見出し画像

温暖化自体は認めるが、温暖化対策は受け入れない「温暖化対策回避論」にご注意を

パリ協定に整合するような温暖化対策には、化石燃料に依存しない社会に大転換していく必要があるのはもはや明らかです。しかし、世の中にはそのための行動を妨げる主張が流布しています。温暖化が人間によって起きていることを否定する温暖化懐疑論(否定論)がその代表ですが、一方で人為的な温暖化は認めるが、十分な対策を今取らないことを正当化するような言説も広まっていて、今ようやくそれらに社会科学のメスが入ろうとしています。その名は"Discourses of Climate Delay"(僕が独断で「温暖化対策回避論」と呼ぶことにします)。このノートではその特徴と、なぜそれが問題なのかについて解説していきたいと思います。

温暖化対策の最前線

温暖化が進んでいて、その原因が人間にあることはいまやほとんどの気候科学者が認めていることであり、気候変動に関する科学的知見を収集する国際機関であるIPCCは温暖化が人間によって起こっている可能性は極めて高い(95%以上)で言っています(IPCC,2014)。

画像1


また、パリ協定では「気温上昇を2.0℃以内に抑え、1.5℃に抑える努力を追及する」さらに、「今世紀後半に温室効果ガス排出を正味ゼロをする」と決められています。

2018年に公開されたIPCC1.5℃特別報告書では、温度上昇を1.5℃に抑えることで2.0℃に比べて大幅に被害を軽減できる一方で、そのためには大胆な変化を通じて、CO2排出量を2030年に45%以上削減し、2050年に正味ゼロにすることが必要なことが示されています(IPCC,2018)。

10年で世界の排出量を半減させるためには、イノベーションや、個人の心がけだけに頼ってはまず不可能であり(なぜなら革新的な技術が生まれたとしてもそれを市場競争力のあるコストに落とし、展開させるのに時間がかかり、社会のエネルギーが火力発電を主に賄われている限りは個人でのCO2排出量削減には限りがあるから)、太陽光風力などの再生可能エネルギーをもっと増やしたり、断熱などの省エネルギーを進めたり、今ある技術を全力で使っていくのが現実的です。

今ある技術を使ってCO2排出量を10年で半減する。これは決して不可能なことではありませんが、そのためには文字通り社会が変わる必要があります。政府が企業が自治体がそれぞれの立場で本気で温暖化に立ち向かう必要があります。

画像2

”system change, not climate change(気候を変えずにシステムを変えよう)”
Foto by Joe Brusky  CC BY-NC 2.0 

そして、実際にそのような社会レベルの転換を進めるための戦略は世界中で練られています。その最も典型的なものがグリーン・ニューディールです。グリーンニューディールは大規模な予算を使って、急激に脱炭素化を推進しつつ、他の社会問題など(特に貧困・格差問題)にも立ち向かうための戦略です。

サンダース氏が掲げて民主党の選挙戦を戦っていたのが特に有名ですが、サンダースの選挙戦撤退後も、その構想の一部は今最も次期アメリカ大統領の座に近いバイデン氏の公約にも取り入れられています。


日本でも原発ゼロエネルギー転換戦略や自然エネルギー財団の2030年エネルギーミックスの転換などの提案はあります。



もうすでに新規石炭火力に対する国際的なバッシングが強まっていることを考えれば、いつまでも火力発電に依存することは国際世論的に不可能であつと考えられ、いつかはエネルギー転換は進めなくてはなりません

あとは、いつ日本政府が(もしくは日本人が)やる気になるのかの問題です。早ければ早いほど気候変動を緩和でき、経済的にもダメージを減らせます。温暖化対策を遅らせる合理的な理由を僕は見たことがありません。

とはいえ、世論や政策にこのような認識はなかなか広まりません。それには様々な要因がありますが、様々な言説が足を引っ張っているのは確実でしょう。

その代表例としては気候科学の知見を否定する、温暖化懐疑・否定論があります。懐疑論には様々な種類がありますが、それぞれ論破されています。(温暖化懐疑論に対する批判はこちら、また素朴な疑問とその回答については国立環境研究所のページを参照ください)


しかし、世の中には温暖化やそれが人間によって動かされていることは否定しないが、上で述べたような認識とは大きく外れる、一種のグレーゾーンも流布しています。

その名を”Discourses of Climate Delay”、僕が独断で「温暖化対策回避論」と呼ぶものです。


温暖化対策回避論(Discourses of Climate Delay)とは

温暖化が人間によって起きていて、深刻であることを認めながらも、自分たちの社会で必要とされる変化を起こさないことを正当化する言説があります。それらはすでに様々なところに浸透していて政策にも大きな影響を与えていると考えられます。

