うとQ世話し 本日の観察スケッチ その5 この先ちょっと考えてみたいこと

2020/9/25-2
(うとQ世話し 本日の観察スケッチ その5 この先ちょっと考えてみたいこと)
「義理と人情を秤(はかり)に掛けりゃ、義理が重たい世の中だ」
という諺とも歌の歌詞ともつかぬ言葉が我が国にはあります。
まぁ、平たく言えばアタマとこころの訴えを比べると、アタマの訴えの方が勝ることが多いという事になります。
もっと言えば「こころ」の働きである自分の「感情」や「気持ち」より「アタマ」の働きである「金勘定」や「世間様の御意向」の方に目を奪われて選んでしまうということでしょうか。
しかし、本当にそれでいいのか?
コロナ禍前までは、有史以来そうだったけれど、コロナ禍以降もそれでいいのか?
という疑問が湧いてきました。
例えば、こうはならないのか?
「義理と人情を秤に掛けて、平衡保持がこれからだ」
とか。
というのも観察するところ結局人間は「感情の生き物」だからです。
こころ「感情」の方がアタマ「義理」より基底にあるからです。
以前の記事でも書きましたように「人」(身体)という天秤の軸の左側のアタマにあたるところで「義」が0.5、「理」が0.5、その合計で1.0になるのに対して、右側のこころにあたる「情」が単体合計で1.0だというのはそのことの現れです(右一項目で、左二項目と均衡なのは)
また「義理」そのものの在り方や姿も、時としては「感情」の表出や投影でしかない場合もあるからです。
なので「義理」で「感情」を押さえつけるのではなく、感情を上手く「浄化」させて「義理」に振り向ければ「感情」も「義理」も両立する。お互い反目や敵対、相反争議しなくても済む方法はないのかなぁと。
またこの先ちょっと、考えてみたいなぁと思っております。

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