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3人姉妹の長女「だった」ボク(2)

こんにちは!ミズキです。
書こう書こうと思ってたら、前回の記事から1ヵ月近く経ってました。
恐ろしく時間の経過が早いですね。
危うく「やるやる詐欺」になるところでした。笑

なんか思い出しながら書いてはいたのですが、もう10年近く前の出来事なのでところどころ記憶が・・・笑

でも今書かないともっと忘れていっちゃいそうなので、書きます!

では、ここからはこちらの続きです!
https://note.com/utprlls/n/nb634a877b9c2

大学生編に突入します。
この大学時代が僕にとっては人生最初のターニングポイントでした。


決心をするまで


大学生になると制服というものから卒業し、身なりに関しては自由になります。
僕は「自分は女の子なんだから、少しは女の子らしくしなきゃ」と髪を伸ばしたり、私服を変えたりしながら大学生活を送っていました。

でも段々とそんな自分に疑問が湧いてきました。
これが自分らしさなんだろうか。
周りからも今まで以上に女の子扱いされ、それに合わせてふるまっている自分。
これに違和感を覚えはじめたのが大学2年生の冬です。

このまま女の子で社会に出たら、僕は一生女性として扱われて女性として生きていかなければならない。
そう考えるとそれが苦痛でたまりませんでした。

僕は自分と同じような経験をしている人と繋がりたくて、Twitterをはじめたり、交流会にでかけたりするようになっていました。
そこで出会ったのが「見た目が男性にしか見えない元女性」の方々。

「自分もこんな風になりたい…!」

そう思い始めたら行動に移すまで時間はかかりませんでした。
性別に違和感があること、メンタルクリニックに行きたいこと、
もしかしたら見た目が大きく変わってしまうかもしれないこと。
これらを親に打ち明けました。

母親は「ミズキの人生なんだから、ミズキの好きなようにしたらいいよ」「性別が変わっても元の性格が変わるわけじゃないんだし」と言ってくれました。
もちろん戸惑いや心配はあったと思います。
それでも僕の後押しをしてくれたことに、とても感謝しています。




病院に行き始めてから


メンタルクリニックに行き始めてからは、カウンセリングや院長先生の診察を経て「性同一性障害」と診断されました。

正直なところ診断が下りるかどうかは不安でした。
幼い頃から違和感を抱いていたわけではないので、君は違うよと言われるかもしれないと思ったのです。
でも、嘘をついて診断が下って、後々治療しなければよかったと後悔するくらいなら…とありのままをお話しました。
結果的には診断をもらうことができました。

診断をもらえたと安心したのも束の間。
院長先生から衝撃の言葉が出ました。


「じゃ、さっそく1本目打ってく?」


え・・・?

今日打つんですか・・・?笑


まさかのその場で1本目の注射を打って家に帰り、
母親に「1本目打ってきた」という事後報告をしました。笑




性別適合手術を受ける


男性ホルモンを打ち始めてから1年半が経った頃。
僕はタイで性別適合手術を受けることにしました。

初めての海外、しかもひとりで。
渡航したらアテンドしてくださる方がいらっしゃるのですが、そこに行くまではぼっちでございました。笑

タイに着いてからはそのまま病院に行き、一泊です。

翌朝、諸々の検査を終え、少し観光しました。

「明日の今頃には手術が終わっているんだな」

その日はそんなことを思いながら眠ったことを覚えています。

手術前になると少し不安で、でも期待もあって。
手術台に乗って「大きく息を吸ってください」と言われるがままに
息を吸ったらすぐに意識が遠のいていきました。
そして、次に目が覚めたときには胸にはバンドが巻かれ身体から何本か管がでていました。

「ああ、終わったんだな…家族に連絡しなきゃ…」

そう思うことはできてもまだ麻酔が残っていたため意識は朦朧としていて、
無事に終わったという報告ができたのは翌日でした。

そして、20年間連れ添った(?)おっぱいとさよならする前は何だか寂しさもありましたが、終わってみたら解放感が勝っていました。


術後はすぐにはご飯を食べられず、流動食から徐々に慣らしていきました。
洋食、タイ食、和食から選べて和食を選択。
これが朝食だったのですが・・・

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僕はニンジンが苦手でして。
これだけは本当に食べられませんでした。泣

まあ病院食なのでおいしいかと言われると首を縦には振れないのですが。
食べられるだけマシだと思って、頂いておりました。

ごはんが普通に食べられる頃にはトイレにも行けるようになりました。
それまでは尿道カテーテルからしか排泄ができず、もはや寝てるだけ。
でも、大の方はしばらく出なくて食べてるだけだからお腹がふくれるばかり。笑

同時に胸に溜まった血液を出すためのドレーンも抜きました。
こいつを抜くときの感覚が気持ち悪かったですが。笑

徐々にいろんなものが体から取れていき、最後は胸に巻きつけているバンドのみ。
これは胸と筋肉をくっつけるために必要になってくるもので、タイにいる間は外すことができませんでした。
ちなみに12月といえどタイの気温は30度近くありましたので、バンドは暑苦しくて仕方がなかったです。

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これは抜糸前の写真です。
胸とおへそにガーゼという・・・笑

そして、タイ滞在最終日に抜糸。
その日の夜にタイを立ち、帰国しました。
向こうでは半袖半パンでいたので、日本帰ったらめちゃくちゃ寒くて
寒暖差にやられそうでした。




あとがき


写真もいろいろ撮ったのですが、血液やら手術痕やらが多いので
苦手な方もいらっしゃるかと思い控えました。
(ちなみに僕も大の苦手です)

一番エグかったのはアテンドの方から退院時に
「はい、これ先生からのラブレター!」と言いながら渡された
摘出した乳腺・脂肪の塊と子宮の写真でした(^^;)
開けてマジでびっくりしました。。

帰国してからは一度身体のトラブルに見舞われましたが、
それも無事に解決し現在は元気に男性としての社会生活を送っております!

最近は女性に見られることはほぼなくなりました。
下の名前を見ては「女性かと思いました」と言われる日々です。笑

ここまでたどり着けたのも周りのサポートあってこそ。
自分の力だけでは困難でした。
特に両親にはとても助けられました。

これからは僕が誰かの力になります!


そして、ここまで読んでくれたあなた。
拙い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました!

また次の記事でお会いしましょう。



P.S タイで大戸屋に入ってそばとかつ丼のセットを注文した時の写真

画像3

いや、そばの盛り方w


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