早くから社会科学のメスが入り、懐疑的な人にどうやって温暖化対策に好意的になってもらうかについて大量の研究が蓄積していった懐疑論に対して、それらの言説は対処法も確立されていなければ、分類さえされていない状況が続いていました。

ついに、ケンブリッジ大学のチームがそれらをdiscourses of climate delayと名付け、4種16項目に分類し、ようやく社会科学のメスを本格的に入れようとしています(Lamb et al., 2020)

それがこちらです。

スクリーンショット (171)

Image by Lamb et al CC BY 4.0 

僕がそれを和訳し、日本の状況に合わせ、一部改変したものがこちらになります。

スクリーンショット (167)

今回はどのような言説がそれにあたるのか、またそれに対する僕の簡単な反論と共に紹介したいと思います。


責任転嫁(まずは○○がやってくれ!)

「温暖化対策を進める責任は誰にあるのか?」

という問いは確かに難しいものです。誰がどの程度削減すべきかに国際社会が合意する日は遠いでしょう。ただ、CO2を排出しない社会をいち早く作ることを邪魔するような「答え」は確かに存在します。

「私たち一人一人」といって個人に責任を還元するもの、「アメリカや中国」といって他国に責任を転嫁するものです。

前者のように一人一人の心がけや消費に温暖化対策を進める責任を課すものを「個人主義」と呼びます。

もちろん個人のできる範囲での省エネルギーなどは重要です。ただ、2030年までに世界の排出量を約半減させるという急激な変化のためにはそれだけでは到底足りません。

そのため、個人の気候変動を緩和したいという思いを、署名やマーチなどへの参加によって、政府や企業に圧力をかけ、政策や企業の方針を変える方向に向けた方がもっと有効です。システムを変えることに力を注いで成果が出れば、個人での節電などでは到底達成できないレベルのCO2排出削減を間接的に実現できます。

それを踏まえると個人に責任を考える責任を押し付ける言説は本格的な温暖化対策を邪魔しうるものだと考えられます(一方で個人のできる範囲で環境に負荷をかけないライフスタイルを採り入れることで温暖化対策のためのシステム変革を求める際の、自分の説得力が増したり、他の人をゆるく巻き込みやすくなったりするというメリットもあるので、一概に否定することはできません。ただ日本の場合温暖化対策を個人の我慢だととらえる向きがあまりにも強く、その認識をいち早く改める必要があります)。

責任転嫁のもっとひどい例はアメリカや中国などの排出量の大きい国に責任を押し付けることです(Whataboutism)。

パリ協定で目指される水準まで温暖化を緩和するには、今世紀後半にCO2排出をゼロにしないといけないことは分かっているので、他の国の排出量がどれだけ多くても削減を遅らせる理由にはなりません

その上で日本のような温室効果ガス排出大国は、むしろ他の国からそれを言われる立場にあることを忘れてはいけません。日本が積極的に温暖化に立ち向かう姿勢を見せないことは他の国に対策しない言い訳を与えてしまうだけです。

しかし、残念なことにアメリカや中国が悪いという言説は日本ではかなり流布してしまっているのも現実です。

このWhataboutismをさらにこじらせると「ただのりされる」という言い訳が出てきます。自分たちだけ温暖化対策を進めてしまうと、国際競争力が落ちるだけだというのです、それは完全には否定できないかもしれませんが、日本の文脈で言えば、逆に温暖化対策をしないことが日本の国際的競争力を落としかねないリスクへの認識が足りません。

問題は排出する二酸化炭素の量だけではありません。新しく建設される石炭火力発電所は、すべて座礁資産になってしまいます。座礁資産というのは、市場や社会の状況が急激に変化することで価値が大きく下落する資産のことです。再生可能エネルギー技術が安価になれば、需要の下落により地下に埋蔵されたままになる化石燃料や、石炭火力発電のために開発されたパイプラインや海洋プラットフォーム、貯蔵施設、発電所など、関連するあらゆる資産が放棄されることになります
               ーージェレミーリフキン 2020

また優れた環境規制は、逆に企業のイノベーションを生み、しばしば環境規制によるコストを帳消しにするというポーター仮説は有名で、またそれを支持する実証的根拠も多くあり(Wang et al., 2019)、温暖化対策=経済・競争力への負担という簡単な図式ではないのです。



「ぬるい」対策の推進(抜本的な変革は必要はない!)

