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危機感はある

「今日投稿すれば100日連続!」と、人ではない何かに言われました。
連続投稿100日目です。

100日続いたのは累計で2回目になります。ストックを作らずその場しのぎで100日連続投稿ができているのは読んでくださっている皆さんのおかげです。「何か届けないと」その一心で反芻し、紡ぎ出す作業にもそろそろ慣れてはきています。

続けることの大切さはよくわかっています。ずっと前に出した記事に今になってスキがつくと、ああこの時の自分が書いた記事が、ちゃんと評価されているんだと素直に嬉しい気分になる。最近だとペントミノパズルについて書いた記事 (初期の初期ですからビュー数もごくわずかなのですが) に軒並みスキをつけてくれた人がいて、ようやく報われた気がしました。


さて問題は、ここから365日連続投稿までがいかに遠いか、という話です。冒頭で100日連続投稿は2回目だと述べたのは当然、100日連続投稿後に一回途切れさせているからです。あの時はぶっちゃけ事故みたいなものでしたが、感じた喪失感とやりきれなさはテストに寝坊したときのような、いや下手するとそれ以上のものがありました。後悔を繰り返さないよう、今回は節目節目にうつろという自己を啓発する意味での自己啓発を挟んでいこうと思いました。

この話をしたいと思ったのは他にも理由があります。昨日の夜ごろ、何やらnote内で通信障害があったらしく、パソコンでの執筆をやむなく断念しました。スマホのアプリはなんとか入れたので投稿できましたが、もしその発想がなかったらやりきれない思いでカウントを0に戻していたと思うと震えます。これからも通信障害がないとも言い切れませんから、そういう意味でもストックは大切なんだなぁと何度目かわからない実感をしています。


いやそもそも、ストックができないこの状況こそ、一番大きな問題なのではないか。楽しんでやれていないのではないか。ただの義務として、やり始めてしまったから続けているだけで、365日連続投稿を達成したら投稿頻度がガタ落ちしてしまうのではないか。正直、危機感はあります。

このままただ漫然とやっているだけではただの日課の範疇で終わってしまうような気がするし、続けていくとしても自分のやる気がなくなるか記事を生み出すだけのbotと化すかの2択しかないような気がします。あいにく僕の勘は恐ろしく当たるので、そろそろ変わっていかないといけないんだよな。ストックが云々とかいう話ではなく、根本の投稿のスタイルを変えていかないと、読者にとっても僕にとっても、あまり良くない時間が流れることが目に見えています。

残念ながら僕には大した趣味がありません。そんなに頭がいいわけでもないので誰も気づいていないことを突然に閃くこともありません。日常もさして面白くなくて、しかも仮に面白いことが起きたとしてもその一瞬を捉えることを忘れて逃してしまいがちです。

今日の帰り道も車の影に隠れていた白黒ブチの猫とバッタリ目があって、向けられた驚愕の表情に思わずよろめいてしまったのですが、カメラに収めることができなかったな。子供の頃から開発されるのをずっと待ち望んでいる「目カメラ」(目に直接取り付けるタイプのカメラで、自分が体験した咄嗟の出来事を即座に撮影することができる) があれば、あの気の抜けた表情をバッチリ被写体として現像することができたのでしょうけれど。


という感じで今日は雑記でした。
これからも楽しい、面白いと僕が思えることを探して書いていきます。記事全体の共通点は「僕の趣味」なのでフォロワーが増えないのも無理はないですが、とりあえず今はニッチに刺さるコンテンツを産出し続けることが、僕にできる唯一のことです。

明日はどんな日になるだろう。
今日をもっと楽しく。
口にだすとかっこわるいことも、文面ならちょっとだけ詩的でよくないですか。
エッセイ、大事にしたいです。

おわり。


#雑談 #毎日投稿 #連続投稿100日目 #継続


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