見出し画像

政治に対して思うこと


 まずは、令和6年能登半島地震で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
この記事を書くことは既に昨年末頃に決めておりましたが、この地震での政府の対応を見て、また改めて書かねばならない、と感じました。何の力もない一般人の私でも、発信することで誰かの力になれるかもしれない。
被災された方々の心身の負担を極限まで減らすのが、政治の仕事だと私は思っています。
一日でも早く皆様の心身の平穏が取り戻されることを願ってやみません。
読み難いところもあるかとは思いますが、ご容赦ください。


0.政治に興味を持ったきっかけ

 数年前、ある尊敬する学者さんの講演会に行った。一番最後、配られたアンケートを聴衆が書き始め、会場の空気が緩んだのを察してか、その人はちょっと強めの口調で早口に言った。

「皆さん、心に余裕を持てるようにしてください! 難しい方もいるかもしれませんが、趣味の時間でも何でもいいです。とにかく余裕を持てるようにしてください」

 その人が映るスクリーンを見ながら、「ああ、私はこの先生と同じ結論に至ったんだ」と静かな感動を覚えた。

 大学を中退し、就活する中、私はやりたいことがないことに悩み、色々な適職診断をした。でもイマイチ。
「やりたいことがない」で検索してみる。
検索した中で、『逆にやりたくないことを書き出してみる』というものがあった。
「これならできる!」と思い、思いつくままに書いていく。

·化粧をしたくない
·パンプスを履きたくない
·女性にだけ課されるお茶汲みなどの雑用をしたくない
·セクハラをされたくない
etc···

 真っ先に書いたのは、残業したくないとか、週休二日制嫌だではなく、これだった。

 今なら、全て女性差別に関わることだと瞬時に見抜けるが、このときは全くその意識はなかった。

 こんな生きにくい世の中で働いている友人や家族を見て、私がおかしいのか?と思い、「化粧したくない」で検索をかける。
すると、たくさんの女性たちの意見が目に飛び込んできた。

「化粧品代が馬鹿にならない」
「私は化粧をせずに働くと決めた」
「アトピー持ちなのに、化粧を強制されて肌が荒れた」

 私も経験があった。まだ大学在学中、尊敬する女性の先輩に「化粧をしないのか」と聞かれて、嫌な予感がしつつ「アトピー持ちなので」と言った。
「敏感肌用のとかあるよ?」
「ほらきた!」と思った。私が敏感肌用の化粧品があることを知らないとでも?と詰め寄りそうだった。

 話が少し逸れてしまったが、たくさんの意見の中の、あるブログに「女性に対する化粧の強制って社会問題だよね」という一文に目を見開いた。

私の悩みって、社会問題だったの!?

 それが私の、政治やフェミニズムへの入口だった。

恥ずかしながら、このときまで「政治は私とは何の関係のないものだ」と思っていた。
実家にいる際、時々テレビに映る国会中継を見ても何を言っているのやらさっぱり分からない。
学校の授業でも、単なる知識として衆議院だの参議院だの覚えただけだ。

 その人のブログを遡りつつ見ていくと、それまで気にもしていなかったことがおかしいことだと分かってきた。
例えば、いじめ加害者が謝ったら被害者は許さないといけないとされる認識。いわゆる同調圧力。
「うわ、めっちゃ分かる」と思いながら、夢中になってその人のブログを読んだ記憶がある。

 そこからどうフェミニズムに行き着いたのだったか、残念ながら思い出せない。
多分、色んな人の意見をSNSなどで見ていくうちにフェミニズムについて調べたくなったのだと思う。フェミニズムを勉強していくうちに政治の勉強へ。

 そしてついにやりたいことが見つかった。

私の生きやすい社会にしたい
男女平等な世の中にしたい

1.平和を維持することの難しさ

 現在の世界情勢を見ても分かるように、権力を持っている者が戦争をしようと思えばできてしまう。日本も例外ではない。現に政治家が「戦う覚悟」と発言していた。決して対岸の火事ではないのだ。
 しかし同時に、私達は戦争がどれだけ悲惨なものか知ろうと思えば知ることができる。それは、戦争の記憶や経験を残そうとしてくれた人たちのお陰だ。なぜ後世に残さなければならないのか──歴史を学ぶのは、同じ過ちを繰り返してはならないという意味が大いにある。
私達がすべきなのは、平和を維持するための努力だ。言い換えれば、戦争を起こさないための努力。
そのために、国民は政治を常に監視する必要がある。
フィクションなどで「世界平和」を願うと「甘い」と言われたり、鼻で笑われたりなどの描写があるが、とんでもない。
 『平和の維持』、そのための努力がこの世で最も難しいことだと私は思う。
なぜなら、実際に戦場に行かない人たちが戦争をすることを決めるからだ。戦場に行かされるのは私達、国民だ。私達は戦争を起こそうとする権力者たちに、「戦争はさせない」「平和を望む」と言い続けなければならない。大きな力に抗うことはとても勇気がいるし、恐怖とも戦わねばならない。今まで挫けてしまった人も、今挫けそうになっている人もいるだろう。自分がやっていることは無駄なのかもしれない、という気持ちとも戦わねばならない。
だからこそ、仲間が要るのだ。この途方もない努力をするには、同じ志を持つ仲間が要る。おそらく「平和を維持し続ける努力」には終わりがないからだ。自分が生きている限り、そして後世に繋ぐためにも声を上げ続けなければならない。

