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ただの日記

緊急事態宣言が解除された。台風一過の晴天と夏に戻ったかのような気温のせいもあってか、この土日は人々が肩の荷を下ろしたかのように明るく見えた。
酒類の提供がOKになった店も多いようだけど、自粛が習慣化してしまったのか、目にする限りではそれほど羽目を外している様子はなかった。繁華街はどうなってたのか知らないけど。
マスクを外しているひとなんてほぼいないし、まだおいそれと海外旅行に行けるわけでもなく、こんな「生活様式」している間にあたしゃ死んじゃうよ。

そういえば20代くらいのときって、土日のどちらかは毎週だれかと会う予定を入れていないと負けた感がしていた。手帳を埋めていないと落ち着かないっていうのは自分には当てはまらないとずっと思っていたけど、振り返ってみれば自分もそうだったことに気づく。
もしあのときにコロナみたいな疫病が流行したら、当時の自分は出かけたいとかひとに会いたいとか思ったんだろうか。たぶん心の底ではほっとしただろうけど、それをおくびにも出さずに、表面上はフラストレーション溜まったふりをしてただろうな、と少し混んだ電車に乗りながら思い出していた。

これからは平日毎日電車に乗らなければいけない。わたしのいる部署は、緊急事態宣言中に限って在宅勤務が許されているため。巷の人々も出勤しているみたいで、少し遅めの時間であっても電車はそれなりに混んでいる。
緊急事態宣言が延長されるたびに在宅勤務も可とします、みたいな連絡が来るんだけど、そこには効率性と生産性を下げるな、コミュニケーションを怠るなという内容がコピペしたかのように必ず書かれている。
合間にストレッチとかして気分転換ができるから、わたしは家で仕事をしたほうが却って捗るんだけど、こういうことを書くひとは、自分が在宅勤務のときは「効率性」と「生産性」が下がり、「コミュニケーションを怠る」のねと思う。

てなわけでこの家にいる時間が長かったので、当然家のなかのことに目が向くわけで、例年になく模様替えをしたり、家具や食器を捨てたり買ったりした1年半だった。
この土日は家の中見直しフィーバーが再燃し、変な時間にいきなりテーブルを動かしたり断捨離を始めたりして、合計で15時間くらいがたがたやっていた。うちは1階なんで夜中でもできる。
こういうことをやっていると、今までこれは当然こうで、これは当然できなくて……という思い込みが多かったことがわかる。
高齢者の家が必要以上の物に占拠されていくのは、物を捨てることに抵抗を感じる世代的なものもあるかもしれないけど、必要か必要じゃないかといった判断力や、こうしたらもっと動きやすくなったり暮らしやすくなったりするかもといった思考力が衰えているからなのかもしれない。模様替えはいい脳トレになるんじゃないかしら。

かつての実家もわたしから見たら異常だったけど、彼らにとってはそれが普通で、貴重な土地を普段ほとんど動きのない(使わない)物が占めているのはおかしいでしょという指摘をするとキレられた。
今さら大量の物たちをどうこうする気力体力もなく、にっちもさっちもいかないのにそんなこと言われたからキレたのかもしれないので、高齢者には優しく。

しかし、高齢者's汚部屋はいやだけど、ある程度物や家具がある家には憧れがある。
わたしはセンスがないのと、掃除が面倒くさいのでひたすら少なく少なくということに注力しているけど、いい意味で生活感のある家に遊びに行くととても落ち着く。ごちゃつき感はないけど殺風景でもないインテリアは、わたしにはできない。

もう少し広めのところに引っ越そうかなと一瞬頭をよぎったのだが、東京ってなんでこんなに家賃高いんですかね。こんなにみんな稼いでるわけ!? と怒り心頭に発し、今しばらくこのタイニールームに住み続けることになった。

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