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26.うつ病という穴

うつってなんなの?て思う
うつなるきっかけをくれたひとたちに伝えたい

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いつのまにか
私は自分を厄介者だと思いました
振り返りばかりのぐるぐる思考で
反省とは名ばかりの後悔の渦です

そこに飲まれたままでは
溺れてしまいますが、診断時

多分とっくに
溺れていたでしょう

なにを大切にしたらいいか
なにを捨てたらいいか
普段の決断力には自信がありましたが
仕事にしても休みの予定にしても
いま小さな選択にすら
またその迷いすら浮かびません

吸う息の浅いこと
吐く息の深いこと

どうしてこんな生きづらい気持ちが
自分の中に生まれたのか

上司にはごまかし
下には都合のよいことをいうか切り捨てる
自分の保身ばかりをきにするひとをみて

虚しい気持ちはいつか
頑張れない気持ちに変わりました

頑張れない気持ちは
立ったまま足がすくんで動かなくて
腰まで固まり座ることもできない
声はかろうじて出るけれど
息を吸って吐くので精一杯


罵りや辱めを受けて
やる気に満ち溢れていた頃の自分すら
無意味やそのスタンス自体が
無知に見えて恥ずかしい

誰かを励まそうとして
自分を励ます力はもう残っていないことに
気づいたときには倒れていました

同じような気持ちに
なっている人をたくさん知りました
ずっと前からいたけれど
きっと吐き捨てられていたのでしょう

誰が悪いとか悪くないかではなく
ひとは死んだらおしまいです
わたしはまだ生きています
生きていたいから生きてます 


が、会社に入って10年以上
保っていたモチベーションや居心地の良い
人間関係、昔と同じような
安心感やワクワクはもう感じられないのです


これがうつ病罹患を
自覚することなんだと思います
(感覚がとまっていたので気づいたのは診断から半年でした)

もし
うつ病患者が身近にないひとがいたら
どうか
私が特殊ではないことだけは信じてください


リワークで同じようなひとに出会って
色んな意味で救われて
どん底に落ちそうなとこから
下げ止まり下げ止まりの日々を過ごしてやって平行線で生きていける


ひとつだけ救われた気持ちは
ひとを大切にして生きることには
丁寧に生きていたことで
社内外のひととのつながり
個人間の信頼関係を再認識したことです

排他的で批判をベースに
役職をかかげて人を貶すような
会議や評価をする人たちがいました

でもそんなことをしない方々はいて
たまに一緒に過ごす時間は短くても
私のうつの下げ止まりに1番効いた
処方箋でした

副産物のような気づきは私の
生涯大事にしようと決意に変えることが
できましたが、どうしても
「うつ病にかかってよかった」
なんて
一生断言できないでしょう

掘ってしまった穴を避けて
できるだけ平らな道を歩くのが今の私が
生きていく術だなと感じています
(いつか穴の存在を忘れられたら嬉しいことです)

この穴は塞げません
ただ穴ができたあとに
その穴を一緒に見つめてくれる
心理師のひとに出会って
穴を遠くに見ることはできると知ることができました

ぽっかりあいた穴は空洞です
穴自体がうつです

そこから遠ざかるために
必要だったのが
休職期間でした

休職せざるおえなくなったこと全体をを自己責任と
いっても
休職したことだけは悪く言わないでください

休職して離れないとあけてしまった
穴のなかできっと私は
もっと大きな病気にかかったり
生きるのを諦めてしまったと思うから

故意に穴に落としたかったひとは
いないかもしれませんが
自分からのこのこ楽しくもない穴には
入ることはないので
穴を自覚するまでは時間がかかりました

穴を自力で這い上がるのは
大変だなあと思います

入り口であり出口は
涙でなかなか見えなかったし
声はそとにはなかなか届かないのです

自分の動悸を音で感じるほどの
静かで暗いのがうつの穴です

思ったよりも簡単に
思ったよりも長い時間をかけて
できて、大切なものを失う

それがうつの穴です

私は休んでよかったと心から思います

でもうつ病になってよかったとは
全く思えません

うつの消えない穴をみて
心底笑うことはないなぁと思うからです

だいぶ離れた気はするけれど
認知の歪みはあるのかな
って不安になりながら
共感してくれる人に向けて書いています


うつ病は死にたくなってもおかしくない病だって
自分で自分を殺す病気なんだってね

知ったから書いておきます

そしていますごく複雑な気持ちです

休んでよかったー!と両手を広げて
休みをあけて社会復帰をしたいけど
同時その休みはあくまで病気罹患という
代償が伴っていたことであり
罹患の履歴は消せないこと

受け止めた上で
再発をするために
穴を忘れずに離れる準備をします

疲れ切った自分から
疲れ切らずに自分らしい自分も
新たに作るために必要な自己受容です

全力を楽しんでいた自分に
全力を細分化して小出しにすることを
許可する

小出しにした力を
誠実に丁寧に使って
持続可能な生き方を探したい

そんな気持ち

これを出発点にします

読んでくれた方、少しでも
心に影が落ちていたら休んでください
元気な人は
どうどうと自分らしい
あかりを照らすことが
周りと自分自身を救います

読んでくれてありがとうございます

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