うとQ世話し そもそも初めは一体何のためだったんだっけ?

2020/9/28-3
(うとQ世話し そもそも初めは一体何のためだったんだっけ?)
観察するに、今般のコロナ禍で、自分が知っている各国の人間の中で、極小極貧国の高学歴ではない人間ほど強い気がします。
反対に先進国や大国の高学歴の人間ほど、精神を病んでしまうケースが多いように思われます。
だとすれば、この災禍にあたり、いったい何のために大国になったり、高学歴を苦労して獲得したりするのか?という疑問が湧いてきました。
紐解けば、大国、強国、先進国、高学歴取得の目的は「よりよい生活」と言いながら、その実、地位、名誉、覇権、金力の獲得による「見下し」ないしは「自分都合による我儘の常なる実現」や「優越による満足」
それを平たい言葉で一言いえば
「札束で横面をひっぱたく得も言われぬ快感」の所有権獲得維持。
もっと短く言えば
「私が帝王」
そう言わしめ、在らしめるのが自分の真の目的、欲求、願望、熱望。
しかし、そんなことが目的で、それが実現しない時に欲求不満や抑うつ状態に陥り精神を病むのは当たり前でしょう。
だって世の中の仕組みはそんな風にはできていないからです。そんな我儘を放置する程不公平にはできていないからです。
短期的には不公平に見えても、長期的には必ずそれらは没落という形で公平さの餌食になっているようだからです。
ニューノーマルの時代では、まず大国、強国、先進国になる本心の底からの目的や、高学歴を苦労し得る本心の底からの目的を変えていかないと、世の中も国民諸氏も何一つ今までとは変わらず、果てしない競争の果てに、精神を病むだけの繰り返しをすることになるばかりのような気が致します。
「そもそも初めは、一体何のためにそれをやり始めたんだったっけ?」
そこから自らを深く問い直さない限り、有史以来の数えるいとまがない程、何回となく繰り返されてきた「いつか見た景色」をまたぞろ見るだけの「うんざり」気分を味わうだけことになるような気がしてなりません。

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