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(うとQ世話し unseen言葉の壁の元)

2022/6/15-2
(うとQ世話し unseen言葉の壁の元)
行掛り上、外国人向け日本語教本を作る事になり、実際に作業に取り掛かってみて非常に驚いた事がございました。
それは漢字一字の持つ情報量の多さと想像力の起爆剤にもなり得るヒントの隠れ鉱脈が随所にある事でした。
まず漢字には音読みと訓読みがございますが、字によっては音読み2つ、訓読み4つ等一字で6つも7つもの読み方があり、しかも夫々にニュアンスが異なっております。
又漢字の成立ちを見ていくと漢字部位の構成や組合せ方で古しえ人の発想法や考え方、当時の世界観、価値観等も知る事ができ改めてその情報量の多さに驚きを禁じ得ませんでした。
翻って見れば漢字というのは読んで字の如く元々は中国漢時代の字です。その表意文字である漢字を中国の朝貢国である我が国が輸入し、それに我が国固有の語を、漢字を簡略化したひらがな、カタカナで表音化し、漢字と交えて独特の言語文化を創出した訳です。
本源の中国は漢字のみ。
同じ朝貢国であった百済や高句麗等も漢字を輸入したのですが韓民族の場合は漢字の扱いが難しかったからかどうかは知りませんが表意文字の漢字より表音文字のハングル文字が主体となった様です。
然るに我が国では表意文字の漢字はおろか表音文字のひらがな、カタカナ迄が加わり本源を凌ぐ様な、更に複雑な言語と化しました。
更にわが国民性の特徴である「的確、厳密、整然好み」の傾向から意味が少しでも違えば別物として新たに造語をどんどん創出していったらしいので、複雑さと多様性は止まる処知らずではなかったかと推測致します。
恐らく当時の言語造りに携わった人達の脳裏には中国長安の碁盤の目の様に整然と広がる街区が強く刻まれていた様な気がしております。
処が表意文字である漢字は只でさえ情報量が多いのに更に表音文字であるひらがな、カタカナを加えた情報量の加速度的増大は文字やそれを記した書物への偏重を促したのではないでしょうか。何しろ文字(書)を「見れば」相当量の情報が立処に得られたのですから。
しかしそれが逆にその他のコミュニケーション手段の発達を阻害した可能性も考えられます。
一方表音文字文化の海外(特に欧米)では表音文字であるアルファベット自体には意味というものはなく、そのアルファベットの組み合わせでやっと意味を表す事になります。
となると当然文章は長くなります。欧米のペーパーバックがやたら分厚いのはそのせいかもしれません。
となると長い文字の連なりはダルいので当然文字を「見て」情報を得る以外のより早く情報が取れる「聞く」「話をする」「振舞いや表情で情報を伝える」文化が発達した事も考えられます(多民族混合言語地域であるという以外の理由に)
是が我が国との差となって現れ、相互混乱を招き、就中我が国国民がコミュニケーション手段のマルチ用法を主とする英語を理解できない「言葉の壁」の元になっているのではなかろうか?と。

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