「温暖化対策」と一言にいっても色々あります。

効果に定評があるものもあれば、効果があまり見込めないものもあります。低コスト化が進み近い将来価格で他を圧倒するものもあれば、まだ実用化さえ見えていないものもあります。

この10年で世界の排出量を半減させるには、今ある効果的な技術をどこまで活かせるか、そのためにどのような政策を取っていくかがとても重要です。例えば、再生可能エネルギーがより早い普及のために、電力系統運用の仕組みを見直したり、炭素税などのカーボンプライシングを導入したりすることが考えられます。(これは一見再生可能エネルギーをえこひいきしているように見えますが、むしろ火力発電によって悪化する大気汚染や温暖化が社会に与える甚大なコストが、火力発電所からの電気の値段にほとんど組み込まれていない現状の方がおかしいとも考えられます)

しかし、このような実効的な対策から目を反らすような言説もあります。

その一つは 技術への楽観論 です。「温暖化対策にはイノベーションが必要だ」とかいう話は一度は聞いたことがあるでしょう。確かにイノベーションや技術は温暖化対策にとって重要です。一方で、実現するかどうかも分からない(核融合炉、人工光合成など)、もしくは実現しても展開が間に合わない可能性が高い技術(CO2の固定・再利用など)に頼って、今ある技術をフル活用することを怠るのは賢くありません。短期的には技術より、技術を生かすための制度と政策を進めるのが大事なのです

また、化石燃料を温暖化対策の一つとみなすような言説もあります。「日本の石炭火力は高効率なので新規にしていくことで排出量を減らせる」と。

相当ミスリーディングです。

パリ協定が目指すように今世紀後半までにCO2正味ゼロを実現するためには、石炭火力から大量のCO2が出ていたらまず無理です。全廃しないのであれば高額なCCSを導入して、CO2を吸収して処理するしかありません。ガス火力もいずれはその運命にあります。正味ゼロのためには発電に化石燃料を使った時点で割と無謀です(というのは発電以外の分野で化石燃料は使われているのですが、それを再生可能エネルギーで直接代替するのは電力に比べて難しいからです)。

また抜本的な対策を避ける、他の回避論としては、口では野心的なことを言っても実効的な対策がついてこないことや不人気な規制的手段を避けようとすることなどがあります。



対策のデメリットの強調(温暖化対策すると大変なことに!)

この世に完璧な政策はありません。どんな温暖化対策にも何らかのデメリットがあります。しかし、それは必ずしも「温暖化対策を進めるべきではない」ということを意味しません。温暖化対策のメリット・デメリットを冷静に分析し、メリットがデメリットを上回るなら実行するべきです(もちろん可能な限りデメリットを打ち消す努力はしたうえで)。

政策に対して完璧主義 であることは温暖化対策を遅らせることになりかねません。なぜならこのnoteを読んでいる今も莫大なCO2が空気中に放出されていて、温暖化は刻一刻と進んでいるからです。対策の粗探しばかりをやって対策を実行に移すのを遅れればただ温暖化が進むだけです。

そのため、温暖化対策のデメリットばかりを過度に強調することも温暖化回避論の一つになりえます。例えば社会的弱者の生活が圧迫されると説いて社会正義へ訴えるものもあります。

もちろん政策のデメリットを検証することは重要です。ただここで気を付けるべきは、温暖化を放置することで影響を受けやすいのもまた社会的弱者だということです。一般的に貧しい人は温暖化に加担している割合は少ないのにも関わらず、適応することが難しい、という極めて理不尽な立場にあります。これを踏まえると温暖化対策を社会正義の観点から批判するには相当慎重になる必要があります。

気候正義

FoEJapan作成

もちろん温暖化対策が社会的弱者に負荷を与えることは可能な限り下げるべきで、炭素税など市民に負荷をかける対策は税収分配や、エネルギーチェックなどの補償策が考えられています。

また化石燃料は経済発展のために必要でありそれを放棄することは途上国の生活水準を下げることになるからやるべきでないという言説は割と流布していますが、それが先進国が温暖化対策を怠る理由として使われるとき、途上国の人に相当な喧嘩を売っているといっても過言ではありません。というのは、

1.温暖化にほとんど加担していないのに莫大な被害を受ける途上国は多く、彼らにとって温暖化は圧倒的な理不尽である。(例えばアフリカの排出量は大陸全部集めて日本の排出量と同じくらいだが、温暖化によって甚大な被害を受けているし、これからも受ける)

2.このままでは途上国の経済発展のために莫大な化石燃料が必要になることが考えられるが、先進国が適切に支援すれば、CO2をほとんど出さない形での経済発展を実現できる可能性は高い(例えばアフリカは再生可能エネルギーの一大適地である)

3.それでも減らせなかった分は先進国がその分もっと減らすという形で対処するのが、温暖化という理不尽を途上国に押し付けている先進国の落とし前として当然である、少なくとも先進国が温暖化対策に積極的になる理由にはなっても消極的になる理由にはならない

という考え方があるからです。



あきらめ(もう温暖化を緩和することはできない!)

