違ったものにしたいという話を聞き、徳田君とは大学の先輩後輩の関係で、今年に入って何度かイベントでの共演等が続いているはまのさんと、アルバムで本格的にコラボレーションしてみよう、ということになったのだ。はまのさんはあいにくギャラリーには不在だったが(ライブ終わりに会うことができた)、広い会場の中につつましく飾られた可愛い作品を見比べながら、アイデアを頭の中でふくらませていった。
 

8月×日

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梅佳代写真展「ウメップ! シャッターチャンス祭り in うめかよひるず」を観に、表参道ヒルズへ家族3人で行く。壁一面に飾られた写真がどれも面白く、いろんな人の様々な人生を否定せず思いっきり肯定していて、心の中で笑い泣きという感じだった。しかしその写真以上に面白かったのが、地べたを走り転げ回り、会場中に響く大声で泣き叫んだうちの娘(当時1歳10か月)だった。まさに、リアル・ウメップ。ひとしきり泣き終わると今度は、表参道ヒルズの地下3階から地下1階まで続く長い階段を一人で昇っていった。その一部始終を、梅佳代さんに撮ってもらいたいほどだった。代わりに会場内に設置されたセットの前で記念撮影(上の写真)。

 

9月×日

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8月から大変な仕事の連続で疲れてしまい、ずっと「負け」が続いているような心理状態が続き、展覧会を観に行くような心の余裕がまるで出なかった。9月に入ってからは急性腸炎を患い体調までダウンしてしまった。経口補水液を手放せない毎日だった。ようやく心身のゲージがマイナスからゼロ近くまで戻ったところで、約1か月の間沈んでいた重い腰を上げて、「和田誠の仕事」展(渋谷・塩とたばこの博物館)へと向かうことにした。最初は厭々連れて来られた子どものように心を閉ざし、心の薄目を開けるようにして見ていた。たばこをテーマにした前半の油彩は今回のための描き下ろしとのことだった。その新作を描く過程を撮影した制作風景の映像がテレビで流れていたので、ソファに腰掛けてずっと見ていた。作画には恐ろしく手間がかかっていて、とても緻密な作業だった。途中で間違えたり、やっぱりダメだ、と筆を折りたくなるような恐怖に常にさらされているような感じ。一枚の絵の制作時間は2時間〜2時間半と短いのだが、とても濃密な、心臓が縮むような時間だと思った。ぼくが和田さんだったらとても耐えられない。映像を見ているうちに、静かに心の内側に積もるものがあった。やる気というほどのものでもないが、魂に小さく息を吹きかけられたような心地がした。展示作品がもれなく収録された図録を買って帰った。あとで落ち着いたら読み返してみよう。

9月×日

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ようやく調子が少しずつ戻ってきた。アンダーワールドのカール・ハイド展”What’s going on in your Head when you’re Dancing?”が最終日とのことで、急いでラフォーレミュージアム原宿へ。昨日の和田誠展のように制作風景が映像で公開されていた。一見プリミティブに感じられるペインティングが、鉛筆による下書きが重なる部分を丁寧に消しゴムで消したりして、意外に緻密に描かれていることがわかった。かと思うと、丁寧な作業を途中で止めてまたラフに描いたりして、必ずしも緻密さが徹底されているようでもない。ところどころの力の抜き方も面白い。とにかく他人の作品の制作過程を見ることがこんなに楽しいのだと、昨日に続いて味わった。カール・ハイドの奥さんは日本人のようで、作品解説にも日本からの影響についての記述があった。墨を使って描かれた円環は、言われてみればたしかに書道っぽい。会場でずっと流れていたBGMは、アンダーワールドの盟友リック・スミスによる今回の展示のために作られたオリジナルとのことだった。アンダーワールドからビートを取り除いたような心地良いアンビエント。限定2000枚で展示会場のみで販売、というCDを迷わず購入した。会場だけで2000枚も売り切れるとは到底思えなかったけど…。

9月×日

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ギンザ・グラフィック・ギャラリーで、プッシュピン・スタジオ(シーモア・クワスト/ポール・デイヴィス/ミルトン・グレイサー/ジェームズ・マクミラン)の活動を振り返る展示「プッシュピン・パラダイム」を観る。会場にはビートルズの曲がずっと流れていた。プッシュピンの4人をビートルズに譬えたら、ミルトン・グレイサーがジョンで、シーモア・クワストがリンゴ、ジェームズ・マクミランがジョージ、やっぱりポール・デイヴィスはポール(同名だけに)、といったところだろうか。ジェームズ・マクミランの作品から、次に控える黒沢健一の2枚組ライブアルバムの仕事への小さなヒントを得た。そのヒントを逃さぬよう図録を購入。

 
11月×日

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複数並行していた仕事が一つずつ終わっていき、ようやく雪融けにも似た温かい感覚が戻ってきた。先週、メインマシンのMac miniのハードディスクを話題のSSDに入れ替えたのに続き、事務所のiMacのHD故障にともない再び秋葉原のMacショップへ。修理してもらっている間に、今年オープンした末広町の3331 Arts Chiyodaに行った。目的は日比野克彦の個展「ひとはなぜ絵を描くのか」。先日寄ったときも思ったが、廃校の校庭に人工芝を敷き詰めた広場がとても心地良い。日比野さんについての予備知識は、80年代に一世を風靡した段ボール素材の作品あたりで止まっていた。今回の展示は、その頃の作品も含め、ここ数年で旅した世界各地での活動を振り返る文字通りの回顧展だった。彼自身のスタートにあたる段ボールの作品から、大きく振り幅が広がっていることにまず驚いた。

誰かから聞いた話で信憑性は計りかねるが、日比野さんの初期の作品は段ボール素材のため保存がきかず、有名なギャラリーや美術館では受け入れてもらえなかったらしい。そんな事情もあって、いわゆるアートに価値やお金を結びつけるような活動に背を向け、現在に至ったのだという。「ひとはなぜ絵を描くのか」という根源的なテーマに基づいて世界を旅し、人々の暮らしや風土をサンプリングしながらそこに自分なりの作業を加えていく。その手つきがお金にまみれていないというか、すがすがしいという印象を持った。芸術家というより冒険家に近い。フィールドワークといった堅苦しい感じではなく、現地の人たちと遊び、直接的に結びついていくような活動。その中で作者自身の「なぜ絵を描くのか」という自問への答えも明らかにされていく。そしてその問いは必然的に、それらの作品を見ているぼく自身の具体的な事情の上にも降りてくる。

どれも興味深い内容だったが、中でも旅の途中のフランスでのトランジットのホテルで缶詰になりながら、部屋の中にあるものを次々と描き続けた一連のドローイングが面白かった。朝顔の花を咲かせてその種を配る「明後日朝顔プロジェクト」にも、ここ(展示の場)にとどまらない広がりを感じた。こういうカテゴライズが難しい活動を引き受ける3331 Arts Chiyodaという場の柔軟な姿勢にも好感を持った。

──2010秋以降の展覧会ツイートを、こちらのハッシュタグ #gbiyori に残しています。

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