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若者は『きたかわ』を読むー『きたない君がいちばんかわいい』が青少年に読まれている実情についての分析

文:近江楊( @phanomenologist )

※作品の内容に踏み込むので、ネタバレ注意。ウェブサイトやSNSからの引用は全て2023年7月10日時点のものである。また、以下敬称略とする。

 まにお作の百合漫画『きたない君がいちばんかわいい』(全5巻、2019-2022、通称『きたかわ』)は、高校生の少女たちが人目を忍んで嗜虐行為を行い、歪んだ愛情を確認しあうという導入から始まる物語である。同級生の花邑ひなこがランニング途中に嘔吐するという出来事に「かわいさ」を見出した瀬崎愛吏が、わざと嘔吐を誘ったり、腹部にピアスを開けたり、赤ちゃんプレイをしたりなどの異常行動を、わざわざ放課後の教室という人目につくかもしれないスリリングな環境で披露していくというバイオレンスな作風である。だが嗜虐行為は本作の序の口であり、第三者に関係が暴露されたことで愛吏は学校にいられなくなり、精神的に衰弱した愛吏に今度はひなこが逆に「かわいさ」を見出していき、やがて性交に至る。互いに依存を強めていき、町に嫌気が差した二人は、死と隣り合わせの逃避行に繰り出していく。
 マルキ・ド・サドよろしく異常性行動の展覧会のような過激な作風の、エロティシズムとバイオレンスに塗れた成人向けの作品にみえるが、驚くことなかれ、本作は「中高生」に人気を博しているという事実が存在する。その傾向は青少年ユーザの多いとされるSNS「TikTok」(※1)を見れば一目瞭然である。TikTokで「きたない君がいちばんかわいい」と検索してみると、みきとPやきくおのボカロソングやなとりや相対性理論のようなTikTokで人気がある楽曲に併せて、わずか数秒あるいは数十秒の間に『きたかわ』の種々の場面を流すという、個人制作のいわゆる「イメソン動画」を次々に見ることができる。この傾向は掲載誌の『コミック百合姫』の編集部の人間も察知しているようで、『きたかわ』が TikTok をきっかけに、明確な理由は不明としながらも若い読者に広まっていることを述べている(『コミック百合姫』2022年3月号、pp.491-2)。他にも、TwitterやYahoo知恵袋のようなオールドメディアでも、ティーンと思しきユーザが『きたかわ』を読んでいることが散見される。
 それどころか、上記傾向から逆輸入して、出版社側が青少年に『きたかわ』を読むことを推奨している面もある。一般財団法人出版文化産業振興財団が主催する「マンガ感想文コンクール2023」は、「マンガを用いて子どもたちの学習や読書を楽しむための入り口に繋げ」ることを理念として、各コミック出版社の協力のもとで青少年の漫画読書を推奨する企画であるが、その感想文を書くためのおすすめマンガとして、なんと『きたない君がいちばんかわいい』が一迅社によって推奨されているのである。

 「あんな過激な作風で、ともすればR-18指定や有害指定図書になりかねない作品が、なぜ中高生に人気なのか?」と読者は思うかもしれない。あるいは「あんな危険な内容の漫画を、わざわざ子どもに読ませようとする一迅社は反社会的勢力なのではないか?」と思う者もいるだろう。本稿では、「なぜ『きたかわ』が青少年に読まれているのか」の理由を、本作の内容ならびにメディア論の観点から紐解いてみたい。

漫画のジャンル

 そもそも、青少年はどのような漫画を読むのだろうか。少年漫画や少女漫画に掲載されている作品がメインだとは思われるが、次の記事の資料をみると、女子高校生の4.5%、男子高校生7.7%が、青年向け漫画雑誌の『週刊ヤングジャンプ』を読んでいるという。男女ともにアンケートの半数近くが漫画雑誌を読んでいることを踏まえると、これらの数字からは「少年向け、少女向けというカテゴリーを超えて青少年が漫画を読んでいる」という傾向をみることは可能だろう。

 では青少年は、年齢によるジャンル区分を超えてどのような漫画を読むのだろうか。ここで役に立つのが、先に挙げた「マンガ感想文コンクール2023」のおすすめマンガ一覧である。この中には『きたない君がいちばんかわいい』が含まれているので循環説明になってしまうかもしれないが、これは各出版社が小学生から高校生までの読者の読書にふさわしいと考える作品の一覧であるため、一定の参考になるとは考えられる(※2)。また、各作品ごとに「笑い」「学校・部活」などのジャンル分けが最大2つまでなされているため、そこから「どのようなジャンルの作品が数多く青少年向けの作品として選出されているか」を見ることができる。作品は12出版社ごと、5作品ずつ選出されている。
 表1はおすすめマンガの作品リストを整理したもの、表2は漫画ジャンルとそれに該当する表1の作品の数である。