人は温暖化を緩和できるのでしょうか。

身も蓋もないことを言えば、人間の排出している温室効果ガスで温暖化が進んでいるんですから、排出を減らしていけば温度上昇を緩和できます。もし温暖化が温暖化を呼ぶ悪循環にはまったとしても、それが進行する速度を抑えることができます。

問題はそれが今の人類社会にできるかどうかです。

最後の回避論として温暖化がもはや緩和できないとする議論や、もはや天に運命を任せるしかないといった議論 が挙げられます

こう言った考えを耳にするとき、僕は思うんです。諦められるってものすごく能天気なことだな、と

温暖化対策を諦めたことで被害を受けるのがその人だけならいいでしょう。でも現実はそうではありません。特に排出量の多い先進国に住んでいる日本の人たちが温暖化対策を諦め、さらに他の国のやる気を削ぐことによって削減できなかった温室効果ガスは全世界の人を苦しめることになるからです。

太平洋の島々に生きる人にしてみれば先進国に住む人が温暖化対策を諦めることがすなわち国の滅亡に繋がりかねないわけですし、まだ生まれていない世代にとっては生まれながらにして健全な気候に生きる権利を奪われることにもなります。

そういうことを全部踏まえた上で温暖化の被害を抑えるという人類共通の目標を諦められるのでしょうか。

厳しい闘いであるのは確かです。ただ解決策は存在します。実際にまだ粗削りかもしれませんが、先に紹介した日本版グリーンニューディールと言えるものがあります。問題はそれを実行できるかどうかですが、社会が温暖化を危機としてみなせば普通に実行できることだと思います

それは、感染を抑えるために、世界各国の政府が大胆な措置をとったことを思い出せば分かるでしょう。社会が危機を危機だとみなすことができれば政府は大胆な対策をとるし、人々はそれを受け入れることができます。

さらに、経済的負担があまりに大きかった今回の感染対策に比べ、エネルギー転換は、基本的に経済を止めるのではなく、今の経済を気候に負担をなるべくかけない経済にアップデートしていくものであり、それは様々な便益をもたらします(再エネは化石燃料の数倍雇用を生むので失業を緩和できる、燃料を輸入する量が減って国富が流出するのを防ぎ、エネルギー自給率も上がるなど)

これを踏まえて考えるとコロナ対策で大胆な対策が打てたのに、温暖化対策でできないとする根拠はあまりないのでは、と思います。


温暖化回避論との向き合い方

以上が温暖化対策回避論と、その解説と反論です。

よく聞くような内容ばかりだったのではないかと思います。

気候科学をあからさまに否定する懐疑論に比べ、説得力があるし、実際に一理あるものも多いです。が、そのような言説をうのみにしている間にも温暖化は進み、将来世代(若い人にとっては人生の後半)の生活が圧迫されていきます。

だからまず批判的になる必要があります。明らかに間違っている言説に対しては積極的に反論していく必要があります。

この国がどれだけ早く抜本的な温暖化対策ができるかに多くの人の命がかかっているのですから。



まとめ

・本格的な温暖化対策のためには、システムチェンジが必要

・しかし、そのような温暖化対策を求める主張と、温暖化懐疑論の間には、一種のグレーゾーン、「温暖化対策回避論」が存在する

・それは「責任転嫁」「保守的な対策の推進」「対策のデメリットを強調」「あきらめ」などの種類に分けられ、一理あるものも多いが、内容面で問題がある

そのような言説を見たら、まずは批判的に考えてみる。それをうのみにすると、温暖化対策に、つまり私たちの未来に、悪影響を及ぼす可能性が高いので。

参考文献

Lamb, W. F., Mattioli, G., Levi, S., Roberts, J. T., Capstick, S., Creutzig, F., et al. (2020). Discourses of climate delay. Global Sustainability, 3
  ←このノートの元ネタ。この論文を日本人に伝わりやすいようにまとめ(そのため正確な訳にはなっていません)、補足を加えたのが今回のnote。

Zhai, P., Pörtner, H. O., Roberts, D., Skea, J., Shukla, P. R., Pirani, A., ... & Connors, S. (2018). Global Warming of 1.5 OC: An IPCC Special Report on the Impacts of Global Warming of 1.5° C Above Pre-industrial Levels and Related Global Greenhouse Gas Emission Pathways, in the Context of Strengthening the Global Response to the Threat of Climate Change, Sustainable Development, and Efforts to Eradicate Poverty (p. 32). V. Masson-Delmotte (Ed.). Geneva, Switzerland: World Meteorological Organization.

IPCC (Intergovernmental Panel on Climate Change). (2014). Fifth assessment report.

Wang, Y., Sun, X., & Guo, X. (2019). Environmental regulation and green productivity growth: Empirical evidence on the porter hypothesis from OECD industrial sectors. Energy Policy, 132, 611-619.

ジェレミー・リフキン. (2020).日本が石炭火力依存続けば2流国に落ちる根拠 打開技術はある、足らないのは政治的意思だ. 東洋経済オンライン. https://toyokeizai.net/articles/-/336578 8月17日閲覧




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?