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確率的債務持続性分析(SDSA)

本稿では、IMFが近年始めた、Market Accessed Countries (MACs) のDebt Sustainability Analysis (DSA)を対象に行なっているStochastic DSAについて、自分なりにプログラムを回してみたという備忘録である。日本を例に取っているが、日本はMACsに含まれており、最新のDSAは2024年5月に公開されている。詳細はそちらを参照されたい。本稿はSDSAのデモンストレーションという要素が強い。


モチベーション

通常のDSAは決定論的(Deterministic)であり、今まではベースラインの債務残高GDP比が示されて(一本の折れ線グラフ)、そこにいくつかのショックを加えた場合、どう債務がベースラインと変化するかを示すのみだった(こちらも決定論的でショック一つにつき一本の折れ線グラフ)。

しかし、債務持続性分析のインプットの一つである金利一つを例に取ってみても、過去のFF金利予想がほぼ毎回間違っていたという記事が最近話題になる程、予想が当たる確率は低いというのが(悲しい)現実である。この金利が変わるだけでも、DSAの分析に大きな影響を与える(実質金利-実質GDP成長率<0といった債務持続性に重要な不等式に影響)。よって、単に一本の折れ線グラフで決定論的に債務の変移を見ることよりも、そこに確率的要素を加え(具体的には異なるショックを加えた幾千もの折れ線グラフを加え)、そこから得られた債務の分布を参考にどの程度の確率で債務が持続性を持つか(債務が爆発しない経路を辿るのは何%か)を分析する方がより有意義な分析と言える。これがSDSAを行うモチベーションの一つである。

手法

決定論的なDSAにどのように確率的要素を加えるかが肝になるが、ブロックブートストラップという手法を利用する。

ブロックブーツトラッピングとは

ブロックブートストラッピング(Block Bootstrapping)は、時系列データの相関を保持しながらサンプルを再生成する統計的手法である。通常のブートストラッピングではデータポイントを個別にランダムに抽出するが、ブロックブートストラッピングでは一定の長さのブロック(連続したデータポイントの集まり)を抽出する。これにより、データの時系列構造を保持しながら再サンプリングを行うことができる。

具体的なステップ

具体的には、IMF(2022) に倣い、2年間の「ブロック」—すなわち、2年連続の債務のドライバー(成長率、基礎収支、利率など)の実現値をサンプル期間からランダムに抽出する。最初の年のドライバーの実現値は、債務のストック・フロー方程式に代入され、時点 t における債務GDP比率(最新の実現値である時点 t-1 の債務に条件付けられた予測値)を生成する。時点 t における債務比率に条件付けられて、ブロックからの2年目のドライバーの実現値を用いて時点 t+1 の債務を計算する。それ以降も同様のプロセスを繰り返すことにより、時点 t から最終予測時点までの債務パスが生成される。

ケース・スタディ

日本を例に取ってSDSAを回してみる。

データ

成長率、プライマリーバランス、為替、インフレ率はIMF(主にWEOの2024年4月版)から取得している(予想含む)。取れないデータもあるので、そこは厳密性を欠くが、いくつかの仮定を置いてデータを補完している。対外債務比率は5%を平均(標準偏差2.5%)の正規分布を仮定し、各年はそこからランダムにドローする設定。実質金利も0.05%(標準偏差も0.05%)でランダムにドロー。また、Stock-flow adjustment(上記のドライバーで捉えきれない債務の動き、残差)についてはIMFのDSAを見て、大体-1%を平均に標準偏差2%の正規分布から各年ドローする形でデータセットを作成している。

実際のSDSAとの比較

ブーツトラップの回数を1万回に設定し行なったSDSAが以下である。60%程度の確率で債務経路が発散しない結果となった(40%弱の確率で発散)。発散確率が75%程度あるIMFのSDSAよりも、私が行なったSDSAの方が楽観的に見えるが、そこには2つの要素がある。

筆者作成
IMF SDSA (2024)
  1. データの違い:私の行なったDSAではIMFのWEO(2024年4月)の債務残高に合わせている。つまり、誤差はResidualで調整している。IMFのDSAはレポートを見る限り、予想のResidualはゼロであり、他の変数で債務残高が完璧に説明できる構造になっているようである(なお、IMF DSAの方でベースラインとメディアンに大きな差があるがバックエンドデータを持っていないので詳細な理由は不明である)。そこからも債務遷移の違いが生まれていると考えられる。また、そもそも、使っているヒストリカルなデータも違うと思われるので、変数へのショックの入り方も違うものと思われる。