2.政治の怖いところ

 政治は人を殺せてしまう。政治を勉強すればするほどそう感じる。
例えば、疫病、地震などの天災。そういう突発的なものは初動を誤れば、被害が大きくなる。人が決める法律などの規則一つをとってもそうだ。
できた当初はその時代に合っていたものでも、時代が変われば、あるいは時が経つことによって、問題点が見えてくる。その一つの決まり事·暗黙のルールで人生を狂わされてしまう人もいる。
 政治は国民の命、人権、人生などを簡単に奪えてしまう。自分の判断がもしかしたら国民の命、人権、人生などを奪っているかもしれない、という意識を持っている政治家は果たしてどれだけいるのだろうか。

3.今の政治に必要なこと

 多様な視点が必要だ。女性、性的マイノリティ、障がい者などなど。
今の社会は健康な男性を基準に作られていることが多い。それに当てはまらない人たちは暮らしにくい社会だ。私は電車の吊り革が背伸びをしないと手が届かないことを当たり前だと思っていたが、SNSで発信している人たちのお陰で、これはおかしいことなのだと認識できた。
 誰もが暮らしやすい世の中にするには画一的ではなく、多様な視点が必要不可欠だ。
これは政治の場だけでなく、あらゆる組織にも言えることである。

4.政治が目指すべきところ

 困難に遭っても何の心配もしなくていい、という安心感を国民が得られること。
 障がいを持っても支援が充実している。お金がなくても学校に行ける。学校に行けなくなっても別に居場所を作れる。家にいられなくても避難できる場所がある。大学を出ていなくても食べていける。仕事に就けなくても大丈夫。ひとり親になっても公的サポートが充実している。妊娠·出産·育児や病気、怪我をして働けなくなっても大丈夫。災害に遭っても迅速に助けが来る、衣·食·住の心配をしなくていい。お金がなくても最低限度の生活は保証される。事件や事故に遭っても心身のケアをしてもらえる。老後の年金や生活の心配をしなくてもいい。
 人生にあらゆる困難はつきもの。でも、困難にぶち当たっても、「社会も政治も自分をしっかり守ってくれる。絶対に助けてくれるから大丈夫」という安心感を国民が持てることが、政治の目指すべきところだと思う。

5.個々人に必要なこと

 冒頭の話に戻る。私の尊敬する学者さんが、出した結論、

「心に余裕を持つこと」

 前述したように、政治やフェミニズムを勉強する中で、私もこの結論に至った。社会に余裕がなさすぎて、人の心も荒んでいってしまっているように思う。
 自分が満たされている(心に余裕がある)と感じないと、他人に目を向けられないのだ。
余裕が出来れば、自分以外の他のことに目を向けられて、視野も広がる。
 ここから先はあくまで私個人が考えたことなので、未熟なところもあると思うが、考えるきっかけになってもらえれば幸いである。

 それでは自分を満たすために必要な要素は何があるか。私は経済的·社会的·身体的·精神的·時間的、の5つの要素があると考える(順番は特に関係なし)。
 まず経済的余裕はお金。時々は贅沢をできるぐらいの余裕がないと満たされているとは、感じにくい。
 2つ目、社会的余裕は人間関係。適度な距離感は人や相手との関係性によって違うので、一概に密な方が良いとは言えないが、自分のパーソナルスペースやバウンダリーが守られていると余裕を持てる。
 3つ目、身体的余裕は労働し過ぎていないかや、周りに暴力を振るってくる人がいないこと。過剰労働は過労死も問題になったように、自分から体力を奪っていく。暴力を振るう人が身近にいることも自分の健康状態を損なう。
 4つ目、精神的余裕は3つ目の身体的余裕と重なる部分がある。過剰労働は体力も削れば精神力も削る。正常な判断が出来なくなる。暴力はもちろんのこと、言葉の暴力も精神力を削ってくる。自分の好きなことをする時間はあるか、好きなことをしようと思えるかで自分が精神的余裕を持てているかが分かりそうだ。
 5つ目、時間的余裕。3つ目、4つ目と被りそうだが、一言で言えば、自分のための時間を持てているか。趣味に打ち込む時間はあるか。大切な人たちと過ごす時間はあるか、などなど。

