っぽさ

もうそろそろグロスタのほうが始動しそうなところである。歌い手という存在として、自分には何ができるだろうかとか、それっぽいもんってなんだろうって考えながら、まあわかんねえよなといつも通りの曲を作る。

やったことない人間に、その行為の深層的なものは見えないし、そもそも、「っぽい」とかいうものがその世界には存在するのかと言われると、唸ってしまう。だから、最終的に提供できるものは、自分が今までの人生で培ったものだとか、今なお積み重ねている日々という名の墓標とかをぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたものでしかない(言ってもまだそう長くは生きていないが)。

そういうものは、果たして美しいのだろうか。前にも話したし、今後も話すだろうけど、自分は、真に美しいものを美しく書き、汚いものを汚く書きたいと思っている。ある意味、この世界のありのままを描いていきたいと思っている。それゆえ、何か自分の中で消化しようとしたものが、果たして真に美しいものであるのか、それとも汚く下品なものなのか、そういう部分は、改めて考えていく必要がある。真に美しいものはもちろん、汚く下品なものにも、美しさは宿ると思っている。

これから、自分はどんな曲を作っていくのだろうか。いろんな曲を作るだろうけど、やっぱりいろんな人に聴いてもらいたいし、それを聴いた人間が、その瞬間だけでもいいから、なんか変わってくれたらいいなと思う。そういう相互干渉的な世界で、自分は生きていく。

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