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「文章を書く」という行為は案外特殊スキルなのかもしれないと思った話

幼稚園や保育園、若しくはご家庭で文字を習い、小学生で作文を書き、中学生や高校生になると記述式のテストも増えてきて、大学生では卒業論文を書く人もいる。たとえ学校に通っていなくたってメール、手紙、ツイートなど「文章を書く」という行為は日常に自然と息づいている。だから文章を書くのは簡単だ。そう思っていた。

だが、そうでもないらしいことが最近ぼんやりと分かってきた。

話を分かりやすくするためにここで簡素な自己紹介をしておくと、私は趣味で小説やnoteといった文章を書いているしがない文字書きだ。初めて作品(動画)を世に出した時から、ありがたいことに文章や語彙、解釈を褒めていただくことが多くそれが自然と自信につながり、小説を書いてみたいという気持ちも相まって文章を世に細々と発表することになった。

だが、私にとって「文章を書く」という行為は諦めの選択肢だった。

私はイラストを描くことに憧れがあり、それと同時にイラストを描けないという事実が強烈なコンプレックスだった。イラストを描く努力をしていない時点でこんなコンプレックスを抱くのはちゃんちゃらおかしいと思われるかもしれないが、素敵なイラストがそこら中に溢れている昨今、自分の中のイラストに対するハードルが爆上がりしているが故に完璧主義も相まってなかなか一歩を踏み出せないのだ。周りの人たちはファンアートを書いて、素敵なイラストを生み出している。それに対して見る専の私は何もしていない。イラストを描けないなら、文章を書くしかない。そんな気持ちで小説(ファンフィクション)を書き始めた。

何かを生み出す人がいるなら、それを消費する人も必要で、二者の間に貴賤はないということが今なら理解できるのだが、創作をしていないということに大きな焦燥感を抱いていたころの私は消費する人の価値を分からず自分の存在を大変低く見ていた。創作する側に回った今なら、自分がしていた大好きの気持ちを感想として作者に伝えることや、いいねやリツイートをすることがどれだけ作者にとって励みになるか(もちろん反応を気にしない人もいる)身をもってわかるのだが。

そういった事情があり、私は「文章を書く」という行為を誰もが当たり前にできる行為だと低く見積もっていた。だから、自分の感情を言葉にすることや感想を紡ぐことを困難に感じる人がいることに驚いたし、ありがたいことに文章を褒められる機会が増えたおかげでもしかしたら自分が自然と行っている「文章を書く」ということは特別なことなのかもしれないと思うようになった。

あと、心に残っているフォロワーさんの言葉がある。「文章も立派なファンアート」という言葉だ。イラストも文章も創作物という点で貴賤はなく(誤解のないように記しておくが私は小説やファンフィクションが大好きだ。低く見ていたのは自分の文章である)、作品を生み出すというのは等しくすごいことなのだと説いてもらった時の目から鱗が落ちるかのような感覚を味わった瞬間は今でも忘れられない。私の文章は素敵なイラストに引けを取らない素晴らしいものであると肯定してもらえた時の感動は一入であった。

だから、絵を描けないことにコンプレックスを抱いているすべての文字書きに伝えたい。貴方がしている「文章を書く」という行為はすごいことなんだよ、と。


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