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【総集編】17人の東大生が「遊び」について考えた17日

こんにちは。広報の林です。

改めてみなさま、この3週間私たちのリレーエッセイにお付き合いいただきありがとうございました!

17人の「遊び」への向き合い方は様々で、私自身毎日とっても楽しんでいました。

本日は、もう全部読んだよって方にも、まだ読んでないよって方にもエッセイの魅力が今一度届くよう、それぞれのnoteの素敵な部分を抜粋してお届けします!

(そもそもどうしてリレーエッセイを書いてたの? 小林真理ゼミって何者?って方は、まずはこちらのnoteをご覧ください。)


金曜日の夜をはじめる私と、私のようなあなたへ

文学部美学芸術学専修課程3年 林怜実

遊びが「目的」でなくなった今、私たちはそれを見落としがちです。
それがなくとも、生活が回っているように見えてしまうから。
遊ぶことがなんとなく、ダサく思えてしまうから。

「したい」と「しなければならない」のはざまで

文学部美学芸術学専修課程4年 伊達摩彦

「したい」と「しなければならない」は、はっきりと区別できるものだと思っていた。
しかし、きっとそうではないのだ。
私たちの生活ではきっと、「したい」と「しなければならない」は、ごちゃ混ぜになっているのだ。

「遊び」の出発点

文学部社会学専修課程3年 市島妃乃

思うままに、体を動かす。
自分にとって、楽しいことを探す。
自然と、創造的になります。
「遊び」を覚え始めて、わたしは人生が楽しくなりました。自由に、人生を創り出せるようになりました。

四季折々の遊びの提案

文学部美学芸術学専修課程4年 石井萌愛

手はじめに、春はあけぼの。
早起きをして、明けていく空を眺めながらしたいことってなんだろう。
ベランダでホットミルクや温かい梅酒を飲むこと。海辺でのキャッチボール、桜の下の手持ち花火。まだ少し身体が冷えるから、遊び終えたら湯気の立つきつねうどんを食べたい。

走りゆく子どもたちの背を追いかけて

文学部美学芸術学専修課程4年 長沼航

子どもたちの感覚により近づけるなら、彼らは全てを凸面として認識している、と表現した方が良いのかもしれない。大人になるにつれその凸面がどんどんへこんでいく。あるいは、もともと図だったものが地になっていく過程。それは知識の獲得と社会性の構築とパラレルだ。

バカで壮大な『遊び』の話

文学部社会学専修課程3年 寺田茉弥

YouTuberって『遊び』を全力でやっている人たちなんです。『遊び』なのに全力でやるから、見ていておもしろいんだと思います。側から見ると何してんだって思われそうな、バカで壮大な『遊び』。

外遊びが好きじゃなかったあの頃の私に伝えたいこと。

文学部美術史学専修課程3年 齊藤瑞穂

いつのまにか、晴れた日にうんざりするようになっていた。
外に出るのが嫌いだと思うようになっていた。
ここ数年のことである。
そんな私が、「晴れた日の外」が好きかもしれないと思い始めたのは。

遊んでるつもりの僕たちに

文学部美学芸術学専修課程3年 久毛匠

ゼミに参加していて、どうして本郷キャンパスで遊ばなきゃいけないのかということを自分で考えることがあります。
一応の答えとしては、
大学のキャンパスが、みんなが遊べる最後の砦だから
ということがあると思うんですね。

「待ち」の美学〜改札前、いかに”クール”に佇むか〜

文学部社会学専修課程4年 笹原花

想像してみてください。
あなたはもうすぐ恋人になりそうな友人との待ち合わせに向かっている。新宿での乗り換えを失敗し、5分ほど遅れてしまった。もうすぐ恋人になりそうな友人にその旨を伝え、あなたは走る。華麗にパスモをタッチする。人混みの向こうに、もうすぐ恋人になりそうな友人の姿が見える。あなたは高鳴る気持ちを抑え、呼吸を整える。もうすぐ恋人になりそうな友人まで10m、5m、4m、3m…。2mまで近づいてあなたはハッとする。彼/彼女の右手にはiphoneが握られていたのであるー

