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ぼーっとしたい病

ここのところぼーっとしたい病にかかっている。本も読まずスマホもいじらず、とにかくぼーっとしたいという病。
勉強が家よりもカフェや図書館の方が集中できることがあるのは、家でやるといろんなものが目に付いて気が散るからだ。今やらなくてもいいイレギュラーな掃除や断捨離をし始めたり、猫が寝ている写真をむやみに撮ったり。
それと同じでぼーっとすることも家だとできない。それに家でぼーっとしていると無為に過ごしているようで(実際、無為なんだが)罪悪感を感じてしまい、なんやかんやとやはり今やらなくていいことをしてしまう。
とりあえず会社にいれば、実際はたいしたことをしていなくても仕事した感があるように、ぼーっとしている無為な時間は家だろうが外だろうが一緒なんだけど、家以外の場所だとぼーっとした達成感のようなものが湧き出てくるし、なんもしてないという罪悪感も感じづらい。

しかし、おフランス人(イメージです)のようにカフェでコーヒーをすすりながらぼーっとすることを目指しているのに、他人の話が耳に入ってきてほーとかへーとか思って、そちらに集中してしまう。
外にはおもしろいひとが多すぎる。自信満々で熱弁振るって情報商材を売りつけようとしているひと、およびその話を引き込まれるように聞いているその相手とか、占いだかカウンセリングだかコーチングだかをやっているひと、およびそのなんちゃって占い的なものを受けているひとが「当たってます!」とか言って泣いちゃうひとなどがいて興味深い。普通にお茶しに来ている老若男女もいるけど、その普通のひとたちの話もなかなかおもしろくて、ぼーっとしてる暇がない。
話の内容ももちろんおもしろいんだけど、一人一人の個性がかなりおもしろい。2〜3人組の場合、そのうちの一人だけが滔々と話しているケースがけっこう多かったり、話さなくてもいいような細かいことまですべて話さないと気が済まなくて、なにを話したいのかまでなかなかたどりつかないひとがいたり。
無関係のわたしが傍から聞いていると、嘘くさかったり白々しかったりすることこの上ないのに、その場のひとたちは気づいていないように見える。自分だってその場にいる当事者だったら、気づかないしそんなふうにおもしろがれないから、高みの見物。ぼーっとさせてくれ! と思う。

しかしたまにはぼーっとできることもある。こないだ入ったお店では、皆さんほとんどお一人様で、二人連れの男女が一組いたけど、ものすごーく静かな声で話してるから話の内容がぜんぜん聞こえないし、とても落ち着いた時間を過ごせた。
店に入ったときは若い男がZOOM越しに張り切ってプレゼンしててマジか……と思ったけど、そいつが消えてからは静かな空気が流れて、みんな見知らぬ他人なんだけど、その場を共有している感じで安心感があった。

ぼーっとしたいときはたいてい疲れているときだから、行ったことのない店には行かないことにしている。
とくに個人経営の店は当たり外れが大きいので元気なときに挑戦したいし、チェーン店でも店によって対応や店内の清潔度は違うし、コーヒーの味も違うことがあるので、やはり行ったことのある店に行くようにしている。あのSコーヒーでさえ、ある店舗ではいつ行ってもしょっぱい対応されるからね。べつに愛想や優しさを期待しているわけではないけど、普通でお願いします。知り合いと話すときにそんな態度で話さないよねってレベルで対応されると、弱ってるときはちょっとばかしきついし、余計な感情を起こしてエネルギーを消耗させたくないので。

そんな感じでぼーっとするために、出かけた先や昼食後についふらふらとカフェに入ってしまうから、余分なお金がかかる。コーヒーのお供にと、ついお菓子なんかも食べてしまうから健康にもよくない。
疲れてると保守的になってしまうし、経済的にも健康的にもいいことないからよくないね。元気は大事。元気だして行こー! という空元気。

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