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働くことは苦しいことか

けっこう前から、たぶん中学生くらいの頃から、死ぬ寸前まで働きたいと思っている。
しょっちゅう「会社に行きたくない」と言っているじゃないかと自分で突っ込みたくなるが、「働きたくない」ではなく、納得できないこととか世の中に対してどうでもいいことを、だれかからの命令でやるような働き方がときどきいやになるのだ。あと長時間労働もかなり嫌い。
だからひとに使われたくないということもなく(むしろひとを使うことが苦手)、そういう虚しい仕事をひとからの命令でやるのがいやなだけで、納得できることであれば、上から言われようが下から言われようが喜んで! 
そしてそして、仕事は1日6時間労働、週休3日であるべきでは? 実際それでものごとは回るとわたしはにらんでいる。それに人間の集中力は何時間もないらしいし。日本では「付加価値」と呼んでいるような余分なことをしているから長時間労働になるのだ。

少し前にフランスで、年金支給開始年齢の引き上げに対して「そんなに働かせるつもりか、ふざけんな」とデモが行われ、また日本では総理が産休・育休中の学び直しを後押しすると言ったことが「産休・育休中だからって遊んでるわけじゃねえんだよ」とボコボコにされた。
でもさ、みんなそんなに働きたくなかったり、新しいことしたくなかったりするの? 仕事してなくてもやることたくさんの充実した生活とか、年金だけで十分やっていける経済力とかがあるんだろうな。

もし100歳くらいまで生きても大丈夫な程度の経済的蓄えがあったらどうだろう。それでもわたしは可能であれば働くと思う。気が小さいんで、大手自動車メーカーの売上高くらいの蓄えがないと絶対に大丈夫と思えない(それでもだれかにだまされてすっからかんになったらどうしようと思うんだろう)。先々の心配しながらちまちま暮らすことに疲れてしまいそう。

それに経済的理由だけでなく、まったく仕事しない生活っていうのもそれはそれで鬱になりそうなので、年金の支給開始年齢に関係なく働き続けたほうがいいし、そのためには現状維持ではなく、現状維持しつつも新しいことをやっていかないといけない。
だけど、次につながるスキルを若いうちから築いてこないといけなかったので困っておる。これは一生で最大の反省点である。

ほんとうはそれに気づいた時点でやっておくべきだったし、ちゃんと考えようよという声は心の片隅でうっすらと存在はしていた。
50代になってなんとなく危機感が生まれる一方で、まだなんとなく遠いことのように思えた。きっと将来の不安と直視したくなかったんだろう。気になりつつも自分のこれからについて目を背けていた。完全なる逃げだ。

ここへ来てやっとこさ重い腰を上げられたのも、たまたまいろんな情報に触れて刺激を受けちょっと目が覚めたのと、体が前より元気になって立ち向かうエネルギーができてきたからだと思う。健康って大事ってことをここでも思い知らされる。何度も書いてるけど、変化するってほんと筋力いるので。
ともあれ、これから挽回しないと。ひと(国、会社)のお金なんか当てにしないでできることは自分でとっととやってかないとね。
「おばあ(じい)ちゃんなのに働いてる、かわいそうー」って自動的に哀れみの目で見るような世の中じゃないほうがいい。でもばばあがいつまでも働いてると、若いひとの職が少なくなるからやめれって言われるかな。

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