 ジャンルは「ファンタジー」が最も多い19件で、これは60作品のうち31.67%を占める。他作品数に対する割合が20%を超えるものは、「学校・部活」(20.00%)、「青春」(23.33%)、「友情」(23.33%)、「ヒーロー」(21.67%)、「愛情」(21.67%)である。これをみると、読者と同じ青少年を描いた作品や、何かしらの戦いを描いたもの、家族以外の人物との親密な人間関係を描いたものが、青少年に比較的多く読まれる、と出版社によって想定されていると考えられる。「家族」や「生活・社会」のジャンルの作品も取り上げられているものの、それぞれ10.00%、6.67%と比較的少ないのもこの想定を補強する。
 『きたない君がいちばんかわいい』は「学校・部活」と「愛情」にジャンル分けされているが、「学校・部活」に該当する作品は12件(20.00%)、「愛情」は13件(21.67%)と、いずれも青少年にとり安定して人気のあるジャンルであることが想像される。また、ジャンルは最大2つまでなので『きたかわ』にジャンル付けはされていなかったものの、「青春」ジャンルにも十分該当するものと思われる。「青春」ジャンルとは、未成年に固有の経験や感情を描いたジャンルで、大人になる過程の年代を描くという性質上、しばし登場人物の成長を伴うと考えられる。『きたかわ』は登場人物が成長するどころか現実に向き合うことを拒否して心中に至るという真逆の過程を辿ってしまうのだが、異なるスクールカーストに属しながらも仲間に知られずに秘密の逢瀬を重ねるという主人公二人の経験や、学校での地位に強く固執するにかかわらず秘密が暴露されたことによる愛吏の強い絶望、愛吏が他の生徒と連むことに対するひなこの底しれぬ嫉妬心といった感情の描写は「青春」に該当するといってよい。また、「おすすめマンガ」のジャンルには含まれてはいないものの、愛好家から「百合作品」として評価されることの多い作品が、『きたかわ』をはじめとして『作りたい女と食べたい女』と『小林さんちのメイドラゴン』の3件含まれていることも注目に値するだろう。
 まとめると、『きたない君がいちばんかわいい』は一見ニッチな作風にみえるものの、その実「学校・部活」、「愛情」、(「青春」)といった青少年に人気の高いジャンルに属しており、そうした意味では「青少年向け」の作品の要件を満たすものと考えられる。上記12ジャンルはあくまで「マンガ感想文コンクール2023」で用意されたものであり、より細分化することは可能だろうが、一定の傾向をここでみることはできる。

青少年にうけるフィクション

 とはいえ、「学校・部活」、「愛情」、「青春」に属するジャンルの作品は大量にある。そのなかでなぜ『きたかわ』が、上記の「おすすめマンガ」に選出されるだけの格付けがなされたのだろうか。次は中高生がどのような具体的な内容の作品を読むのかを考えてみたい。
 ライターの飯田一史は、中高生に数多く読まれた本の内容の分析を行うために、中高生の脳構造が情動・衝動優位であるとする説をもとにして、下記のニーズを満たした本を中高生が読んでいるのではと推察してモデルとしている(『「若者の読書離れ」というウソ』Kindle版、70/240;75/240、平凡社、2023)。

[中高生が本に求める三大ニーズ]
[1] 正負両方に感情を揺さぶる
[2] 思春期の自意識、反抗心、本音に訴えかける
[3] 読む前から得られる感情がわかり、読みやすい

