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一般論

先だってリハビリで療法士さんと雑談しながら改めて認識したのが、あらゆることは「人によって違う」こと。
ことばにすると当たり前のことだ。でも自分も無意識にひととの境界をなくしてしまうケースってけっこうあると思う。
そもそもは、同じ疾患であっても、年齢はもちろん、年齢が同じであってもそれまでのそのひとの生活態度によって、リハビリの効果は変わってくるという話をしていたのだった。
わたしもそうだろうなと思う。なので戒めのように、一年に一度自分はこんなことをつぶやいているみたい。忘れてたけど。

一般論を勝手に個別化しない

個人の経験を一般論にしない。一般論を個人に当てはめない。

だってさ、年齢や性別はもちろんのこと、ランダムに挙げると、性格、体質、生き方、考え方、経験、文化資本、生活環境、食生活、運動……、キリがないくらいひとは異なっている。

わたしなんかは乱暴だから、個別具体的な質問されるとイラっとして「ひとによる」の一言で片付けちゃって、これまた嫌われる原因になる。でも手っ取り早く答えを得ようとしてはいけないのだ。ま、「言い方」ね。

と言いつつ、必要に応じて個別具体的な質問をしてきた相手の考えを聞いてあげた方がいい場合もある。

昔々のパソコン黎明期に、そっち方面に詳しいひとにどれを買えばいいかってことを、素人は漠然と聞いてしまう。ああいうひとたちはたいてい、「パソコンでなにをやりたいのかがなければ、そんなの教えられない」って突き放すんだよね。
仕事で使うといった場合を除き、当時、素人の多くはただ普及し始めたものをなんとなく手に入れたかっただけで、ぶっちゃけ「何をやりたいか」なんてわかんなかったのだ。
手に入れてからあれこれいじってみて、ほうほうこんなこともできるのか、じゃあ、あれをやってみようかな、となるわけで。まあ、ソリティアだけやっててもいいんですけど(←わたし)。

逆に、老婆心的大きなお世話様なことも言わないように気をつけている。おばさんだからね。
年齢を重ねるとどうしても、○○歳超えるととほにゃららになるよみたいなことを言いがちになるけど、「自分はこうだった」という言い方に留めておいた方がいいと思う。それはあくまでも個人の感想です。
ほにゃららになる可能性はあるかもしれないから、ありがたくあくまでも参考情報として受け取って、頭の引き出しのどっかにしまっておくことにしている。

昔、新入社員の指導で上司から怒られたのは、「自分ができるからって相手もできると思うな」だった。
うーん、でもこっちはマニュアルに沿って指導してるわけで、マニュアルはだれにでもできるように書かれているわけでしょ? それに皆さんはわたしと違って「偏差値の高い大学」を出て「頭がいい」んだし。と内心では反抗的になっていた。
でも、マニュアルはあくまでも標準的なもので、いわば目的地を表す地図みたいなもの。それだけでちゃんと目的地に行けるひともいれば、地図を与えるだけでなく、その個人が「どうやったら行けるか」ということを、個別化して(しかし応用がきくように)指導しなければいけなかったのだなと数年後に思った(遅い)。
まさに一般論を個別に当てはめていた。ごめんなさい。

オチが見つからないので、懺悔して終わります。

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