うとQ世話し scale(尺度)

2021/4/12
(うとQ世話し scale(尺度))
再びですが、前の記事で、もし飛行機の窓から眼下に見える黒々とした樹海や鈍色に光る大河がうねるユーラシア大陸の只中に舞い降りる羽目になったら「怖い」と書きました。
しかし、それは文明の利器である飛行機から見て、樹海がどの位拡がっているのか?蛇行する大河がどれ位続いているのか、ある程度分かっていてすら、それ程の恐怖を感じるのですから、そのような利器のなかった先人たちは旅立ちに当って、それを遥かに凌ぐ恐怖を感じた事でしょう。
例えば、積丹半島の最突端、カムイ岬の先に拡がる大海原の向こうがどうなっているのか?
でも、大嵐にあって海の藻屑となってしまうかもしれない、とか
行けども、行けども砂の嵐が吹きすさぶ炎天下のタクラマカン砂漠の向こうにはどのような国があるのだろうか?
だが、オアシスに辿り着けなかったら飢えと渇きでミイラになってしまうかもしれない、とか
大樹海を抜け、湿地帯が拡がり、更には凍土となる、歩を進める毎に生活に適さない風景が広がるばかりのシベリアに分け入り、それでもその先にはどんな世界が待っているのか?
しかし、その前に雪に埋もれて凍え死にしてしまうかもしれない、とか。
ですが、我々の先人達は、その恐怖より「その先に何があるのか?」「その先はどうなっているのか?」
を「見てみたい」「知りたい」という好奇心や興味の誘惑に勝てずに、未知の世界に踏み出していった。
いや気が付いたら旅仕度を終え、既に一歩踏み出していた、のかもしれません。
無論、そもそもの動機は「お金儲け」「新たな交易」「新地開拓」「国の安全保障と領土拡大」だったのかもしれませんが、それにしてもこれら先人達のバイタリティには目を見張るものがあります。
そうして、その結果として、積丹半島の先ではありませんでしたが、稚内の先に間宮林蔵はカムチャッカ半島を見出し、隊商の列は、方やアラブ・ヨーロッパ世界を、片や支那(チャイナ)や日本(ジパング)に至り、シシマリョフ大佐は湿原を超えて、ナホトカに着いた訳です。
そこにどんな住民が住んでいるのか?もわからないまま、無論言葉も通じないままに踏み込んでいった訳です。
殺されるかもしれないのに。
そう思うと無名の先人達の計り知れない(out of measurable scale)開拓者魂に対して深く頭が下がります。
それに比べたら、転勤や転職、海外赴任や海外留学などは「旅」ではなく「旅行」
「大自然」ではなく「箱庭」の様に思えなくもありません。
自分もこの歳に至る迄の大半の時期において、散々な目に遭ってはきましたが、それすらも余りたいした事ではない様な気もします。
自分のものの見方の尺度をどのレベルに置くか?
英語のscale(スケール)には尺度という意味もありますので、言い換えれば
「自分の物の見方のスケールをどこに置くか」
という事になります。
それが、自分の言う処の
「スケール感」
で、御座います。
scaleのお話は以上でござる。


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