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インプロを見る3つの視点と、「インプロもどき」との違い

僕はインプロを始めてから10年くらいになる。インプロは日本ではまだまだマイナーだが、それでもこの10年の間にずいぶんと広まったと感じている。おそらくインプロをやっている人の数は3倍以上になったし、インプロを知っている人はもっと増えただろう。

僕のミッションはインプロを広めていくことでもあるから、これは基本的に望ましいことだと思っている。一方で、インプロが誤解されて広まっていく可能性も高まっていると感じている。インプロゲームはとっても楽しい。しかしそれ故にゲームだけが独り歩きし、インプロの哲学や世界観は広まらない可能性がある。

そこで、この記事ではインプロを見る「視点」について書こうと思う。インプロバイザー(インプロのファシリテーター)がインプロをどのように捉えているか、という視点である。特にここでは基本となる3つの視点について書いていく。これらの視点はインプロワークショップをファシリテートしたい人や、インプロの考え方をその他の分野に応用したい人にとって参考になるだろう。


1. スポンテイニアスに行われているか?考えながらやっているか?

インプロを見る第一の視点は「スポンテイニアスに行われているか?考えながらやっているか?」である。

スポンテイニアス(Spontaneous)とは、「自然発生的」を意味する英単語である。「自然発生的」という言葉は日本語ではほとんど使われないため、僕は「スポンテイニアス」とそのまま言っている。日本人には馴染みのない英単語だが、インプロに限らず海外のアーティストはしばしば使う言葉である。何かを人工的に作り出そうとするのではなく、自然に生まれるようにする。それはどんなアートでも大事なことだからである。

私の作曲方法は…自分が歌を作るというよりも、歌がやってくるという感じです

Michael Jackson

インプロゲームを初めて行う人のほとんどは、考え考えゲームを行う。しかしそれでは自分の思考の枠を抜け出すことができない。だからインプロでは考える(インプロでは「自己検閲する」と捉えている)ことを手放し、自然にやってくるアイデアをそのまま表現することを目指す。インプロの大家であるキース・ジョンストンはこのことについて次のように述べている。

想像はそれ自身の意志を持った巨大な動物である。それを面白がろう。しかし、責任は引き受けない。あなたはその飼い主ではない。

Keith Johnstone

この感覚は体験してみないとなかなか実感するのが難しいものである。一方で、体験すれば「たしかにそうなっている」と分かる感覚でもある。自分の中にある創造性に気づき、それを信頼すること。それがインプロをすることの基本である。

チェック方法と対処法

インプロがスポンテイニアスに行われているか、考えながらやっているかをチェックする簡単な方法は、インプロをやった人に「自分のアイデアに驚いたか?」と聞くことである。スポンテイニアスなアイデアは向こうからやってくるものであり、本人にとっても驚きがあるものである。それは「ひらめく」時の感覚と似ている。反対に、考えて出したアイデアにはそのような驚きはない。

インプロを考えながらやっている場合には、自己検閲を取り除くようなゲームをやるといいだろう。具体的には「マジックボックス」「スリーシングス」「インプロ大喜利」などである。これらのゲームをファシリテートするときには、テンポよく乗せていくことも大事である。これらのゲームを「正しくやろう」とすることには意味がない。

2. パートナーをよく見せているか?自分をよく見せようとしているか?

インプロを見る第二の視点は「パートナーをよく見せているか?自分をよく見せようとしているか?」である。

即興(インプロヴィゼーション)は演劇に限らず、音楽やダンスの分野にも存在するが、即興の演劇(特に「インプロ」と呼ばれるもの)の特徴は、パートナーを非常に大事にしている点である。インプロの世界ではパートナーを輝かせている人が尊敬される文化がある。反対に、たとえ本人が面白くても、パートナーを自分が輝くために使うような人はインプロの世界では敬遠される。

「パートナーをよく見せる(Make your partner look good)」は、そんなインプロの世界で合言葉のように使われる言葉である。パートナーをよく見て、その言動を面白がったり、価値づけたりする。そしてその積み重ねがシーンになっていく、というのがインプロの基本的な考え方である。キース・ジョンストンは、このことについて次のように述べている。

もしあなたが良くても、誰もあなたと一緒にやりたくないなら、うまくいっているかどうかは疑わしい。しかし、もしあなたのやることが能力に欠けるものでも、誰もがあなたを相手として求めるなら、すぐにあなたは最も優れた一人になるだろう。

Keith Johnstone

しかしこれは「言うは易く行うは難し」である。ほとんどのインプロ初心者は自分のことで一杯一杯になってしまい、パートナーを気遣う余裕はない。それは当たり前のことなので、責めるようなことではない。しかしそこにずっと留まっていてはインプロの本当の楽しさには出会えない。だからこの視点を提供し、少しずつ強化していくことはファシリテーターとしてとても大事なことである。

