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おにぎりが握れない娘の話

今日のBGM:


母は料理が好きだった。わたしが小さかった頃は、お菓子やパンも母の手作りが出された。
いろいろと忙しくなったせいか、わたしが大人になるにつれて、だんだんと市販品に頼るようになった。
とはいえ、今でも朝のテレビ番組で料理コーナーが始まると、ノートにレシピを書きつけ、新しい料理をつくることに楽しみを見出しているみたいだ。

わが家は両親と姉とわたしの4人家族だった。
父は縦の物を横にもしないひとだったから、料理なんてできるはずもなかった。でも、わたしたち娘が家を出てからは、頼れるのが母だけになったことに焦りを感じたのかどうかはわからないが、インスタントラーメンならつくれるようになった。
わたしたちはそのことにものすごくびっくりした。やればできるんじゃん、と思った。

そういうわたしも、ひとのことは言えない。
自分ひとりが毎日生きていけるくらいの料理はできるが、とてもひとさまに出せるようなシロモノではない。
一汁一菜と言えば聞こえはいいが、要するに手抜き料理だ。唯一のこだわりは、母から言われていた「調味料だけはいいものを使う」ことだけだ。独り身でよかったような気がする。

手抜きであっても、一応、料理はできるものの、わたしにはどう頑張ってもできない料理があった。しかも厄介なことに、「明日死ぬとしたら何が食べたい?」という質問をされたとしたら、迷わずその料理を回答するくらい好きなものだ。なのに、自分ではつくれない。

わたしが最後の晩餐に選ぶであろうそれは、たいして料理をしないひとでも、つくれるひとは多い。
ご飯を手で握ってひとかたまりにする、「おにぎり」とか「おむすび」などと呼ばれるそれは、「ご飯をひとかたまりにする」だけだ。なのに、なぜかできなかった。

初めておにぎりにトライしたのは、小学校の何年生だったか。母に教わりながらつくった。
手の形をこうこうこうして、これこれこうして握って……。言われたとおりにするのだが、どうしてもできない。形が不格好であっても、ご飯がひとかたまりになっていればいいのだが、その形状にすら到達できない。指のあとがついた歪んだサッカーボールのようなものが、皿に置いた途端ほろほろとがけ崩れを起こした。
めげずに2個めに挑戦する。手前に転がすように握れと言われたので、やっせほいせっと握っているうちに、おにぎりは手から飛び出し、流しの排水口に向かってころりんころりんと転がっていった。

指導してくれた母や、横から覗いていた姉からは「どうしてできないのかがわからない」と首をひねられた。
チャレンジしたものはできるようになるまで頑張れと言う傾向にあった母だったが、おにぎりに関しては「もう(あきらめたほうが)いいんじゃない」と匙を投げた。教えるのに面倒くさくなったのかもしれない。
チャレンジしたことを放り出していいという許可をもらったような気になって、わたしはほっとした。このほっとしたのが間違いのもとだった。それから40年近くおにぎりがつくれない人間として生きていかなければならなくなった。

先だって、とある小さなカフェでマフィン教室を開催するとのことで参加した。お菓子をつくるのは好きなのだが、習ったことがなかったので行ってみたのだ。
マフィンを一通り習ったあと、お昼はカフェのご飯でみんなでおにぎりを握って食べましょう、ということになった。困った。
「あのー、おにぎりつくれないんですけど」と白状したら、案の定「あら、簡単よ」と言われた。おにぎりがつくれないというセリフには、ほぼ100%の確率でこういった反応が返ってくる。
でも、教室の先生は「じゃあ、教えてあげるから一緒につくりましょ」と言ってくれた。誰かにつくってもらうつもりでいたのに、甘えは許されないようだ。初めての展開でとまどう。

「おにぎりを握る前は塩で手を洗います。石鹸で洗うと、匂いがご飯に付いちゃうからね」
母が言っていたことと同じだ。そのあとの、手を軽く濡らして塩を付けてご飯を乗せたら……。そのあとのプロセスもすべて同じだった。
なのに。お皿の上には、三角形のおにぎりががけ崩れを起こすことなく鎮座ましましていた。
やればできるんじゃん。感動。

先生の教え方がよかったのかもしれない。
子どものころに比べて、わたしの理解力と、手先の使い方が多少なりとも進化したこともあるかもしれない。
でも、長年おにぎりが握れなかった原因は、ほかにもあるような気がする。

料理は母も姉も好きだったから、自分はできなくてもいいと思っていた。彼女たちのお株を奪ってはいけないという遠慮ではない。できないことで特別視してもらいたかったのだ。
「そんなこともできないの、しょうがないわねえ」と言われることに快感を覚えていたかもしれない。「バカほどかわいい」という言葉を信じていたのかもしれない。そして、ほんとうにバカになった。

でも、こんなにあっさりおにぎりができた。
たぶん、ちょっとしたコツだったのだろう。手のどこに力を入れるべきで、ほかのところはいかに力を抜くべきか。
そのポイントを教えてもらったことで、ピクニックに持って行きたくなるようなおにぎりがわたしにもできた。

もっと早くに自分で探求していれば、とっくの昔におにぎりライフを楽しめていたのかもしれない。残念。お母さんのばか。わたしの40年返せ。って、逆恨みか。

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