 [1] について飯田は、「感情に激しく訴えかける要素が顕著な本が好まれている。それも「哀しい」「楽しい」一辺倒ではなく、アップダウンがあったほうが、より好まれる」(飯田、70-71/240)。という。文体が流麗か、内容が知的かはあまり問題とはならず、読んでいて感情をうまく揺さぶってくるような作品が好まれるということだ。それは人物の表情やコマの形などによって感情を伝えることが得意なメディアである漫画にも当てはまるだろう。
 [2]については次のように語られる。「子ども・若者が自立に向かって保護者や教育者の考えや教えを相対化し、他者の視線を気にするようになり、親しい人間にもなかなか言えないことを抱えるようになる時期にふさわしい内容が、好まれている。大人が子どもに説教するようなきれいごと、正論、押しつけがましいだけの話、「いい子」なだけの主人公は好まれない。ただし、最初から最後まで斜に構えているだけで熱く内面を吐露しないものや、ビターテイストを超えて読後に不愉快な気持ちになるもの、ただつらいだけの話も好まれない。普段、友人や家族に言えないようなモヤモヤ、イライラ、不安や不満、反抗心、切実な想いなどをキャラクターが代弁し、昇華してくれるものを求めている」(飯田、71/240)。これも、少年漫画や少女漫画が得意としてきた領域である。
 [3] については以下となる。「語彙が平易で、描写が少なく、設定やストーリーラインがシンプルなほうが望ましい。また、泣ける、エグい(残酷で心をえぐる)、キュンとするといった「読後感が読む前からわかる」ようなタイトルや設定、あらすじ、カバーその他のパッケージングが望ましい。つまり、パッと見で読む前から「エモそう」「ヤバそう」といった予感を与えてくれ、実際すらすら読める内容であり、細切れに読んでもすぐに話の筋やキャラクターが思い出せるもの、ということだ」(飯田、71/240)。漫画はいくらでも構成を複雑にできる表現手法ではあるが、工夫を凝らして読者に読みやすく伝えることも可能とする技法でもある。事前に情報が与えられ、読みやすい作品が好まれるというのも漫画作品に該当するだろう。

 『きたない君がいちばんかわいい』は活字作品ではなく漫画作品ではあるが、上記の三大ニーズに見事に該当することが見て取れる。実際にこのモデルを応用してみてみよう。
 [1]「正負両方に感情を揺さぶる」は言うまでもないだろう。嗜虐行為におけるサディズムやマゾヒズム、容姿端麗な優等生からの転落、共依存状態のなかなされる性行為、衝撃の帰結……などと、過激な行為で人目を惹きつける物語前半から、秘密が暴露されたことから予想のつかない怒涛の展開が巻き起こる物語後半まで、本作は読者の感情を常に揺さぶり続ける作りとなっている。何より『きたない君がいちばんかわいい』というタイトルそのものが、「きたない」というマイナス要素に対する「いちばんかわいい」という肯定的評価という逆説を表しており、感情の負から正への揺さぶり、あるいはその逆を期待させるものである。
 [2]「思春期の自意識、反抗心、本音に訴えかける」というのも強く当てはまる。ひなこが苦しむ姿に「かわいさ」を見出す愛吏の独特の美意識に、愛吏の愛を求めるひなこの強い承認欲求。終盤二人は共依存状態になるが、ひなこが愛吏に自分に依存するように仕向けているように、その実相手が自分なしでもいられることへの不安が現れており、必ずしも両者は通じ合っていないという自意識の描かれ方をみることもできる。この二人だけでなく、他の人間とは違う特別な経験をしてみたいと望む宮園一叶の欲求など、本作は各人の自意識の現れが強く見られる。本作は「大人」が殆ど登場しないのも、登場人物の自意識が当人たちの間で閉じていることを印象付けている。そのため「反抗」が描かれているかというと微妙なところではあるが、終盤の逃避行の末の心中には、一種の反社会性を読み込むことができるだろう。そして、戻ってやり直せばよいのではと思う常識とは裏腹に、元の生活に戻ることを拒み、ついには「永遠」を希求し「死」を望む愛吏の首を締めるひなこの独白と涙と、自分を殺すひなこに対する愛吏の「きれい」という最期の心象は、現実に嫌気が差している思春期の人間の「本音」に強く訴えるものである。
 [3]「読む前から得られる感情がわかり、読みやすい」については、『きたない君がいちばんかわいい』という説明調のタイトルのために、本作が「負」の要素を描いた作品であることが想像できるとは思われる。第1巻を読んだ時点では、まさか心中エンドを迎えるとは予想できなかったという読者が大半だと思われるが、これに関しては後述するが TikTok というメディアの事情が絡むと話が変わってくる。

 さらに飯田は、読まれる本の「四つの型」が存在しているという(飯田、75/240)。
[四つの型]
① 自意識+どんでん返し+真情爆発
② 子どもが大人に勝つ
③ デスゲーム、サバイバル、脱出ゲーム
④「余命もの(死亡確定ロマンス)」と「死者との再会・交流」

 『きたかわ』が該当するのは「四つの型」の①、④である。[1]~[3]の青少年の三大ニーズをすべて満たすことが『きたかわ』では確認できたが、そこから青少年に読まれる本の型 ① 自意識+どんでん返し+真情爆発 を見て取ることができただろう。④「死者との再会・交流」はやや微妙かもしれないが、心中の末にあの世にて二人が再会するというハッピーエンド(「メリーバッドエンド」ともいう)は、④の傾向と類似しているといえる。

