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感情の変化も実感もないこと。

母が突然死んだ。テレビでよく見る心拍計(?)の波なみのグラフがピーと平らになる瞬間もある意味突然といえば突然だから、突然死ぬのはみんなそうなんだけど、この場合は入院もしておらず病気もなくある日自宅で死んでいたという意味での突然である。

諸々あって母とは交流を断っており、ここ5年くらい会っていなかった。母が死んだという連絡が入ったとき、びっくりはしたけど、それ以外の感情は生じなかったし、今もこれといったものはない。久しく会っていなかったから、存在が欠落したという感覚がない故、実感がわかないのかもしれない。
ただ、恐れていたことが起きてしまったという思いはある。本人は嫌だろうけど、入院でもしてくれてたほうが安心ではあった。

母は就寝中か就寝しようとした矢先に息絶えたようで、苦しんだ形跡もないとのことで、そのことはよかったと思う。去年まで毎年国内にも海外にも旅行にも行っていたし、ぽっくり逝きたいと常々言っていたので、直前まで元気でいられて本人の希望どおりの死に方になったと思う。

わたしに残された家族は姉だけになったので、こういう経験はあと1回あるかないかだし、時代が変わればまた対応方法も変わると思うけど、現実の問題として覚えておきたいことを書いておこうと思う。

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1日目
朝9時頃訪ねに行った姉が寝室にいる母を発見した。警備会社に家の鍵を預けて見守りサービスも頼んでいたらしいのに、そのことを知らなかった姉が、連絡がとれないことを心配して様子を見に行ったらしい。
余談だけど、姉は、身分証をもたない母が道端ですっ転んで入院してるとか、急に認知症になってどこかで保護されてるとかそういうのを想像していたらしい。人間って最悪の状況を想像したくないんだなと思った。

その姉曰く、発見したら、すでに命が消えているのが一目瞭然でも消防(119)に連絡するらしいとのこと。
消防が遺体を確認した後、警察がやってきて家の中を調べる(家宅捜索っぽいものではなく、もっとソフトな感じ)。遺体とともに所持品をいくつか警察が持ち帰って、事件性があるかどうかを調べる。
ここまでが姉から聞いた話。

わたしも姉と合流して、駅前のコーヒーショップで警察からの連絡を待ちつつ、火葬の手配をする。
警察署の近所の医師が死因や死亡時期を調べ、歯科医も動員されて歯型から本人であることを証明し、事件性がないことが証明された。結局死因は不詳、死亡時期もふわっとした感じでしかわからないらしい。

こういう場合、死体検案書というのが出される。料金は医師によって違うようで(つまり自由)、もちろんキャッシュオンリー。葬儀屋にそれはちょっと高いですねえと言われたけど、しょうがない。初っ端からお金がひらひらと飛んでいく。
なので、肉親がそこそこの年齢になったら、いざというときのためにある程度の金額の現金を引き出せる状態にしておいたほうがいい。あるいは定期預金かなにかを預けていてマイナスにして引き出せる口座とか。
それから連絡を受けたら、お金(キャッシュカード)のほかに、認印、身分証明書をバッグに突っ込んで行くこと。

2日目
午前中、特殊清掃の業者さんに下見に来てもらう。
午後に火葬。コロナ、遠方(友人知人はほとんど東京)、高齢などいろいろな状況を鑑みて直葬という方式にした。署からの遺体引き取りから火葬場に搬送するまで葬儀屋さんが取り仕切ってやってくれた。

3日目
名義変更や解約が必要な書類を探す。山のような(無用の)紙類に気が遠くなる。
役所関係の手続きに必要な書類はなんとか発掘し、市役所に行って手続きした。

4日目
いったん東京に戻り、あちこちに電話をかける。
午後にデパートに行き、ご近所さんなどへの手土産を買う。
これだけでだんだん疲れてきた。

5日目
部屋の特殊清掃をしてもらう。じっとしてるだけで汗が出るような気候で、防護服を着て作業する清掃の方にはほんとうに頭が下がる。清掃には2日かかった。
清掃してもらっている間、再び書類の捜索をする。保険については「にゃにがにゃんだかわからにゃい!」と叫びたくなる状況だったが、東京に戻ってから代理店さんに調べてもらってなんとかなった(はず)。
ぽっくり逝きたいと言っていたわりには、介護保険とかがん保険などの病気になったときの保険ばっかりかけていたようなので、自分の思うとおりの死に方はできないと思っていたのかも。
よく言われているのになかなかできないことが、生前にきちんと必要事項を互いに知らせておくことなんだけど、母の場合は、本人が死ということをあまり直視したくなくてなかなかできなかったのかも。
コロナが落ち着いたらそういうことも一度整理しようと姉は思ってたらしいけど、遅かったね。

自分が死んだあとのことについては、口頭ではあるけどきっぱりと言っていたようだ。散骨してほしいというのは、まだ母と交流があった頃わたしも聞いていたし、そのことは継続して言っていたらしいので、遺志を尊重して時期を見て散骨することにした。

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こんな感じでフェーズ1が終わった。フェーズ2は遺品整理、フェーズ3が散骨。……でいいのかな。

父のときも祖父母のときもそうだったけど、わたしは身内がいなくなっても感情が淡々としすぎていると自分でも思う。感情は意志の力でどうにもできないので(思い込みの力ではどうにかできるかも)、こういうもんだと思うしかないのだけど。このnoteもちょっとどうかと思うひともいるかもしれないけど、でもこんな感じです。

とはいえ、お母さんどうぞ安らかに。

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