  2. 予測開始年の違い:私は2024年を最初の予測としているので、2023年にはショックを入れていない。DSAでは、一期前の債務残高は今期の債務残高に直結してくるため、2023年に複数のシナリオがあるのとないのでは、その後の債務遷移にも影響を与えると考えられる。

結論

繰り返しになるが、本稿の目的は、IMFとのDSAと比較して何かを議論するものではなく、SDSAというのはどういうものかを、例を挙げて考えてみるというものであり、それ以上でも以下でもない。しかし、従来のDSAよりもSDSAを使って確率的な話をした方が(少なくとも予測が外れる世界線では)有意義ではないかというのが、強いていうならの結論である。

補論

償還期間について

債務持続性分析に使用している金利は、債務の償還期間と金利の加重平均が使われている。IMFの最新のIV条協議によれば、政府債務の平均残存期間は約8年であり、近年も大きな変化はない。債務の満期が長ければ短期金利の一時的な上昇から政府は守られる。よって、債務持続性に重要となる実質金利は(インフレも低水準で推移していると考えると)、日本の場合、そこまで分散が大きくない。これにより、今後金利が上がりそれが恒久的だったとしても対応する(プライマーバランスを黒字化に向けて調整する)ための時間を確保できるという点では評価できるが、債務の長期化がいつも正しいというわけではない。順イールドの場合、短期金利の方が安く済むため、コストの面では短期債務が好まれる局面も存在する。政策決定者には、リスクとコストをうまく考え債務管理をすることが求められる。

金利へのフィードバック効果

なお、私が行なったSDSAでは持続可能性リスクそのものが金利や債務ダイナミクスに与える影響を無視している。これは重要なポイントで、マーケットが恒久的な債務上昇を予想し債務持続性を危ぶむ場合、リスクプレミアムを上げ、より高い金利を要求するだろう。その高金利は債務持続性を悪化させ、発散確率を高める結果、さらにリスクプレミアムは上がっていく。この負のスパイラルの繰り返しにより、金利と債務残高の関係は非線形性を持つと考えられる。プラクティカルには、まずフィールドバック効果を無視して、リスクプレミアムを固定とし、発散確率を無視できないと判断される場合、金利の初期経路に債務発散確率に伴うスプレッドを加えてシミュレーションを行うというのが一般的である。前述の通り、IMFのSDSAのメディアンの債務経路がベースラインと乖離しているのは、この点を反映したものかもしれないが、バックデータが入手不可能なため、詳細は不明。

なぜMACのみでLICにはSDSAがないのか?

LIC(低所得国)の債務持続性はMAC(市場アクセス国)のそれよりも長期で見ている場合が多いため、予測の質が低下する。例えば、1年後を予測するより、10年後を予測する方がはるかに困難であり、予測の誤差も非常に大きくなる。そこから得られたSDSAをベースに議論をするのは、あまり現実的ではない。

定量的な財政ルールは有用か?

債務が発散する可能性が高い場合、政策決定者はどのように財政計画を立てるかが重要になる。単なる意見にすぎないが、EUの債務60%ルールやインドネシアの財政赤字を3%以内にするといったような定量的なルールに対して、私はそこまで賛同できない。経済の状況に応じてプライマリーバランスを調整する方が理にかなっているからである。コロナ危機のようなショックに見舞われた時や金融政策がZLB制約化にあり機動的な金融政策ができない時などは、財政政策をルールに縛られずに拡大すべきである。Blanchard(2023)はデット・サービスに応じてプライマリーバランスを調整する相対的な財政ルールを提案している。債務遷移式から{(r-g)/(1+g)}*b(-1)と定義されるデット・サービスに足りるほどのプライマリーバランスを生むかどうかに債務持続性は依存しているためだ。実際、デフォルト確率を調べた研究などで、利払い対歳入比率が大きな決定要因の一つと挙げられており、債務残高よりもデット・サービスが重要なのは、定量的にもサポートされている。詳しくは以下。

なお、米国政府も2021-2022年予算に概要説明において債務対GDP比率の見通しに加え、債務返済GDP比率の見通しに関する記述を追加している。


参考文献

WSJ「FRBの金利政策、投資家の予想ほぼ当たらず」

https://jp.wsj.com/articles/investors-are-almost-always-wrong-about-the-fed-2a7803b3

IMF (2024), Article IV for Japan

Oliver Blanchard (2023), “Fiscal Policy under Low Interest Rates”

IMF (2022), Staff Guidance Note on the Sovereign Risk and Debt Sustainability Framework for Market Access Countries
https://www.imf.org/en/Publications/Policy-Papers/Issues/2022/08/08/Staff-Guidance-Note-on-the-Sovereign-Risk-and-Debt-Sustainability-Framework-for-Market-521884

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