 以上のように、『きたかわ』は情動揺れ動く青少年のニーズに訴えかける作風であることが確認できる。それは、「自意識+どんでん返し+真情爆発」という「型」を満たすものでもある。
 『きたかわ』はSM行為や暴力行為に性行為、心中という過激な行為に溢れているが、これは青少年に読まれている本や他の漫画と共通する要素ではある。例えば1999年に刊行された小説『バトル・ロワイアル』は、中学生生徒がクラスメイト同士で殺し合うという物議を醸した設定であるが、100万部以上の大ヒット作となり、以降登場人物が殺し合う「デスゲーム」もの(上記の読まれる型③)が小学校高学年から中高生に人気のジャンルとして定着するようになる(飯田、94/240)。『きたかわ』は同じジャンルではないが、暴力や死を通じた極限状態の中で真情を発露するという点が共通している。性交だけでなく暴力を交えた恋愛作品というと、2000年代の『Deep Love』や『恋空』などのケータイ小説が思い浮かぶだろう。ネタバレになりそうなので言及は控えるが、心中エンドは年代を問わずヒット作の定番である。過激な行為と怒涛の展開が繰り広げられる『人間失格』が、いつの時代も読書感想文の定番として青少年に読み継がれているというのも、上記傾向と合致する。上記のいずれの作品も映像作品に翻案されており、メディアを問わず青少年にヒットしている。『きたかわ』もまたそうした作品群の系譜に位置付けられる可能性がある。

TikTok 売れ

 もっとも、『きたかわ』は一般的な百合愛好家からも注目を浴びていた作品であるが、百合愛好家ではない人、特に『コミック百合姫』の読者ではない人たちが、『きたかわ』に接触することができたというのは不思議なことである。これは一体どういうことなのだろうか。
 先にあげた TikTok 経路での人気点火についてみてみよう。真っ先にインフルエンサーの存在が考えられるだろう。もしフォロー数が多く名作紹介に定評のあるアカウントが作品を紹介していたとしたら、それをきっかけにその作品を読むということが生じるだろう。
 実際のところ『きたかわ』もそのような実情が見られる。書店チェーン店の本部に努め TikTok 上で漫画作品を紹介し続けることで、2023年7月時点で16万のフォロワーを擁する人気を得ている「書店員はな」に紹介されているのだ。以下は2021年9月3日の投稿の内容を書き起こしたものである。

百合漫画が大好きな人集合!
今日は百合漫画の中でも歪みに歪みまくってる『きたない君がいちばんかわいい』を紹介
もうね性癖が捻じ曲がるんじゃないかって作品で、めちゃくちゃ可愛い大人しい感じの女の子がゲロ吐いたりするお話
で、そんなドッロドロに汚くなった誰にも見せない表情が堪らなく大好きなもう一人の女の子との百合物語
そんな感じだからいろんな意味でドロドロ展開が多くて結構お腹いっぱいかなーと思ってたら、この最新の4巻からとンでもない展開が起きて、わぁすげえタイトル回収きた〜って感じ!!
キタなく汚れた女の子が大好物っていう人は読んでみて!

 この紹介動画における「可愛い女の子がゲロを吐く」という説明は、『きたかわ』に見られた上記の三大ニーズの「 [1] 正負両方に感情を揺さぶる」に的確に応えている。それだけでなく、これは「紹介」という言語行為の本質ではあるが、作品に対し「[3] 読む前から得られる感情がわかり、読みやす」くさせることを可能としている。本作はどのような作品なのかをわずか10数秒の動画の中で簡潔に的確に表現し、そして最新刊で何が起こるのかをネタバレを回避しつつ、続きが気になる形でお勧めする。 TikTok の紹介動画によって作品の内容が予告されることで、『きたかわ』の三大ニーズが十全に満たされるようになったわけだ。
 本動画に影響力はあったのだろうか。(2023年7月時点で)再生数は39万弱、いいね数は2.7万とかなり注目されていたことが分かる。数値だけだと注目度合いは判然としないところがあるが、直前に紹介されていたアニメ化人気作品の『トニカクカワイイ』よりも再生数やいいね数を上回っている、というと分かりやすいだろうか(『トニカワ』は再生数32万、いいね数2.2万)。売上へのつながりについては、書店員はなによると、再生数が2、30万をいくと勤務先店舗での漫画作品の売上の上昇が感じられ、それから逆算するとチェーン全体では2、30冊、書店全体だと全国で1000冊が売れていると考えられるという。『きたかわ』紹介動画の再生数から単純に考えると、紹介動画で千冊強が売れたということになる。

