見出し画像

四季折々の遊びの提案

スラシー・クソンウォンによる《GOLDEN GHOST(WHY I’M NOT WHERE YOU ARE)》、あんなに「遊び」に近接した芸術作品はないと思う。鑑賞者は作品の中に入って9本隠されているという金のネックレスを探す。もし見つけたら持ち帰ることができるが、探すのは5トンもの糸くずの中。

絶望的な宝探しは、でもとても楽しかった(もちろんこの作品には金の亡者をうみだす資本主義への皮肉が込められていて、自分がそれにまんまと乗っていることへの反省も促されたが)。

iOS の画像 (10)

スラシー・クソンウォン《GOLDEN GHOST(WHY I’M NOT WHERE YOU ARE)》(2017年、国立新美術館「サンシャワー展」より)


さて、小さい頃はあんなに夢中で遊んでいたのに、いつからプールで宝探しをしなくなったのか。いかん、次の夏には宝探しをしよう。プラスチックの宝探しじゃつまらない、せっかく成人したのだし、酒瓶でも入れてみようか。いやいやそれでは治安の悪い飲みサーだ。夏のプールに入れて楽しいものってなんだろう?…

と、こんな感じで遊びを考えるのが好きだ。
一人でも、友人と一緒でもいい。このリレーエッセイで、私は四季折々の遊び方を考案することにする。


手はじめに、春はあけぼの。
早起きをして、明けていく空を眺めながらしたいことってなんだろう。
ベランダでホットミルクや温かい梅酒を飲むこと。海辺でのキャッチボール、桜の下の手持ち花火。まだ少し身体が冷えるから、遊び終えたら湯気の立つきつねうどんを食べたい。

…なかなか楽しい。大人の遠足という趣きである。


次に、夏の遊び。
すぐに思い浮かぶのは、海、花火、夏祭り、ビアホール、屋形船、などなど。開放的で非日常な遊びが世の中に溢れている夏だからこそ、生活に近いところで、しっぽり遊びたい気がしてくる。
夏のいいのは夕暮れだろう。昼間の火照りが鎮まってちょっとだるい身体をもてあましながら、商店街でコロッケを買い食いする。家に帰って冷たい緑茶を飲んだら、ぶっ通しでアイドルのライブDVD、あるいはバチェラージャパンのいずれかのシーズンを見る(サイリウムやローズを用意して気分を上げよう)。夢中になりすぎて、柔らかくしようと出しておいたアイスが液状になっているのを発見する。休憩にはホラー映画を挟みたい。朦朧とした朝、強い日差しに瞼を射られ、やれやれと思うのもまた夏のよろこび。これはできれば友達数人で実行したい。


秋は一年で最も世界が金色にかがやく季節、遊びにもそれだけの実りと多幸感を求めたいものだ。
人への手紙に、あざやかな黄色の銀杏を入れる。公園で編み物や刺繍をする。手仕事の没入感はたまらないが、手を休め凝った首をぐるりと回したとき、周りの景色がうつくしいのが秋におこなう上での魅力。あと、一度でいいから枯葉を集めて焼き芋をしてみたい。焼けるのを待っている間、アコースティックギターを持っている友人に「STAND BY ME」の弾き方を習おう。


冬の遊びはココアを携えて行うこと。鮮やかな色のマフラーをぐるぐる巻きにし、自分史上最大の雪だるまを作りたい。初詣に並んでいる人をちょっと離れたところからスケッチする。1枚だけでいいから、本気の年賀状をしたためる。好きな詩集から言葉を持ち寄って書き初めをする。ラフォーレの初売りで、友達とコーディネートし合う。テーマは「こんなの一体誰が着るの?」でいこう。ああ、お米を炊くところから餅つきもしたい。甘いの辛いの、いろんなつけだれを開発したいし、餅の伸びる長さで競争して笑いたい。


遊びを考えていると心がフクフクしてくる。
今回は四季で分けたが、場所や時間帯によってさらに具体的に遊びを創造することもできそうだ。人生には多忙を極める時期もあるだろうが、何歳になっても遊ぶ体力と時間を生活の中に守っていたいと思う。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

このnoteは、東京大学文学部小林真理ゼミが
「わたしと遊び」をテーマに書いたリレーエッセイ第4回です。

筆者紹介_石井


いただいたサポートは、プロジェクトの運営費用にあてさせていただきます!