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(うとQ世話しお知らせ 10/8 新著「原稿用紙3枚以内掌編小説シリーズ52「好きな球が来るのを待っていたら試合は終わってしまいます」発売予定)

2022/10/4
(うとQ世話しお知らせ 10/8 新著「原稿用紙3枚以内掌編小説シリーズ52「好きな球が来るのを待っていたら試合は終わってしまいます」発売予定)
●本書序からの引用
かなり以前、
人にものを伝える表現形式としては、口承伝播性(口にし易さ)、読者想像範囲の広範度からして
「芭蕉の俳句が手本。このコンセプトを活かし、今少しガイド的な言葉添えをした新しい表現形式が出来ないものか?」
なのに、一向にそれが出来ない。
「人は思っている以上に遥かに優れた想像力がある。
高いアンテナとレーダーを備えている。
アンテナやレーダー感度がこちら側の想像以上に高い多くの方々からみれば「何も言わなくても見ればわかる(感じる)」ので、それだけで十分なのに、それ以上敢えて口にしたりパフォーマンスしたりした時点で完全に「過多」「過剰」「嫌味」「これ見よがし」としてしか捉えられていない事に気付いていなかったのです。
しかし是も
昔のある芸人さんの
「んもぅ、言わなくてもいいのに、言うんだもんなぁ」
を使えば他の文言は一斉不要だった。

2022/10/4
本書はその㊿+②でございます。

ある日長男から
「元気にしてる?」
と電話がありました。
「ゲンキ、ビンビンだ。お金以外は」
「あ、そ。なら、いいよ。ゲンキにしてれば」
「お前も、ゲンキか」
「うん」
「なら、いいわ」
で、電話はおしまい。
掌編小説内のようなやりとりがないのがここ最近の常で御座います。
以前は、掌編小説内のオヤジ役の様に、自分は喋りまくっておりました。
そこ迄喋っているのに分ってくれていないと父である自分はイライラし、
反対に息子達は
謂われなくても既に十分分っている事を更に東京大空襲みたいな絨毯爆撃レベルで何回も何回も上重ねで繰り返し言われるのにいい加減ウンザリしていたようです。
その辺、昨今は、右記(上記)の様な自分の気づき、反省もあって幾分改善されてはいる様なものの、元々がお喋りの権化みたいな自分としては隠された欲求のはけ口に困り、言い換えれば欲求不満に陥り、ある種、その解消策としてこのシリーズが始まった様な処もありそうです。
一方外国の家庭はどうかと申しますと、我が国の様な、親しい間柄、なかんずく親子関係に於いては更に、無駄が許されず、最小にして最大の効果を強要する「以心伝心当然世界」を求められますが、彼らにはそのような不文律や文化習慣があまりないようなので、結構ぺちゃくちゃやっているようです。
しかし、我が国では「男のお喋り」言い換えて、自分流の命名法で申し上げますと「男のおばさん」等、終戦後70余年を経た今日ですら「決してあるまじき男の姿」評価のままである様で。
結果、そのはけ口はないものか、あぁでもないこぅでもないと余計な苦労をしておる昨今で御座います。

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