 これらの5つの余裕が、ある程度満たされていれば、他者に無条件に優しくできる。「無条件に」というのは、見返りを求めない=愛、ということだ。「情けは人の為ならず」に通ずることである。あなたが誰かに親切にすれば、その誰かは別の人に親切にし、巡り巡って自分の元に返ってくるというやつである。

 それでは、この5つの余裕を満たすにはどうするか。それが政治である。自己責任論者は「あなたが満たされていないのは、自己責任だ」と言うが、本当にそうだろうか。自分の悩みを突き詰めて考えると、たいてい政治やフェミニズムに繋がってくる。

 今、私が奨学金返済に苦しんでいるのは私のせいか?
大学時代、哲学の教授が言っていた。

「教育にかかる費用は無償にするべきだ」

 当時は「なかなかすごいこと言うな~。あり得ないだろ」と思っていたが、教育費無償化は政治で全然出来ることだと知ってからはあの教授が正しいことが分かった。教育は無償でないと格差ができてしまう。今も親の経済的余裕がなければ、学ぶ環境を得られない子どもたちがいる。

 女性にだけ課される仕事は、私が女に産まれたのが悪いのか?
全くもってそんなわけがない。そもそも性別は選べないし。そういう社会の認識がおかしいのだ。
 セクハラなどの性犯罪の心配をしなければならないのは私のせいか?
否。性別関係なく誰もが人権や尊厳(いわゆる性教育)について学び、人としてしてはならないこと、誰しもが相手の提案に対して拒否権を持っていることを知らなければならないのだ。

 労働してもお金に余裕ができないのは自分のせいか?
自分一人で余裕で生活ができるだけの経済力を持てないのは、企業にも問題があるが政治がまともに機能してないからだ。女性が多く占める派遣労働者の低賃金問題を見ても分かるだろう。エッセンシャルワーカーも低賃金で働かされていることがおかしい。あなたたちはそんな扱いを受けていい人たちではないのだ。

6.結論

 余裕を作るには、4で記述した国民が得られる安心感が土台にないといけない。その土台を作るには、あらゆる人が暮らす社会だからこそ「多様な視点」(3記述)が必要。その上で自分の判断がどのような影響を及ぼすかを想像でき、その判断の責任を持てる政治家(2記述)、そしてそもそも平和がないと暮らしは成り立たないのである(1記述)。

 心に余裕を持つためには、今の暮らしにくい社会を変えなければならない。自分のためでも全然良いし、大切な人のためでも良いし、未来の人たちのためでも良い。

 今よりもっと生活を良くするために、自分の意見を発信したり、選挙に行ったり、政治家に意見を言ったりしていこう。

7.おわりに

 余談だが、私は去年の今頃、初めて「緊急避妊薬のOTC化」のパブリックコメントを書いた。選挙は大学を中退してからは一度も怠らずに行っているが、パブコメは初めてで緊張した。なんたって政治家に自分の意見を伝えるのだ。緊張してめっちゃ文章書いたけど、賛成を書くのを忘れたのが悔やまれた。
 奇しくも去年の今頃も勇気を出して自分の意見を伝えたのだ。
 私はこの記事を書くのにも「やるぞ!」と気合いを入れて書き始めた。ノートに下書きして、こっちよりこっちの表現がいいかもと推敲していったので、ノートがめちゃ読みにくくなったが、こうやって清書している(ちなみにこの章はアドリブ)。政治のことを書くのってすごく勇気がいるが、それでも誰かに「私はあなたの同志だよ、一緒に頑張ろ!」と伝えたいし、別の誰かの背中をポンッと叩けると良い。背中を押すと書こうとしたが、なんか無理矢理感あって嫌だったので、その人がちゃんと自分の意志で踏み出せるように軽く優しく励ますだけ。

 文章の書き方は完全我流でとても読み難かったと思いますが、最後まで読んでくれてありがとうございます。また余談だけど、書いてるうちに自分で推敲することが苦じゃなくなってることに初めて気づいて驚きました。      小学校の時、国語で文章を書いて推敲するのもされるのもすごく嫌だった。自分にダメ出ししていくみたいで、精神が削られたので、テストの見直しですら嫌だった。
でも、過去を遡れば、ある本から推敲の仕方を学んだことを思い出しました。その本、難しすぎて二章ぐらいまでしか読めなかったけど。とりあえず書いてみて、2日経った頃に読み直す。そしたら、客観的に読めるからすいすい推敲できる(ダジャレじゃないよ)。心理学的に名前付いてそうですね。

 それでは今度こそおしまいです。ここまでおつきあいくださり、ありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?