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みんなの制約

嘘をついてるわけでじゃないけど、積極的には言わないことの一つや二つは多くのひとにあると思う。身長は言えるけど体重言わないとか。
なんらかのマイノリティーのひとが行うカミングアウトって、必ずしも解決を求めているわけではないらしい。相手に知っておいてもらわないと日々の会話のなかで話題を選んだり避けたりしなければならない、だからその負担を軽減するためでもあるとのこと(とこの本に書いてあった)。
なにかを隠しながら生きるってかなり疲れるもんね。

ところで、わたしは15年くらい前(30代後半)から恋愛の対象がなくなってしまった。ということに最近気づいた。当てはまるかわからないけど、アセクシャルと言ってしまえばわかりやすいかも。
気づいたきっかけは、独身なんだから恋愛したらいいじゃないと言われたことだ。それから数週間ずっとそのことが引っかかっていて、むむむと考えたら中からぽろぽろといろいろ出てきた。

そうなり始めたのは病気で子宮・卵巣を全摘した時期と重なるので、それがきっかけなのかもしれない。
でも、生殖機能を失ったからといって「わたしもう女じゃない!」などと泣いたわけじゃないし。それに子どもを生みたいと思ったことは人生のなかで一瞬たりともなく、PMSとはおさらばだわむしろラッキーくらいに思ってたし、それに性交ができなくなった肉体になったわけでもない。
当時つきあっていた男性がいたけど、病後まもなくつきあいをやめてしまった。入院してたときよくお見舞いにも来てくれてたのに。

治療の合併症があったりして自分の体のことで精一杯だったということも影響しているかもしれない。まっ、そのうち体が良くなればまた恋愛にも興味が出てくるでしょと思っていた。だけど何年たってもそういう気持ちにならない。

さらにおかしなことに、恋愛に関係なくひととかかわることもどんどん楽しくなくなってきた。ミザントロープにも傾いてきた上に、自分のパーソナルスペースもどんどん広がっていて、だから恋愛対象がないというより、人間自体が苦手になってるのかも。ワンちゃんネコちゃんのほうがまだ自分とは異なる動物である人間に対して寛容な気がする。

で、むむむと思い当たることを挙げてみた結果、自分には制約がひとよりちょっとだけ多くあって、しかも堂々と言えない制約も含まれていることが、恋愛にもひととのコミュニケーションにも影響が出てたってことがやっとわかった。わかるの遅い。
制約は自分自身も明確に意識できていなかった、っつーかしたくなかったんだと思う。ひとにはもちろん、自分に対してもはっきりさせたくない制約だから、いつも心のなかに霞がかかった感じがしていた。こういう言い方はよくないけど、素直に弱者感情に浸れないと言う感じ。だから明らかなマイノリティでもないと思っていたから、なおさら自覚しづらかった。

わたしは基本的に「ひとは言わないとわからない」ということを信条としているので、フィクションを除いて現実世界で空気や行間を読ませるような行為はあまり意味がないと思っている。
だけど、とても勝手なもので、わたしは冒頭の恋愛しちゃいなよ発言を初めて言われたとき、「そういうのはもういい」みたいなことを言ってお茶を濁してしまった。そう言われたら年齢で諦めてんじゃないかみたいに思っちゃうのは理解できる。だから再度言われたときは「興味がない」とはっきり言った。相手はちょっと気まずそうな顔をしていたけどしょうがない。べつにわたしは傷ついたわけじゃないし、あなたのことも責めてないよって思ってるんだけど。

性的なことでなくてもひとにはいろんな制約がある。
食事中になにかを残すといちいち「嫌いなの?」と訊くひとがいる(ほっとけ)。仲のいい友だちなら「いらないの? じゃあもらうね!」みたいな無邪気なことも(感染症の問題がなければ)できるけど、たいして仲良くもないひとにいちいち事情を説明するのもめんどくさいから嫌いなことにしておくと、どんどん嘘が積まれていき、さらにめんどくさくなる。

食べ物にかんしてはびっくりすることに、ちゃんと事情を話しても「少しくらいなら平気よ」と食べることを強要されかけることも1回や2回ではない。ひとを支配したいのか、贅沢は悪だみたいな価値観があるのかわかんないけど。
アルコールアレルギーなのに、上司からお酒を強要されて道で倒れてしまって、それ以来何十年と腰が悪いってひともいる。自分には制約があるということを話したとしても理解されないことはままある。

自分に制約があるのに、体裁や相手への気遣いなどのほうを大事にして、またその理解のなさに諦めて、その結果自分の肉体や精神を痛めつけるひとってけっこう多い。
めんどくさがらずにダメなものはダメ、無理なものは無理、嫌なものは嫌などということを繰り返し言っていかないと、自分が犠牲になるだけだし、それでいらん愚痴とか増えるからほんとよくない。
「ご自愛」もいいんだけど、ちゃんと自分の意思を伝えることが真に自分を大事にするということの一つなんではないかと思う。と同時に、いろんなひとのいろんな制約に対して周り(もちろんわたしも日常的に「周り」になり得る)の理解が進むことを願いますよ。

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