 書店員はな以前には、2020年6月26日に、 @ria06188 が『きたかわ』の第1、2巻を購入した報告動画をあげている。これはいいね数8400近くと影響力は比較的大きくはないが、書店員はなと@ria06188 の動画以前には #きたない君がいちばんかわいい とハッシュタグをつけた動画は見当たらず、確認できる最初の #きたない君がいちばんかわいい 動画と考えられる。「イメソン動画」は2021年11月に投稿された後、2022年1月に入ってから毎月投稿されるようになる。
 もっとも、「TikTok売れ」はそれをきっかけにして本が売れるようになったというよりは、もともと人気があった本をインフルエンサーが紹介することでさらなる売り上げに繋がった、というのが実情らしい(飯田、59-60/240)。『きたかわ』は元々百合姫読者や百合愛好家に人気を博していた作品ではあったのだが、書店員はなをはじめとしたインフルエンサーが、TikTok で取り上げたことで若い世代に広く知られるようになった、というところだろう。

 しかし、単に一度インフルエンサーに紹介されたというだけだと、その後も続く『きたかわ』の TikTok 上での根強い人気を説明できない。動画の影響力は基本的には短期間にとどまるからである。実際書店員はなも、TikTok は瞬間風速が強い一方でブームは長続きせず、動画がバズってから重版がかかって店頭に並ぶまでに1ヶ月経つと忘れ去られてしまうと語っている。

しかし『きたかわ』の場合は完結から1年経っているにもかかわらず未だ重版がかかり、Twitter 上のつぶやきで好きな作品として『きたかわ』が取り上げられることが多く、 TikTok 上では新作イメソン動画がいまだに配信され続けているのである。この人気はどこから来ているのか。


 答えは TikTok というメディアの固有性、そして「新作動画が配信され続けている」という事実そのものにある。TikTok にはレコメンド機能があり、アプリを立ち上げるとおすすめ動画が再生されるのだが、これはユーザの年齢や性別、過去の視聴履歴をもとにして推薦された動画である(飯田、61/240)。おそらく TIkTok で『きたかわ』を知った人たちは、特に百合作品に強いこだわりをもたずとも、自分の好きな作品の傾向に適いそうな作品として『きたかわ』のイメソン動画がレコメンドされたことをきっかけにして、作品に触れたのではなかろうか。『きたかわ』に限らず一迅社の作品は、一迅プラスやLINEマンガ、ニコニコ静画などといったウェブ漫画サイトで一部話数が無料公開されているので、TikTok経由でそこにつながったり、あるいは実際に買って読むようになったと考えられる。そして作品を読んだ読者が、その作品のキャラクターや世界観に感化され、その作品をもとにして動画を作成して投稿し、それが TikTok 上でレコメンドされてまた知名度の獲得につながる、というような連鎖が生じていると考えられる。

 『きたかわ』のイメソン動画はどのような作品になっているのだろうか。作品の内容に合わせて、きくおの「君はできない子」やみきとPの「少女レイ」のような暗い内容であったり自殺を題材にした音楽を流す動画も見られる。だが、 #きたない君がいちばんかわいい の「いいね」数トップ5のイメソン動画(※3)で使われる音楽を見ると、意外な傾向がみられる。

・相対性理論の「おはようオーパーツ」(いいね数3万7百)
・なきその「ド屑」(いいね数2万4千8百)
・Perfume の「だいじょばない」(いいね数2万3千9百)
・メルの「さようなら、花泥棒さん」(いいね数8千2百)
・Vaundy の「不可幸力」(いいね数6千6百)