適当のすすめ

文学部美術史学専修課程4年 金子実礼

「自分ルール」の裏テーマは「適当」だ。
例えばルール変更。ルールはいつでも更新されうる。はじめから変わらないものもあれば、途中で加わるものもある。途中から気にしなくなるものもあれば、人に指摘されて初めてルールだと気付くものもあるかもしれない。

次の週末は木登りしよう

文学部社会学専修課程4年 森本清香

ふと思い出す。いや待てよ、小さい頃の自分って体を動かすことを純粋に楽しんでいたんじゃないか!? 体を使って遊んで、「創造」すらしていたんじゃないか!?
ということで、私は「体で遊ぶ」をテーマに自分の遊び史を振り返りたい。

イナリタビソア!

文学部美術史学専修課程3年 平河伴菜

イナリタビソア!

ばらばらになる

文学部社会学専修課程3年 若松希絵

型なんて用意しなくても、ありのままの形で、
わたしとそこにいた人しか、知らない形で、
その場所でしか、ありえない形で、
終わってみないと、わからない形でもって、
ばらばらになる。

責任ある遊び、ということ

経済学部経営学科3年 近江諒哉

このリレーエッセイのテーマを聞いた時大変驚いたのを覚えている。
「わたしと阿蘇火」
遊びをテーマにしたプロジェクトだから、エッセイのテーマは阿蘇火!そう思いついたときのTwitter担当、林さとみのキラキラした顔が目に浮かぶ。それは安易だ林、林安易さとみ。

魔法少女になれなかった私

文学部社会学専修課程3年 池田寧夢(副ゼミ長)

たしかに空想の世界は楽しかったけど、私はあまりにもこの世界を置いてけぼりにしすぎた。
大学生になり、異世界への脱出を断念せざるを得なくなった私は、この世界で遊ぶ術をほとんど持ち合わせていなかった。
うーん、こまった。
頭の中で空想して満足するだけでなく、私の頭の中のイメージをこの世界で実現すること。
これが私が考えた、私とこの世界との両思い大作戦だ。

遊びはガチでマジ

文学部美学芸術学専修課程4年 宮本ひとみ(ゼミ長)

なるほど、遊びって私にとっていつの間にか本気(ガチ)で真剣(マジ)でやってしまうもの。
今の私にとっての遊プロも、そう。
そして、そういう遊びって学びに繋がっている。
遊びながら、学んでいた
学ぶことが、遊びだった
学んでは、遊んでいた

あなたにもそんな日々はなかったでしょうか?
あの時、誰か大人に教えて欲しかった。本当の理由を。どうしたら認めてもらえるのかを。
私が遊ばなくなった日はあの日だなと思ったのです。

エッセイ「あそび」

大学院人文社会系研究科文化資源学研究専攻 小林真理教授

先日、カシミヤの糸を使ったスヌード(首巻き)を作る手織りの体験をした。きれいな色の糸が並べられているのに引き寄せられた。なぜやってみたいと思ったのかはわからない。
なぜアートプロジェクトなのか。アートプロジェクトは、越後妻有のトリエンナーレや瀬戸内芸術祭のような、大型の現代アートの祭典と同意語のように語られるが、違う。
アートプロジェクトは、最後の手段なのか、それとも最後のもっとも適切な方法なのか。どういう領域にアートプロジェクトは向いているのか。


ここまで目を通してくださったあなたに、
最後に少しだけ宣伝をおゆるしください。
(結局ちょくちょく宣伝してしまいました、、)

私たちが本気で「遊び」に向き合った、
「東大 遊VIVA!プロジェクト」の企画「図書館前畳週間」は本日が最終日です。

雨に寒さにやられっぱなしの1週間でしたが、、最後にお天気に恵まれて本当によかった!

ぜひぜひ、ぜひ! お立ち寄りください。
あなたが遊びに来てくれるのをゼミ生一同お待ちしています。

畳_直前告知


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このnoteは、東京大学文学部小林真理ゼミが
「わたしと遊び」をテーマに書いたリレーエッセイ総集編です。

筆者紹介_ゼミ


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