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自分をマネジメントするのはほどほどに

自分のことを客観的に眺めると楽になるというので、やってみ(ようとし)た。
プンスカしていれば「まあまあ」となだめ、しおしおと悲しんでいれば「よちよち」となぐさめ、自己嫌悪でどよよんとなれば「あなたすごいわよ」とはげます。

結論から言うと、わたしにはこんなことはできなかった。

たとえば、職場で困った部下がいたとする。何度言っても同じ間違いをして、いらいらさせられる。
けれど、人材育成はしなければいけないと思っているし(めんどくさいけど)、ひとの悪口は言ってもいけないと思っているので(言うんだけど)、出したいけど出せない便秘のようになり、余計にいらいらする。
このとき自分に対して「まあまあ」なんてとてもじゃないけど言えない。

これが自然にできるひとって、ネガティブなことをおもしろいことに変換できるだけの、何かが脳内に蓄えられているのだと思う。
わたしの見るかぎり、その備蓄ができているひとは、子どもの頃から大量の本を読んでいるひとが多いけれど、もちろん、読書以外の何かで蓄えができているひともいると思う。
その種の備蓄がないわたしは、ものごとを変換しないままストレートに受け取り、またストレートに思考し、ストレートに発信する。言葉にも思考にも含蓄もなくユーモアもない。
それを気にして、おもしろ変換できるようになろうとしたこともある。

えらく月並みな言い方だけど、個性はひとそれぞれで、おもしろ変換できる=良い、できない=駄目というわけではない。

個性を無理やり修正するでもなく、ひとのせいにするでもなく、ひがむでもなく、今いるところで生きづらかったとしても、自分のそのままでいられるひとが少数ながらいて、そういうひとを見るとわたしは尊敬の念でもって感動する。
真面目一辺倒のひとに「つまんねーやつ」などと、自分のつまんなさを棚に上げてうっかりそういうことを言ってしまいがちなんだけども、なにを言われても、そのクソ真面目なひとがすっくと立っていることに、まいりました、勝てねえと思う。

ついいらっとしちゃうのを無理におもしろ変換することはない。自分が変えたくなったときが変えどき。というか、自然に変わる。
禁煙を考えていたわけではなかったのに、自然に吸いたくなくなってもう10年タバコを吸っていないわたしが言うのだから間違いない(はず)。ってあんまり参考にならない例だけど!

自分をマネジメントするのはほどほどに。

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