「ド屑」や「さようなら、花泥棒さん」、「不可幸力」は『きたかわ』の暗い雰囲気や共依存的な恋愛要素にマッチしているのだが、「おはようオーパーツ」や「だいじょばない」は暗い雰囲気は全くなく、どちらかというとシュール系の音楽である。
 「おはようオーパーツ」を使用した、いいね数トップの「なの」による動画を分析してみよう。「髪の毛さらさらストレート」という歌詞のところで愛吏のビジュアルを映し出し、直後「くせ毛」のところでひなこに変えることで、両者の髪型と歌詞を強くリンクさせていることが分かる。歌詞は本来的にはストレートヘアの先っぽがくせ毛になっていることへの不快感を歌っているのだろうが、本動画はそうした文脈を無視して、愛吏とひなこの髪型へと分解しているのだ(そもそも相対性理論の曲は歌詞の文脈が殆どないか不可思議なものばかりなので、このようにイメソンに適宜分解して適用しやすいのかもしれない)。
 ここで印象付けられるのはキャラクターの髪型の特徴に限らず、『きたかわ』という漫画がもつ絵柄の可愛らしさでもある。「おはようオーパーツ」の軽快で親しみやすいメロディとリズムに載せて表示されるのは、線が細く、絵柄付きトーンで装飾された可愛らしい絵柄の少女であり、本作のポップで可愛らしい絵柄の魅力を引き出すことに成功している。二人でヴェールを被りながら指切りをする「百合的」なシーンもある。だが一緒に提示されるのは、暗い顔をした愛吏の長い髪の毛を切り落とすやや陰鬱なシーンであったり、ゴスロリ服を着たサブカル趣味を感じさせるワンシーンであったり、そして首絞めを行う大変ショッキングなシーンであったりする。歌詞の「デイトレード」は全く関係ないものの、「ハラハラ」「失敗続き」といった部分を断片的にきいてみると、『きたかわ』の負の側面をオブラートに包んで可愛らしく解釈したとも言えなくもない。要は「可愛らしい絵柄で親しみやすいが、その反面中身はハードである」という『きたかわ』の特徴を、なのの動画は「おはようオーパーツ」を使ってある種解剖的に捉えて表現している。
 同じ題材を用いているので当然ではあるのだが、他の『きたかわ』イメソン動画にも「可愛らしさとハードな行為のギャップ」を抽出するという似た傾向がみられる。書店員はなの紹介動画も、「可愛い女の子がゲロを吐く」という点をピックアップしている。とはいえなのの動画は、使用しているのが闇とは程遠い軽快な音楽なのでかえって『きたかわ』の特徴を剔抉していると言えよう。

 ここで先程の「三大ニーズ」を思い出してみよう。イメソン動画は本や漫画の「三大ニーズ」を促進する一面があると考えられる。「可愛らしい絵柄で親しみやすいが、その反面中身はハードである」というのは、[1] 「正負両方に感情を揺さぶる」というニーズに該当する。俗な言い方をすると、いわゆる「ギャップ萌え」である。
 [2]「思春期の自意識、反抗心、本音に訴えかける」については、コマの断片だけでは長い語りを必要とするそうした内容を伝えることは難しいと思われる一方で、「歌詞」が強力な武器となる。『きたかわ』のイメソン動画は漫画で表現されている思春期特有の感情に共鳴した音楽を、(「おはようオーパーツ」や「だいじょばない」は例外とはいえ)採用することが多い。それを通じてリスナーは、『きたかわ』はこのような感情を描いた作品なのだということを推察することができる。
 [3] 「読む前から得られる感情がわかり、読みやすい」については、ネタバレの多い TikTok 動画を見て『きたかわ』を知った人にとっては、紹介動画と同様にどのような作品でありどのような感情のニーズを満たすことができるかを予め知ることができる。作品そのものに由来する性質ではないものの、 TikTok というメディアの特性により、読む前から得られる感情が分かるというニーズは充分満たせていると考えられる。

 『きたかわ』と TikTok の関係についてまとめると次のように言えるだろう。
① インフルエンサーの影響で TikToker に知られ、読まれるようになる。
② 『きたかわ』の絵柄の可愛さとハードな行為のギャップが、物語に共鳴する音楽とともにイメソン動画で取り上げられ、それが若者の多い TikToker にレコメンドされて興味を獲得し、作品の読書につながる。
③ ①②で『きたかわ』に親しんだ一部の TikToker が新たにイメソン動画を制作し、それがまた①に準じた紹介動画を作ったり、②につながるという連鎖反応が生じる。

『きたかわ』の繋げ方

 以上、『きたない君がいちばんかわいい』がなぜ青少年に読まれているのかを、作品ジャンルや作品内容、そして作品の伝播に寄与した TikTok の特性に注目して分析してみた。本作は百合愛好家の評価基準(百合であること)から少し離れて、青少年の心の揺れ動きを描いた作品として見てみると、青少年のニーズに強く合致した作品であることが確認できた。そして、 TikTok という「大人」が比較的少ないメディアを介して本作が青少年に広まった経緯を見ることで、作品の伝わり方をより多面的に考察することができただろう。
 最後に、『きたない君がいちばんかわいい』の青少年方向に対する成功から、作品や百合ジャンルをどのように繋げるか、そして、そもそも『きたかわ』のような作品が青少年に読まれていることについてどう評価すべきか、を見てみたい。

