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(オマケの英語教室+うとQ世話し ひまわり二毛作 二毛作目)

2021/8/20-3
(オマケの英語教室+うとQ世話し ひまわり二毛作 二毛作目)
副題:太陽型自動追尾パラボラアンテナスタイルレーダー
   Automatically catching up parabola style radar
日本語では「ひまわり」
英語ではsunflower
英語では花の形が太陽に似ているのでそう命名されたのでしょう。
ところが日本語では花の形が太陽に似ていることのみならず、太陽の形に似たその花が向日性に従って太陽の方角を自動追尾するという特性にまで目が行き、むしろその特性の方に重きを置いた命名がなされたものだと思われます。
古(いにしえ)の我が祖先というものはスゴイものだなぁとつくづく痛み入ります。
ところでこの差は一体何に由来するのか?を少し考えてみました。
そこで浮かんできたのが
「観察眼(eyes of observation)」
です。
常に対象に目を向け、その中から変化やその兆しを読み取る眼力。
これが世界でも相当レベルな我が国の聖地精巧なる文化を築き上げる基となったのではなかろうかと推測致しました。
ところが現代の我が国。
世界でもトップクラスのスマホ長時間閲覧大国。
電車に乗れば七人掛けのベンチシートに座っている人の内スマホを見ていない人を探すのが困難なくらい入れ替わり立ち替わり座るどの組もスマホ、スマホ、スマホ。
是では当然観察眼の持ちようがありません。
観察眼の持ちようがないので、これまた当然周りの変化やその兆しに気づく訳がありません。
気づきやひらめきが訪れるはずもありません。
となればコペルニクス的大転換を生むような発明発見など有りよう筈がありません。
出来てせいぜいスマホ画面内に表示される内容の改善か革新に止まってしまいます。
確かにスマホは便利で有用です。
しかしそれは使いこなして初めて言うべきことで、それに飲み込まれてしまったのでは、最早我が国においてはコペルニクス的大転換をなすような発明発見は遠い過去の遺物となっているのかもしれません。
Observation brings imagination and after it, imagination brings creation and innovation,
I think.

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