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インプロマインドあふれる社会をつくる

悲しい事件や虚しい選挙結果がテレビから流れてくる。ここ数日は、そんな中で自分がインプロを教えることの意味について考えていた。

その結果分かったことは、僕のインプロバイザーとしてのビジョンは「インプロマインドあふれる社会をつくる」ということだった。そしてそれは次のような社会である。

好奇心を大事にする社会

重要なのは、疑問を持ち続けること。知的好奇心は、それ自体に存在意義があるものだ。

アルベルト・アインシュタイン

僕は人間とそれ以外の動物を分けた最大の要因は「好奇心」だと考えている。そして好奇心はそれ自体に価値があるものだと思っている。

インプロマインドあふれる社会では、人は自分が持っている好奇心に従って行動し、実験することができる。そして好奇心はある子供は乗り物に夢中になるが、別の子供はお絵描きに夢中になるように、人それぞれ違うものである。

違いを受け入れ、面白がれる社会

好奇心は人それぞれ違うから、好奇心を大事にする社会は違いが生まれやすい社会でもある。社会的な価値観に従ったほうが違いは生まれないが、それはマイノリティーに対する抑圧であり、僕はそのような社会が理想的だとは思わない。

インプロマインドあふれる社会では、それらの違いを互いに受け入れあうことができる。もっと言えば、そのような違いを面白がれたら素敵だと思う。

失敗を歓迎する社会

好奇心を大事にする社会は違いを生むと同時に、間違い(失敗)も生まれやすい社会である。こちらも社会的なルールに従ったほうが失敗は少なくなるが、それは現状維持という名の衰退であり、僕はそのような社会が理想的だとは思わない。

インプロマインドあふれる社会では、人々は失敗を歓迎することができる。少なくとも、失敗を受け入れることができる。そしてそこから学ぶことができる。

その結果:精神的にも経済的にも豊かな社会へ

インプロは人の心やマインドを扱うものだから、"スピリチュアル"なものだと思われることがある。実際「好奇心を大事にする社会」「違いを受け入れ、面白がれる社会」「失敗を歓迎する社会」というビジョンを並べると、お花畑のようなものをイメージするかもしれない。

しかし、僕はインプロマインドあふれる社会は精神的にも経済的にも豊かな社会だと考えている。なぜなら、そこでは人や集団の可能性が最大化され、イノベーションが生まれるからである。だから具体的なイメージとしては、お花畑よりもサンフランシスコのほうが近い。(実際、サンフランシスコではインプロが盛んである。)

とはいえ、イノベーションが生まれる社会というのは"いいこと"ばかりではない。それこそお花畑ではない。イノベーションが生まれる社会は対立(違い)や失敗(間違い)もたくさん生まれるからである。

そしてインプロは、これらの「違い」や「間違い」を建設的に扱う方法を身体的に教えてくれる。(もちろんインプロで学ぶことはそれだけではないが、入り口としてはこの要素が強い。)

だからインプロを教えることは、上記のような社会に近づけることだと思って、今は活動をしている。

インプロバイザーとしてのこれまでとこれから

ふりかえれば、20代は自分のためにインプロを学び、30代は人のためにインプロを教え、そしてコロナ禍になってからは社会とインプロの接点についてよく考えるようになった。

このビジョンが、僕の人生の中でどれくらい実現できるかは分からない。また、インプロだけで実現するものだとも思っていない。例えば、マインドフルネスやコーチングが広まることは、インプロマインドが広がることと近いものである。

時代の風に乗り、様々な人の助けを借りながら、前に進んでいきたいと思う。

最後までお読みくださりありがとうございます!サポートは今後の活動に使用します。