多くの人はインプロを「自分が自由になるため」に始める。それは悪いことではない。しかし、「相手にいい時間を与える」ことの楽しさに気づいてからが本当のインプロの始まりだと僕は思っている。

チェック方法と対処法

パートナーをよく見せているか、自分をよく見せようとしているかをチェックする簡単な方法は、インプロをやった人に「パートナーの目は輝いていたか?」と聞くことである。多くの人はパートナーの目を輝かせる以前に、そもそもインプロ中にパートナーのことを見ていない。また、パートナーが困っていることに気づいても「何もしない」人も多い。

お互いを見ていないときには、お互いを見るようなゲームをするといいだろう。具体的には「サムライゲーム」「ハットゲーム」などがある。また、そもそも相手にいい時間を与えるという視点を持つためには「プレゼントゲーム」「次どうなるの?」などをやるといいだろう(これらのゲームは相手のことが分かるので、チームビルディングにもいい)。

3.リスクをとっているか?失敗しないようにやっているか?

インプロを見る第三の視点は「リスクをとっているか?失敗しないようにやっているか?」である。

インプロをショーとして面白くするときの最大のコツは「リスクを取る」ことである。インプロを見るお客さんは、未知へと飛び込むプレイヤーが好きである。反対に、小さくまとめようとするプレイヤーは印象に残らない(場合によっては嫌いにすらなる)。舞台という場所はリスクを取るほど安全になり、安全を取るほど危険になる。このパラドックスが舞台の面白いところである。

ちなみに、リスクを取ることの大事さはインプロに限らない。芸人でもアイドルでも起業家でも、リスクを取っている人は人を惹きつける。リスクを取らない人は記憶に残らない。起業が盛んなサンフランシスコでインプロが好まれるのは、そういった文化との相性がいいからだろう。キース・ジョンストンはこのことについて次のように述べている。

「イエス」と言うのが好きな人と、「ノー」と言うのが好きな人の二種類の人がいる。「イエス」と言う人は、その報いとして冒険を手に入れることができる。「ノー」と言う人は、その報いとして安全を手に入れることができる。

Keith Johnstone

とはいえ、これも「言うは易く行うは難し」である。大人の身体はすでに失敗できないような身体になっている。だから安全に失敗できるゲームから少しずつ難易度を上げていく。そうしているうちに、だんだんと自分が本来持っている好奇心が戻ってきて、リスクを取れるようになっていく。

チェック方法と対処法

リスクをとっているか、失敗しないようにやっているかをチェックする簡単な方法は、インプロをやった人に「パターンを外れていたか?」と聞くことである。リスクを取るとはパターンを壊すことであり、好奇心に従って未知へと飛び込むことである。一見リスクを取っているように見えても、それがパターンの中に収まっているときは、即興の面白さは現れない。

リスクを取れなくなっているときには、安全に失敗できるゲームを行うといいだろう。具体的には「さしすせそ禁止」「ワンワード」などがある。これらのゲームをファシリテートするときには、参加者が未知へ踏み出すことを積極的に勇気づけていくことが大事である。安全な場はみんなが少しずつ勇気を出し合ったときに生まれるからである。

インプロと「インプロもどき」の違い

さて、これら3つの視点でインプロを見ると、インプロと「インプロもどき」の違いがよく分かると思う。

インプロで目指す状態とは、スポンテイニアスであり、パートナーをよく見せ、リスクをとっている状態である。このような状態を達成することはインプロバイザーでも困難だが、そこに近づいているときにはなんとも言えない気持ちよさがあるし、そこに向かっていくこと自体に意味があると僕は思っている。それは創造性や利他性や好奇心を発見することだからである。

それに対して、インプロもどきは、考え考えやり、自分をよく見せようとし、失敗しないようにやっているものである。そして多くの場合、インプロゲーム「だけ」を提供しても、このようなインプロになってしまう。さらに厄介なのは、インプロゲームはよくできているから、このようにやってもそこそこ面白くなることである。しかしそこには追求する意味はほとんどない。

僕はインプロを通して様々な学びを得てきたから、インプロはそのようなものとして広まったらいいと思っている。とはいえ、僕はインプロの権力者ではないから、誰かがインプロを教えることに対して厳しくなりたいわけでもない。ふりかえれば、僕がインプロを教え始めた頃はインプロのことが全然分かっていなかった。(そして今でも分からないことがたくさんある。)

ただ、そんな中でもインプロに対して誠実ではあったと思う。そしてそれゆえに見えてきたものがたくさんある。全ては「発見していくプロセス」である。だからあなたがインプロに対して誠実に向き合えばインプロはあなたに発見を与えてくれるし、少なくとも「インプロもどき」にはならないだろう。僕はそう信じている。

最後にお知らせ

この記事を読んで「やっぱりインプロを学ぶことが大事だな」と思った方はインプロアカデミーまでどうぞ。

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