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電気や水道はなかったけれど。「1人目」の母と出会った二ジュール共和国

「私を変えたあの時、あの場所」

~Vol.24 ニジェール共和国

本コーナーでは、東京大学にゆかりのある先生方から海外経験談をお聞きし、紹介していきます。

今回は、関谷 雄一先生に、ニジェール共和国で長期フィールドワークをされた当時のご体験をお伺いしました。取り上げた場所については こちら から。

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電気も水道もない地域へ。理にかなった砂丘の「トイレ」

——1996年から1998年にかけて、ニジェール共和国で過ごされています。どのようなきっかけで渡航されたのか、お聞かせください。

関谷先生: 文化人類学を学ぶ大学院博士課程学生として、長期のフィールドワーク(参与観察)を行う必要があったことと、社会開発・国際援助の仕事もしてみたかったので、両方が実現できそうな活動として、当時、青年海外協力隊がニジェール共和国で展開していた「緑の推進協力プロジェクト(アグロフォレストリー型の社会開発プロジェクト)」に、村落開発普及員として赴任しました。


——フィールドワークと現地の社会開発プロジェクト参加のためだったのですね。滞在中の一番印象的だった出来事について教えてください。

関谷先生: 2年半の間、居候させていただくことになった、ヨレイズ・コアラ(ヨレイズ村)は、電気・水道などがなく、夜は焚火や灯油のランプなどを灯し、生活用水は川の水や井戸水を汲んできて使用する毎日でした。電気や水道がある暮らしが当たり前だった自分にとっては、事前の情報で想像していたものの、かなりショッキングな毎日が続きました。例えば、トイレは、村の客人用に作られた家畜小屋の横の大きな穴に向けてするか、村から離れた砂丘上で人影のないところでするか、を選ぶしかありませんでした。多くの村人は砂丘上か、川辺の人影のないところであたりかまわずしていることに気づいたときは、とんでもないことが起きていると、思ったものでした。しかしながら、よく考えると日中は40度以上まで気温が上がり、風も強く、川辺なら絶えず水が流れるところなので、村の中の1か所の穴にめがけて毎日用を足し、あとで村人に片づけてもらう(けれども片づかずに放置されている)より、逆に衛生的であることに気づき、「へぇ」と感心したものです。

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▲植林活動中の写真。1998年7月頃の様子


甕の貯水や灯油ランプも、実は快適な側面が

——トイレのお話、気候を踏まえたら「逆に衛生的」というのは興味深いです! 他にも印象的な出来事をお聞かせください。

関谷先生: 発見はトイレだけではなく、生活上のさまざまな場面で、日本では経験をしたことのない素朴で地味な生存のためのライフスキルや考え方がたくさんあり、以後の私の生き方を大きく変えたのは確かです。例えば、井戸から汲み上げた水を、素焼きの甕にためておき飲み水として保存する方法は、中の水が土器からしみ出して表面で蒸発し気化熱が奪われることでいつまでも冷たく美味しい状態を保つこともできました。灯油ランプの明かりで読み書きをする癖も、集中力を高めるのに効果的であったような気がします。

不便そうな暮らし方にも、無駄のない、快適な側面もあって、それに気づくことができたのは大変大きな収穫だったと思います。電気をつけっぱなしにしない、水を流しっぱなしにしない、周りにあるものを駆使して生活を快適にすることを考えてみる、そのような習慣はおそらくアフリカの生活の中で培われたものだと思います。

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▲滞在中の、家の中のデスク


年月が経っても切れることのない縁

——アフリカでの滞在を通じて「得られた」と思うことはなんですか?

関谷先生: 自らの行動様式の無駄をなくすことを考えられるようになったことは私の生き方にとても大きな幸せをもたらしたのですが、全体を通じて得られたより大きなものは、そうした人々とのつながり、そしてそのつながりをいつまでも持ち続けようとする考え方でした。一度離れてしまえばそれで縁は切れる、ということにはならず、数年後にまた会ったり、話したりしながらお互いの成長ぶりや変わりようを見てまた知らなかった相手を発見することは楽しいもので人生を豊かにしてくれていると感じます。

最初に訪れたニジェールの村から日本に帰り、やがて結婚をして、再び10年ぶりくらいに、妻と一緒に同じ村に行きました。そのときの村の人たちの喜びようや大歓迎の接待は今も忘れません。印象的だったのは、最初に一人で居候をさせてもらっていたときよりも、よりお互いの間にある壁のようなものが取り除かれ、より人間らしく接することができるようになったことです。


——約10年ぶりの再会で大歓迎してもらえるのはとてもうれしいですね。再訪時のお話をさらにお伺いできますか?

関谷先生: こちら写真(下掲)は、2010年頃に妻と一緒にニジェールのヨレイズ村を訪れたときに、再会した居候先の最高齢のお母さん役、Fさん(元村長の妹)でした。彼女は、村の中で最も恐れられていた女性で、長老陣だけでなく、村を訪れる政府の役人や援助機関の外国人でさえ、ひるむ交渉人でした。ある日などは彼女が国連関係機関の公用車に乗せてもらって街に買い物に行くところも見かけたものです。

知り合ってから10年以上も経ってようやく妻を連れていき挨拶し、「あなたも私の母親で、私には母親が2人いる」と冗談を言うと、彼女は即座にニヤッと笑って「2人目は誰なの」と聞き返してきたのにはまいりました。残念ながらこの写真の直後に彼女は病気で他界したのですが、私の心の中ではいつまでも「1人目」の母親なのではないかと思っています。

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▲ヨレイズ村のFさん


帰国後の音楽、食べ物、テレビ……、海外体験は一過性ではない

——海外での体験が今のご自身の中で活きているなと思うことはありますか?

関谷先生: 職業柄、海外での体験は、私の仕事に大きく活かされていますが、それ以外の場面でも私の生き方に大きく影響を与えています。一人で外国で暮らすことの心細さを思えばこそ、留学生が来たときには、その人の気持ちを想像しようとするものです。また、一度は生活で使っていた外国語を忘れないようにたまに語学学校に通いなおしながら、外国語のスキルをチューンアップしたりすることも試しています。その国や地域で聞いていた音楽、食べてみた物、見ていたテレビ番組などとたまに日本で再び遭遇するとき、海外での体験は一過性のものではなく、生涯生き方に影響を与えるものであることを実感できます。


早いうちの経験がチャンスにつながる

——最後に、これから留学や国際交流体験を希望している学生へメッセージをお願いします!

関谷先生: 学生時代の私は、留学や国際交流の機会は多くあったにも関わらず、お金がかかる、煩わしい、回り道になる、いずれ行くべきときは海外に行くはず、などと自分に言い聞かせてその選択をしませんでした。今から思えば単に面倒くさいとも思っていたのでしょう。そのことをとても後悔しています。

私が初めて一人で海外に赴任したとき、既に大学院の博士課程の学年で遅かったです。もう少し若い時代に行けていれば、もっと外国語もうまく使えるようになったはずですし、友達も今より多かったかもしれない、と思うと、できるだけ早く留学や国際交流を経験される方が良いと思います。

——ありがとうございました!


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