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恥ずかしさと後ろめたさをなくしたい

恥ずかしさってどこから生まれるんでしょうか。

例えばドラッグストアに行って、男性ならファウンデーションやチークや口紅、女性ならギャツビーのワックスや髭剃りを買い物かごに入れてレジに向かったとします。
店員さんにかごを渡すとき、多少なりとも躊躇が生まれるんじゃないでしょうか。

これが恥ずかしさです。
この理論から言うなら、恥ずかしさの根底にあるのはつまり、自分が周りから受ける (かもしれない) 反応を予見して生まれる、ためらいの心です。実際、馬鹿にされるかはわからないし、彼氏や彼女や友人のものを代わりに買っているのだとか、いくらでも言い訳はできます。それでも恥ずかしくなってしまうのは、自分を守るための一種の防衛本能です。


これとよく似た感情に後ろめたさがあります。
今週の「水曜日のダウンタウン」では、芸人が怪しげな闇風バイトに勧誘されて、引くに引けなくなってしまう様子が描かれています。一種のドキュメンタリーを見ているようで少しヒリヒリしました。

めちゃくちゃ面白かったのですが、僕がここで話題にしたいのはエンタメとしての良さではなく、芸人たちの深層心理です。
彼らは先輩芸人に言葉巧みにバイトを持ちかけられ、それに従ってしまう。しかし、どんなに状況がおかしな方向に進んでいっても逃げ出すことは誰一人としてできませんでした。

おそらくここには後ろめたさが関係しているのだと思います。
あの先輩芸人からの依頼だから、断れない。もし逃げ出してしまったら、その後の関係が悪くなってしまうかもしれない。次に会ったときに、「何してくれてんだお前」って言われるかもしれない。

そんな不安が、彼らを闇風バイトから抜け出せなくさせたのだとしたら、正直かなり怖いです。「闇バイトを断る勇気を!」と必死に宣伝してましたが、あれを見せられた後ではむしろ不安が増しました。
人をロッカーに入れるのも多分やばいと思うし (ロッカーの扉の裏に「人を入れるな」的なマークがついてたように見えた)、BPO審議入りにならないか心配です。

後ろめたさが恥ずかしさと「似ている」と書いたのは、勘のいい方ならもう説明の必要もないかもしれません。
こちらもやはり、「 自分が周りから受ける (かもしれない) 反応を予見して生まれる、ためらいの心」が根底にあるんです。先輩後輩の関係性になってきたりするとこの感情は顕著に現れるようになります。


これから限られた学生生活を享受するためにも、僕はこの2つを極力なくしたいと思っています。恥ずかしいと思っても一歩前を踏み出して歩いてみたいし、「後ろめたい」で諦めず新しいことにチャレンジしたい。

もう早速行動してきました。
少し前からカラコンを買いたいとずっと思っていたので、ついにドラッグストアで購入したんです。ちなみに、より目立つように色付きのやつを買いました。
わざわざカラコンつけるくらいなら、バレてみたいじゃないですか (これは正常なのかな)?度数付きのものが買えなかったのは少し悲しいですが、いい感じの色が買えたので一安心です。
わりと規制が厳しいようで同意書的なのを書かされました。印刷が滞っていたようで向こうの対応ももたついてたな。ちょっと恥ずかしかったけど何事もなかったように振る舞ったので、もう問題なしでしょう。

一方で後ろめたさを感じ続けていること。話し出すとキリがありません。
多いのは後ろめたくて辞められないことです。コミュニティが出来上がってしまった5年目のバイト、友人とランダンで王冠を獲り続けるためだけに続けているパズドラ。ここらへんはそろそろ辞めていかないと。残された時間はそう多くないのだから。

ネットに情報発信ができていないのも、結局は恥ずかしくて、気が引けるからです。無意識に誰かからの批判を怖がっている。これでは大きな存在になる権利も持たせてもらえません。
少しは恥を忍んで自分を信じて、強く生きていきたいですね。





※ちなみに僕は紙粘土顔負けの可塑性を誇り、少したったら今と全く言っていることが変わるかもしれないですが、ご了承ください。今の本心には変わりありません。


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