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涙で枯れた遠い春、わたしが言葉を綴る理由

こんにちは。ゴールデンウィークですね、いかがお過ごしでしょうか?

わたしは何の変哲もない日々を過ごしています。今日は、前記事で割愛した言葉を綴る理由について書いていきます。

ノンフィクションでリアルに書くので、途中で苦手だと思った方はブラウザバックしてください。


小学生の頃のいじめからの解放に導き出した答え

わたしの親は、わたしが小学生2年生に上がる前に離婚をしました。「パパは忙しいから」としか理由は聞かされていませんでした。

その頃、離婚は少しわたしの住んでる地域では珍しく、同時にいじめのターゲットにされることがありました。筆箱を捨てられたり、クラス全員から無視されたり、今ではどうってことないかもしれませんが、当時のわたしは苦しくて辛くて、とてもしんどかったです。担任の先生は当てにもならないし、母に伝えても「世の中に出たら当たり前にそんなことある」と言われ、どうしようもありませんでした。

そこでわたしが決めたのが中学受験でした。環境で無差別に自分を傷つけられたくないと思い、小学3年生の頃に近所で塾に通ってる子がいたのでパンフレットを持って家へ帰りました。だれしも自分のマイナスになる人を近くに置いていたくないですよね。逃げたい思いで必死に母にお願いしたのを覚えています。

いじめから逃れるためとわたしは勉強に没頭しました。学校で勉強をして帰宅したら、塾のバスに乗り込み塾で勉強をして帰宅して、学校の宿題と塾の宿題をして眠りについていました。

受験をするにあたって母から言われた言葉が「国立なら行っていいけど、私立は無理やで」と言われていました。結果、国立の中学校は全部落ち、滑り込みの私立だけ受かりましたが行くことはできず、地元の中学校に行くしかありませんでした。


わたしの中の線がプツンと切れてしまった瞬間

中学生、また恐れていたいじめが訪れました。小学生より楽だったのが友達がまだいたから何とか乗り越えれました。最近でいうカースト制度では底辺だったんだろうなと思います。

そんな中でもやはり「こんな人をいじめて優越感に浸ってるバカと一緒の高校なんて行きたくない」と思い、塾は継続して行ってました。そしてバスで最寄り駅まで行って電車を1本乗り換えて、合計で片道1時間以上かかる学校へ入学しました。その入学前くらいに新しいお父さんができました。

わたしが勉強していた理由は、いじめから解放されるためともうひとつ理由がありました。母のためです。何度か母の泣いてる姿を見たことがあり、子どもながらも「わたしがしっかりしないと」という思いが強かったです。

そのため、良い高校に入って良い大学に入って良い会社に入って早く母を楽にしてあげたい!と思っていました。それが新しい父のおかげでそんなことしなくて良くなったのです。金という紙切れのおかげで。

母はずっと黙っていましたが生理が止まらなかったそうです。そこで新しい父が病院に連れて行って子宮癌ということがわかりました。今では全摘して元気に暮らしています。しかし、わたしが努力しても到底届かないものが金でした。そこで「嗚呼、わたしは何をどうしてこんなに頑張っていたのだろう」とピンとはっていた線がプツンと切れたのを今でも思い出します。

わたしの努力が水の泡になった瞬間でした。


インターネット・ハッピーエンド

新しい父の家で住むようになってからいろいろあって、学校も保健室登校になりがちでした。家にも居場所がなければ、学校にも居場所がなく、唯一落ち着くといえば保健室でした。夜眠れなかった分を保健室で寝て、気が向いたら授業を受けるというおかしな学生生活を送っていました。

次第に家にいるのも疲れて初めてカッターで腕を切りました。なんとも思いませんでした。人に当たれないから自分を傷つけることで自分を守ることにしたのです。そこからピンクの貝印の剃刀と友達になりました。

そのとき流行っていたのがホームページです。自身のホームページを持っているのが当たり前の時代でした。わたしも持っていました。そこで出会ったのが今10年経っても忘れられない人です。その人にメッセージを送ったら、返信に「今度腕を切るようなことがあったら電話しておいで。話なら聞いてあげられる。」と電話番号を添えられていました。

いつも通り泣きながら腕を切っているときに、ふと電話をかけてみました。そしたら「りんごをたくさんもらちゃって処理できないんだよね」ふふふと思わず笑ってしまいました。数分前までは泣きじゃくりながら腕から流れる血を舐めとっていたのに。変に「大丈夫?」とか「何があったの」だとか聞かないとこに惹かれました。

それからお互いさみしい夜には電話をしたり、時には手紙を送ってみたり、そんな関係性が続きました。彼から生まれる言葉は、まるで宝石のようでとてもわたしの中では輝いていて宝物です。

ほかにもインターネットを通して仲良くなった女の子が一人いました。その子の言葉も特別で、いつもわたしを救ってくれました。手紙も大事に保管しています。

わたしは言葉に救われすぎるほど救われました。わたしの『書く』本質は、誰かを救いたいのかもしれません。昔のように果敢なかったわたしみたいな誰かを救いたいのです、きっと。だから書くことを辞められません。


ここまで読んで下さってありがとうございます。

また、お会いしましょう。それでは。

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