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平等を貫いたうちの両親について

家の両親は
わたしの弟とわたしを一切比べません。

わたしの弟は
高校時代から付き合っていた彼女と
早くから結婚し、子供もふたりいます。

若い頃から人生に絶望していた
わたしは、そんな弟に劣等感を持ちつつ

親戚などの集まりなどにも
すごい気まずい思いをして参加していました。


しかし、わたしの両親は
一度も弟とわたしを比べたことは
ありません。

平等に接してくれます。

父親は子どもの頃
学業優秀な弟と比べられて
とても傷ついた過去があります。

その時の悲しさから
わたしたち子どもに対しては

「絶対平等」

を信念としていました。


そんな絶対平等を
わたし自身嫌っていた時期もありました。


しかし今となって思い返すと

彼らが、平等を
貫いてくれたから

わたしは曲がりなりにも
呑気に生きられ、そしてなにか
自分の道のようなものが見えつつあり

それは、わたしが
フラフラしてても、
一緒に暮らす父は大して小言も
言わず、放っておいてくれたからでした。

「平等、平等ってうるさいなぁ、人それぞれ違うんだから全部平等なんてできるわけないじゃん。」

と思って、嫌っていた時期もありましたが
いまとなってはこれは、


両親の愛だったんだ


と気づきました。

祖父から父へは
差別主義的な教育がされ

それに傷ついた父は
それをなんとしてでも止めようと
わたしたち子どもに平等に接してくれました。

そして、その平等を受け継いだわたしは
これから人と人との違いを活かし合う調和へと変容させようとしています。

時代から時代へ
その時代だったからこそ
愛の表現の仕方があります。

愛の表現は様々です。

差別が愛の表現の場合もあるでしょう。
平等が愛の表現の場合もあるでしょう。
調和が愛の表現の場合もあるでしょう。


こうやって時代ごとに
愛の表現の仕方が変わります。

昭和→平成→令和
差別→平等→調和

いままでのすべてを受け取って
調和というものは成されます。

そんな平等を貫いた
両親に感謝したいと思います。

今日、そのことを父に伝えたら

「自分がされて嫌だったことはしなかった」

とぼそっと呟いてました笑


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