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工夫は悪か

先だって職場の少人数で打合せしていたとき、同僚が上司に、もはやただの文句や悪口では? ということを滔々と語り始めた。聞いていてなんだか主観的すぎだなぁと思ったし、言うべきではない内容も含まれているように思えたのだけど、上司が同僚を諭すわけでもなくうんうんと聞いている姿がちょっと意外だった。

わたしは「言ってみるもんだ」経験が少ない。たとえば飲食店で苦手な食材を抜いてもらうなどカスタマイズをお願いしてもできないと言われたり。昔仕事で前工程がいつもスケジュール遅れで困っていると上司に相談したら、最終納期はずらせないんだから文句言ってもしょうがない的に怒られたこともある。
これらの経験によって、ひとになにか頼んだり相談したりしてもべつになにかが解決するとは思わなくなってしまった。それに解決を求めているなどといったオチのないことを言われても、言われた方だって困るんじゃないかと思って、明確に「こうしてほしい/してください」ということがない限りなにも言わなくなり、自己解決を試みる専門になった。そのせいかいつも困っていないひと認定される。実際困ることも減ってはきているんだけど最近。

困ったこと、不便なことなどがあっても声を上げずに、自分でソリューションを見つけてうまくやっていくことは正しいことなのかとときどき疑問に思う。たいていは正しいとは思いつつ、それをやりすぎるといつまでもその困ったや不便なこと自体が改善しない。困っていない認定されるから。
また、工夫をしすぎると困っていること自体がわからなくなり、さらにここをこう工夫したらもっと使いやすくなるのにという発想も出づらくなる。
自分で工夫して快適になるか、あえて工夫はしないで提供者側に改善を求めるかの適切な境界がわからない。

商品やサービスに対する「お客様の声」というのがある。それらの声全部が有益とは限らないけど、なかには提供者側が気づいていないことを指摘するものもあると思うから、必要なことだと思う(ただ、具体的な要望を真に受けるのではなく、その先にある目的のほうを明確にしないといけないと思うけど)。
わたしたちの社会だって個人レベルで工夫ばっかりしてたら、施政側は「あ、それでだいじょぶなんだ」とやはり困っていない認定してしまう。
国民にとって望ましくない政策に対してさまざまな抗議活動が起こるのは、自分たちの生活(場合によっては人権)がまともな形になることを望んでいるという意思表示なんだろうし、さらに自分たちの現状を伝えるためでもあるんだろう。それが理解されるかどうかはべつとして。とくに日本の政治家は究極の世間知らずの集まりなので、理解に時間がかかるかもしれない。

さて、国が生活のすべてを面倒みてくれたとしたら、国民は節約や貯金をしたり投資や保険などの金融商品を買ったりしなくていい。でもお金持ちを含む多くのひとは自衛のためにこういう工夫をやっているだろう。
でも、本来は国がするべきだとしてこんな工夫はする必要ないのかな。お金はすべて自分の好きに使えることをみんな望んでるのかな。
まあそうなったらいいな〜と夢物語的に思うことはあっても、きっと本気でそうは思ってないよね。だって日本は資本主義社会だから。それを望むのなら資本主義を捨てるしかない。若い世代では資本主義批判が旺盛だと聞くけど、昔の中国やソ連のようになりたくはないでしょ(って知らないか……)。
だから、ある程度の経済的工夫は個人が担うものであり、また資本主義社会ゆえにそれが無理なひとがいるのであって、そのために社会福祉があるわけで、とわたしは理解している。違ってたら教えてね。

そして、税金の一部はそのためでもあるわけだし。そうである限りは税金を払うことにあまり文句は言いたくない(通知書を見てにょにょっ! と変な声が出ることもあるけど)。
それに税金をたくさん払いたくないから、細かなところで余計に税金を使われないようにしたい。マイナンバーカードだって、よく理由もわからずただ個人情報が……とか言って、あるいはただ単にめんどくさいだけで作り渋っているひとが多いから、ポイントというニンジンに税金を投入しなければいけないわけで。払わないといけないものはため息つきながらもちゃんと払わないと、支払い遅れへの督促を出すのだってお金がかかるし、税金ではないけど健康保険だって払わなければ医療費が全額自己負担になるわけだし。
逆に税金が社会全体の不利益になることに使われるんならそれはないでしょ払いたくないわ、んなもんと思う。

あまりに国民が「自助」の名の下において課題を解決しすぎてしまうと、困ってない認定されて社会が変わらない。でも変わるまでぼーっとしているわけにもいかない。目の前の課題は待ってくれないから。
一人では生きていけない赤子がいれば、助けを必要とする高齢の親もいる。自分でやっちゃった方が早いわけだ。
それだけじゃない。待ったなしの課題はいくらでもある。貧困、人権問題、経済……。
しかし、問題をことばにして顕わにすることと、解決マイセルフを同時進行してやることくらいしかできない。

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