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(うとQ世話し compromise を妥協と訳すか歩み寄りと訳すかによって…)

2022/5/27-2
(うとQ世話し compromise を妥協と訳すか歩み寄りと訳すかによって…)
自分の学生時代に昭和天皇様が記者団の質問に答えて以下の様な事を申されました。
因みに当時陛下は植物の研究者でもあらせられました。
その陛下が答えて曰く
「みなさん雑草、雑草とおっしゃいますが、世の中に雑草というものはないのですよ。雑草には各々に名前がついております。雑草という一括りの種類はないのですよ」
と。
このインタビューを耳にして当時自分は大変なショックと感銘を受けました。
その後そうした目で街中を見てみると
「確かに人間という一括りの存在はないな。歩いているのは男か女か男モドキか女モドキ。それに両性具有の少なくとも5種類が歩いている」
そして
「だのに夫婦は一心同体だという。男と女は体の構造も脳の造りも全然違うんだから完全に同じになれる訳がない。そんなの無理に決まっている。
それを心底肝に銘じれば、一心同体になれなかったからといってすぐさま別れる必要もない。それはそれなりにそう暮らせばいいだけだろうに」
と。
そして更に
「どうも我々日本人は極端から極端に走り過る様だ。一心同体と個々別々との間にその中間だってあるのに。現に外国人はその中間で生きている様な気もするし」
処が我が国の価値観ではこの「中間」という概念を極端に嫌います。
それでこの「中間」は「妥協」とか「どっちつかず」と解される。
曰く
「結婚なんて妥協の産物よ」
と。
英語で「妥協する」はcompromiseなのですが、この英語には又別の意味があって
A couple compromised
これは
夫婦歩み寄り(夫婦和する)
そういった意味で使われる事もあります。勿論いい意味です。なので、我々が嫌う「中間」は曖昧でもどっちつかずでも優柔不断でも何でもなくむしろ大人の振る舞いとして「いい意味」でもあるのです。
To come closer to center line to each other
Or
To understand on their side situation
なのです。
我が国国民のこの鼻から100%を求め白黒をはっきりさせたがる傾向は語学教育にも表れております。
来日就労外国人に対しては有無を言わさず一方的な押付けで「日本語をマスターしろ」
ですし
我が同朋に対しては「(国際会議レベルの)完璧英語が話せない限り英語ができるとは言えない」
と。
前者につきましてはcompromise(歩み寄り)の解釈に従えば
「あなた方は日本語を理解する努力を。私たちは英語が話せる様になる努力をしましょう」
というのが公平公正に双方痛み分けする大人の振る舞いでしょうし
後者につきましては同じcompromise(歩み寄り)の解釈に従えば
「初めから完璧は無理。幾ら間違っても問題ないからまずは分かる処迄やってみましょうか」
という事に。
なので、compromiseを成る丈「妥協する」「曖昧にする」のマイナスイメージで使わずに「歩み寄る」とか「痛み分ける」のプラスイメージを抱いて使える様な心象に今後なっていきたいものだと思っております。
語学教育関係に携わる現場実務者と致しましては。
注)
以上は理論というより自分の観察結果によるものです。悪しからず。


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