原研哉デザイン展「本」と、仕事の背後にひそむ初期衝動[2009・2]

2月×日

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青山から原宿の住宅街へ出戻り再オープンしたギャラリーROCKETで、懐かしいタイポグラファー、ネヴィル・ブロディの展示「BRODY@ROCKET」があるというので行ってみた。昔は2Fもフルに使った展示空間が魅力だったが、今度のリニューアルでは天井の高い1Fだけを使っていて、ブロディの作品もポスターやアートワークが貼られただけの簡素な展示。80年代のTHE FACE誌やキャバレー・ボルテールのジャケットなどの仕事が脳内に焼き付いているから、別によかったけど(→公式サイト)。ブロディやカーソン、デザイナーズ・リパブリックを含む、90年代のデジタル・タイポグラフィのムーブメントについてはいつかきちんとまとまった形で見てみたいと思う。

2月×日
もはや恒例の見本帖本店「クリエイター100人からの年賀状」展へ。移転の挨拶状を兼ねた細山田デザイン室の周辺MAP付年賀状が目を引いた。牛柄や丑の文字を使った表現にもいろいろあって面白い。竹橋まで歩いて、東京国立近代美術館の「コラージュ-切断と再構築による創造」を観る。展示会場のギャラリー4は小ぶりで、たくさんの作品を期待すると肩すかしを食う。大竹伸朗や伊藤桂司の作品はなかった。

娘の誕生祝いをくださった方へのお返しに今治タオルを贈ろうと思い、帰りに新宿伊勢丹の販売コーナーに立ち寄って何枚か選んだ。今治タオルは、佐藤可士和がブランディング・ディレクションを担当してずいぶん話題になった。「ブランディング」という言葉にはいまだに眉唾な印象があるが、この佐藤可士和が手がけた今治タオルプロジェクトはブランディングの見事な成功例といっていいだろう。もともと愛媛県今治市は国内のタオル生産の半数以上を占め、国産タオルといえば今治であり、ま、いわばありふれた存在だった。それが中国製の安いタオルに押されたのを機に、高品質化への道を進んでいく。ごくありふれた国産タオルが、佐藤可士和のデザインと見立ての後押しも加わって、いまでは高級・高品質タオルの代名詞に……。特別なファンではないが、彼のこういう仕事ぶりには感心してしまう。彼の本質は、デザイン機能の付いたマーケターではないかと思う(もちろんデザイナーとしても優秀だが)。自分が、編集機能の付いたデザイナー(あるいは逆)なので、その辺の立ち位置にはなおさら共感できるのだ。もっともブランディング云々以前に、佐藤可士和自体がひとつの「ブランド」だという説もあるが。

……と、娘の内祝にまでデザインのことをあれこれ考えてしまう父親ってどうだろう? 大きくなったら聞いてみよう。

2月×日
初めて行く吉祥寺美術館で、原研哉デザイン展「本」を観る。副題にあるとおり「友人、原田宗典がモノ書きだったおかげで」、デザイナーとしてのキャリアが始まったのだそうだ。正直、原さんが著書で展開するデザイン論・表現論にはある程度共感しつつも、心のどこかで小さく違和感を感じていた。デザインを駆動する力の第一歩は多くの芸術と同じく「初期衝動」であり、それは決して理論化したり言葉にすることができないものだと思っているからだ。だが今回、初期から最近までの仕事を順番に並べた構成のおかげで、原さんの仕事の背後にひそむ初期衝動を少し垣間見ることができてよかった。

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続いて、前から気になっていた金谷裕子展「長寿の子」を観るためにじ画廊へ。ステンドグラスをほうふつさせる平面構成。色彩感覚はKiiiiiiiのLakin’とも共通点を感じる(やっぱり友だちだそうだ)。不思議な印象を残したまま、本日のお目当ての下平晃道個展「覚えたての空間」(Artcenter Ongoing)に向かった。「覚えたて」=子どもの頃、ということで、生まれた頃の網膜に焼き付いた光景を再生しているかのような、ぼんやりしたペインティングが並んでいた。自分自身が子どもの視点であり、また数ヶ月後にはこの世に生まれてくる子どもを想う親の視点にもなっている。そんな感想を伝えたら「なるほど〜」という感じでうなずいていた。夢中で描いたり撮ったりした作品には、作者の隠しきれない心の内側がありありと浮かんでいることがよくあるものだ。

2月×日
伊藤桂司久々の個展「TURN ON, TUNE IN, CUT OUT!」を表参道のギャラリー360°で。コラージュだと思っていたらペインティングだった。油彩の一か所が車や人などのシルエットで白く抜けている、シュールな作品。その後、TKG代官山でチャップマン兄弟とデミアン・ハーストの作品展を観る。

――2010秋以降の展覧会ツイートを、こちらのハッシュタグ #gbiyori に残しています。

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