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ぴあサポマガジンvol.8「交響曲第九番・コソコソ話」

 急に冬らしく寒くなりましたが、元気にお過ごしでしょうか? 今月のぴあサポマガジンでは、ベートーヴェン作曲「交響曲第九番」通称「第九」にまつわるトリビアを紹介したいと思います。年末の恒例となっている、第九のコンサート。特に「歓喜の合唱」のメロディーは誰もが耳にしたことがあるのではないでしょうか。この記事を通して第九を身近に感じ、興味を持っていただけたら幸いです。


第九の作曲者・ベートーヴェンについて〜苦悩を突き抜けて歓喜に至れ


 第九はドイツの音楽家・ベートーヴェンによって作曲されました。ベートーヴェンは幼い頃から音楽の英才教育を受け、演奏家・作曲家として若い頃から頭角を表します。そんな華々しい経歴から一転、28歳で自身の難聴に気づき、30歳で耳がほとんど聞こえなくなったようです。音楽家にとって耳が聞こえなくなることは絶望的で、一時は自ら命を断つことも考えました。しかし、作曲に専念することで音楽家としての道をつなぐことを決心し、数々の名曲を量産するのでした。彼の代表作とも言える「交響曲第五番『運命』」「交響曲第六番『田園』」は難聴の中で作曲した作品です。そして「交響曲第九番」がベートーヴェンの生涯最後の交響曲となりました。1824年の初演は大成功を収め、聴衆からは大歓声が巻き起こりました。ベートーヴェンはテンポ指示のため指揮台に立ちましたが、すでに重度の難聴だったため、観客の大歓声に気付きませんでした。そこでソロ歌手の1人がベートーヴェンの手を取って振り向かせ、ようやく熱狂する聴衆を目にしたという逸話が残っています。ベートーヴェンは次のような名言を遺しています。「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ」。苦難に陥ってもあきらめず努力を続ける大切さを、彼の人生から伝えてくれるようです。



ウィーン郊外のハイリゲンシッタットのベートーヴェン像

思い詰めたベートーヴェンはここの地で遺書を書いたそうです。その後に持ち直し数々の名曲を生み出したことを鑑みると、この地はベートーヴェン「復活の地」とも言えるのではないでしょうか。

日本の第九初公演の秘話〜ドイツと日本の絆


 日本で初めて第九のコンサートが開催されたのは1918年です。その舞台はなんと戦争捕虜の収容所だったのです! 1914年に第一次世界大戦が勃発し、日本には中国で捕虜になったドイツ兵が多数収容されました。当時の日本では捕虜に対する暴行や非人道的な扱いが禁止されていましたが、その中でも現在の徳島県鳴門市に設置された「板東俘虜収容所(ばんどうふりょしゅうようじょ)」では、ドイツ人捕虜に対して格別の扱いがなされていました。収容所の所長である松江豊寿はハム・ベーコンの製造や建築技術など、ドイツ兵の特技を活かせる商店街や工場を収容所内に設置し、地元住民との交流も盛んに行えるような体制を整えました。このような労働環境の改善やレクリエーションの充実を通して、ドイツ人捕虜からの信頼を得ることができました。そんな中で開かれたのが、第九の日本初演です。本来の楽器が揃わなかったため別の楽器に、女性がいなかったため男声合唱に書き換えて演奏されましたが、これが日本初の第九全曲演奏でした。収容所で育まれたドイツと日本の友好関係が日本の第九初演を実現させたのですね。

歌詞の意味と平和への祈り〜歓喜に寄せて


 「交響曲第九番」の中でも最も有名なのが第四楽章「歓喜の歌」です。合唱付きで演奏されるのですが、その歌詞はドイツの詩人・シラーの作品「歓喜に寄せて」を引用して作られました。その抜粋を読んでみましょう。

おお友よ、このような響きではない!
もっと心地よい歌を、
もっと歓びに溢れた歌を、
歌おうではないか。
(以上、ベートーヴェンによる加筆)

歓喜よ、神々の麗しき霊感よ

天上楽園の乙女よ
我々は火のように酔いしれて
崇高なる者(歓喜)よ、汝の聖所に入る

汝が魔力は再び結び合わせる
(以下2行は1803年改稿)
時流が強く切り離したものを
すべての人々は兄弟となる

(中略)

ひとりの友の友となるという
大きな成功を勝ち取った者
心優しき妻を得た者は
自身の歓喜の声を合わせよ

そうだ、地球上にただ一人だけでも
心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ
(以下略。訳はWikipediaに依った。)

 古めかしいフレーズが並んでいますが、友情や愛の喜びが表現された人類を讃える壮大な内容ですね。
 さて、日本で年末の第九コンサートが定着した理由としてはさまざまにありますが、第二次世界大戦の学徒出陣のため、繰り上げで12月に行われた卒業式で演奏されたことがきっかけである説、第二次世界大戦後の混乱期に行われた、日本交響楽団(現在のN響)の第九公演がヒットした説など、戦争に絡んだ説が濃厚となっています。ベートーヴェン生誕から250年経った今でも、チャリティーコンサート、東西ドイツ統一の前夜祭、平和の祭典であるオリンピックなど、日本各地、世界各国で復活と平和の祈りが込められた第九の演奏が行われています。


第九の配置。舞台奥から合唱隊・オーケストラ・ソリストが並びます。

おわりに


 いかがでしたでしょうか。第九にまつわるエピソードを知った後だと、第九が今までと少し違う響きで聞こえてきそうですね。2023年はウクライナ情勢、パレスチナ問題など平和が脅かされている現実を知り、不安に思った方も多いと思います。難聴という絶望の中で生きる道を見出したベートーヴェンが体現したように、苦難の中にも希望があると私は信じています。今年の年末は世界平和へ思いを馳せ、来年が希望溢れる年になるよう、第九を味わってみてはいかがでしょうか?それでは良いお年をお過ごしください!


ウィーン郊外のバーデンのベートーヴェンハウス。彼はここで第九を作曲しました。

【参考書籍・WEBサイト】
藝大アートプラザ「年末に「第九」が演奏される理由は?日本初演やドイツ兵との絆などの歴史と歌詞の訳も紹介」
2022年10月25日〈https://artplaza.geidai.ac.jp/sights/16343/
ノアミュージックスクール「年末はどうして「第九」?!ベートーベンを知ってから聞いてみよう」
2023年12月7日〈​​https://www.noahmusic.jp/piano/knowledge/14262.html〉
Wikipedia「歓喜の歌」
2023年12月7日〈https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%93%E5%96%9C%E3%81%AE%E6%AD%8C#cite_note-loge-beethoven-1〉

【筆者紹介】
工学系研究科修士1年。数年ぶりに生の第九を聞きに行くのを楽しみにしています。お世話になったピアノの先生と音楽の先生に、写真を提供していただきました。ありがとうございます!

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