うとQ世話し 回顧 私の潮目時

2020/12/10-2
(うとQ世話し 回顧 私の潮目時 )
潮の変わり目。
自分にもありました。
それは小学校5年生の3学期から、突然親に、有名進学校地域に「越境入学」させられた時からです。
その日から、それまで楽しかった学校生活が全然面白くなくなったのです。
壁新聞はなくなるし、夏休みの宿題はドリルみたいなものばかりで、図画工作とか花や石や昆虫の標本作りもなくなったし、近くの青果市場や消防署への徒歩での社会科見学も、全部なくなってしまいました。
おまけに通学路には畑や野原がなく商店街ばかり。
お小遣いをもらう事がなかった自分の身の上では、商店街の品々は却って目の毒でしかなく、只で遊べた畑や野原の通学路が恋しくなりました。
しかも徒歩での通学距離は今までの2倍。
更には放課後や休日は、同級生はみな塾や進学会にいくので遊び仲間も殆どいません。
そんな気疲れやら、三学期は冬の真っ盛りであった事からでしょうか、突如体調を崩して、あるとき授業中に朦朧となって倒れてしまいました。
保健室に運ばれ、暫く休んだ後、用務員さんの運転する自転車の荷台に乗せてもらって帰宅する事になりました。
ところが、自分は「越境入学というあまり良くない事をしているインチキ野郎」という自覚があったものですから、バレては親に迷惑がかかると思い、わざわざ越境居住先(名義だけそこに住んでいる事になっていた先)で下ろしてもらい、熱でふらふらしながら、家とは反対方向だったので、元の小学校の通学距離からすると2X2でおよそ4倍の距離を歩いて帰りました。
転校1週間目の事でした。
それからです、人生がしんどくなってしまったのは。
別に良い学校にも良い会社にも入りたい等とは全く思ってもいませんでした。
シルクロードを探検してみたいとか、恐竜の骨を発掘したいとか、ブラジルに渡って開拓民になりたいとか、そんな事ばかりが夢で、どこを探してもいい「学校」の「が」の字も、いい「会社」の「か」の字もでてきはしませんでしたから。
しかしその後、夢に反して良い学校に入り、良い会社に入り、結果散々な目に遭うことになっていまいました。
なぜなら全然体質に合わなかったからです。合わないのに必死で合う振り、合っているような「お芝居」ばかりしていたからです。
なまじ出世してしまったのもいけませんでした。
それやこれやを、今思うと、あの越境入学による転校が悪い方向に向かう大きな潮目だったような気が致しております。

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