メディア展開と性表現

 『きたない君がいちばんかわいい』のアニメ化(あるいは実写作品化)はファンの待望するところであろうが、未だに重版が相次いでいるにもかかわらずその気配はない。それにこれまで見てきたように、映像作品化するにしてもそれが成功するには、原作を愛好する青少年を巻き取らないといけないはずである。1クール放映アニメ作品として提示するにしては、『きたかわ』は完結済みの作品のため難しいかもしれない。劇場公開作品は可能性があるかもしれないが、映倫との兼ね合いからして『きたかわ』の映像化には困難が伴うことが容易に想像できるだろう。性描写や暴力描写をそのまま再現したら年齢制限は免れ得ない。とはいえ、年齢制限によって青少年を視聴対象から追い出すことは、『きたかわ』ファンの多くを追い出すことになってしまう。現に『きたない君がいちばんかわいい』のASMRが販売されているものの、これはR-18作品となっており、未成年がアクセスすることはできない。出演者も主にアダルトゲームで活躍している声優であるため、別にエロゲ声優は作品に相応しくないと主張するわけではないが、知名度的に青少年に向いているとは言えない。
 フィクションにおける性表現について、飯田は興味深い指摘をしている。日本性教育協会が実施している「青少年の性行動全国調査」の2017年調査では、「性に関心がない」という意思表示をする若者は、2017年には中学生男子では50.6%、同女子68.4%であった。これを受けて飯田は、半数以上が「性に関心がない」と答えているのだから、性的なフィクションが中高生にうけづらいのは当然であると主張している(飯田、144/240)。『きたかわ』には性表現はあるが、そうした性的な過激さにのみ注目すると、青少年にヒットしている理由は見逃されるかもしれない。『きたかわ』が好まれているのは「可愛らしい絵柄とハードな行為」とのギャップであったり、息をつかせぬ怒涛の展開の連続のためであったりするのだ。『きたかわ』を広めるには、単に作品のいち側面だけに注目するのでなく、ターゲットに対してどのようにアピールできるかを分析しなくてはならない(※4)。
 以上のように『きたかわ』のメディア展開には大きな困難がつきまとっている。年齢制限を設けるにしてもせいぜいR15+程度の表現であることが望まれるが、青少年に希求するにあたっては必ずしも性表現に強くこだわる必要はないとも考えられるだろう。

他の作品への繋げ方

 『きたかわ』に満足するだけでなく、他の作品にも手にとってもらいたいというのは愛好家や出版社の望むところだろう。だが『きたかわ』をきっかけにして百合愛好家を増やすにはどうすればよいのだろうか。
 管見の限りだと、『きたかわ』を愛好する青少年読者は、他にも鍵空とみやき『ハッピーシュガーライフ』や西畑けい『きもちわるいから君がすき』を手に取っているようである。どちらも『きたかわ』に共通するような異常な人間関係を通して互いの愛情を確認しあうという作風になっている。
 だがこれらは『コミック百合姫』に掲載されていた作品ではない。本誌ではどのようになっているだろうか。実のところ、近年の『コミック百合姫』では、『きたかわ』の成功に味を占めたのか、暗い作風の百合作品が目立つようになってきている。「暗い作風」とは、病気や死を扱ったもの、浮気を題材としたもの、サイコパス描写、虐待描写、といった要素をもった作風のことである。
 そのうちの連載中の作品をみてみよう。()内は連載時期である。

ゆあま『君と綴るうたかた』(2020年7月〜)
岩見樹代子『今日はカノジョがいないから』(2021年8月〜)
まにお『愛したぶんだけ愛してほしいっ!』(2022年11月〜)
シクシク『この世で一番素敵な終わり方』(2023年1月〜)
さかさな『奈落の花園』(2023年1月〜)
金子ある『平良深姉妹はどっちもヤんでる』(2023年1月〜)
くわばらたもつ『ぜんぶ壊して地獄で愛して』(2023年4月〜)

