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人のふり見て自分を理解する

自分の性質について、多くのひとより劣っていそうなことについては自覚しやすいのだけど、優れていること、または優れているとは言わないまでもひとよりプラスの方向にあること(または過剰なこと)は自覚しにくい。

たとえばHSPを自認するひとが増えているけど、彼らはどうやって自分がHSPだとわかるんだろう? とふと思った。ひとのなにかに対する感じる量というのは他人にはわからないはずなのに、一般的にひとと比べて敏感だということをどうやって知ったんだろう(簡易的な診断テストもあるけど、自覚がある上でそのテストでやっぱりとなることが多いと思う)。
でも、ある経験が積み重なることで自分がHSPだということを認識していくのかもしれないと思ったことがあった。HSPとは関係ないことだけど。

わたしはHSPではない(と思う)けど、周りの情報を無意識に感じ取りやすくて疲れることがある。
子どもの頃は、その感じ取ったことを口にすると、小うるさいとか気にしすぎだというようなことを家族に言われた。だから、それはあんまりよろしくないことなのだと思っていた。今思えば彼らには理解できないことだったから、こっちをおかしいことにするほうが楽だったんだろう。

先だってパンを買おうとパン屋さんに向かって歩いていたとき、反対方向からも男女二人連れがパン屋さんに向かって歩いてきていた。
男性がわずかに女性の前を歩いており、入口でわたしと鉢合わせになったのだが、べつにこちらのことを気にするわけでもなく店に入っていった。その行動にわたしは「我先に」という印象を受けたのだ。
女性はわたしに気づいており、わたしの後に入ろうとする様子が見てわかったので、わたしはその男性の後に店に入った。
その彼はさっそく売り場の方に入ろうとしていたので、わたしが入口に置いてあった消毒アルコールをプッシュしようとした矢先、その男性が急に振り向いてアルコールを使おうとしたのだが、さすがにわたしに気づいて「(お先に)どうぞ」と言った。

その「どうぞ」のひと言で、その男性は「我先に」でもなんでもなくて、単にわたしに(=周りに)気づいていなかっただけなんだなと思った。
そしてこの出来事から、多くのひとはわたし程には周りの情報を感じ取っていないんだなということがわかった。
たったそれだけのことなんだけど、目から鱗が落ちた。

どうして狭い歩道を横に並んで歩き、前からひとが来ているのにだれひとり道を開けようとしないのか。
どうして満員電車内で一歩でも奥に入ろうとしないのか。
どうして後ろにひとがいるのに、ドアを押さえておいてあげないのか。
どうして先に待ってるひとがいることに気づかないで割り込んでくるのか。
どうしてお店のひとに閉店ですと言われるまで気づかずしゃべり倒すのか。

これ、全員が全員悪意があるわけじゃなく単に気づかないだけで、気づいたり言われたりすればその場での適切な行動を取るひとが大半だと思う。

わたしだってたまにかなり焦ってなにかをやってるときは、この空間に自分一人だけみたいな感覚を持つことはある。それはかなり焦ってるときに限るけど、多くのひとはかなり焦っている状態がデフォルトなのかもしれない。
とくにだれかと一緒だったり、スマホやゲームをやってたりするとそっちに気を取られて周りの情報は感じ取りにくいのかもしれない。携帯電話が普及して以降、電車から降りるのがぎりぎりになるひとが絶対増えたし。

基本的に他人はわたしより優れていると思っているので(それは自分に自信がないというより、みんなが自身の行動に疑いを持っているように見えないから)、他人の行動しないことも含めた行動にはこちらからは見えない理由があり、だから彼らは敢えてそうしている/していないのかと思っていたけど、ただ単に必要な情報が自動でインプットされていないだけなんだとわかったら、なんか楽になった。

だからHSPのひとも、自分は気になったり苦痛だったりするのに、周りのひとはどーして平気なの!? って経験を積んだことでHSP自認をするようになったんだなと、こっちもなんか理解できた。


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