 これだけ多くの暗い作風の作品が現在『コミック百合姫』に連載されているのであるが、とはいえこれらの作品がすべて青少年の感性に訴えるかというと怪しいところではある。『平良深姉妹はどっちもヤんでる』や同じくまにお作の『愛したぶんだけ愛してほしいっ!』は成人が主人公であるため、未成年の共感を得られるかは微妙なところではある。また『奈落の花園』は主人公が小学生のため、中高生メインの層からすると逆に幼い印象を与える。未成年が主人公の作品が大半ではあるものの、それが『きたかわ』の系譜を受け継いでくれるかは今後の展開次第だろう。
 内容だけでなく、 TikTok との親和性の強さという点も『きたかわ』のヒットの地盤を受け継ぐうえで重要であろう。TikTok 受けする漫画となると未知数のところはあるが、かしわぎつきこの『陰キャギャルでもイキがりたい!』がいい線にいきそうである。これは暗い要素はないギャグ漫画ではあるが、お笑いのパロディやファッションネタなど青少年にキャッチーな要素は少なからずもっている。また作者が Twitter 上で作品を無料公開していたりするので、作品へのアクセスは他と比べて容易だったりする。似たような展開を TikTok 上で行うと、存外化けるかもしれない。

『きたかわ』が青少年に読まれている実情をどう見るか

 これまで見てきたように、『きたかわ』は倫理的にはちっとも正しくない作風である。異常性癖描写や性表現、暴力描写があり、また1910年代に社会問題となった同性同士の心中を彷彿とさせるところもあるので、本作を青少年に勧めるには若干気が引けるところがある。しかしあの話から読者が何かを感じ取り、言語化する能力や映像作品として表現する能力を身につけられるのであれば、それは表現力を身につけるという意味で良いことではあろう。それは現に『こゝろ』や『人間失格』を題材にして行われていることでもある。一迅社がマンガ感想文コンクールのおすすめマンガに『きたかわ』を選んだのは、中高生に広く読まれていると思しき『きたかわ』は、感想文を通じたコミュニケーションの題材に相応しいと考えたためだろう。文教大学教育学部教授の甲斐雄一郎は次のように述べている。

「私たちは数多くのマンガを読むことによって自分自身を、友達や家族を、そして世界を、広く深く理解し発見することができます。マンガ感想文コンクールの意味は、皆さん一人一人がマンガを通して理解したことや発見したことを交流することにあります」

 本稿では『きたかわ』の特徴や魅力を分析してきたが、これはあくまで成人の視点である。自分はかつてフィクションで表現される「闇」を愛好しており、今でも時折摂取するものの、そこにはどうしても成人としての批評的視点が入ってしまう。例えば本作の結末は同性愛者を描いた作品で頻繁に見られた「性規範から逸脱するとされる者への制裁」に該当しないか、該当しないとすればそれは何ゆえか、などとしばし考える。もっとも、これはあくまで一つの視点である。本稿を読んだ青少年の読者がいるかどうかは分からないが、本稿の視点に必ずしもこだわらずに『きたかわ』を読み、固有の理解や発見をしてもらいたい。そして発信して欲しい。『きたかわ』はそれだけの潜勢力を持った作品である。

注釈
※1  TikTok において10代のユーザの割合が大きいことについては、以下の総務省の資料「令和2年度情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査報告書」(リンク先はPDF)の表を参照。

また、 TikTok アカウントを所持する条件としてユーザの年齢が13歳以上であることがコミュニティガイドラインで定められているので、小学生への『きたかわ』の知名度は限定的と考えられる。

※2 本来は青少年がどのような漫画作品を読んでいるのかのアンケートを引用すればよいのだろうが、管見の限りではそのようなアンケートは残念ながら見られなかった。

※3 #きたない君がいちばんかわいい のハッシュタグをつけた投稿の中にはいいね数上位であったものの、楽曲の著作権違反により削除されたものも存在する。これらについては今回は考慮しない。

※4 ターゲティングと商品展開を誤った例として、2021年6月に開催された『安達としまむら』の POP UP SHOP の展示が挙げられる。主人公二人の半裸の新規イラストが展示され、そのイラストを使用したグッズが販売されていたのである。『あだしま』には多少は性的な要素はあるものの、本作が支持されたのは、世間擦れしており人や物事に強い関心を抱かない少女しまむらと、人間関係を作るのが苦手としながら、自分の中に生じたしまむらに対する感情や情動の変化に悩み、大きい行動に出ようとする少女安達の、あまりキラキラとはしてない青少年の事情に踏み込んだ人物描写がとても共感を呼ぶもので、そして何より恋愛要素を明確に提示した百合作品だったからである。綺麗事にとらわれない思春期の描写という意味で本作は青少年に希求するピュイサンスを持っており、またアニメ版では主役に若い世代に人気の声優を起用したにもかかわらず、商品展開では性的要素を前面に出すというのはマーケティングを誤っていたと言わざるを得ない。 

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