(翻訳)スタニスラフスキー『俳優の仕事』1-0(前書き)
翻訳変更履歴
2019/8/21 手法 → やり方
2019/8/21 追体験 → 体感
前書き
1
私は俳優の技能について(スタニスラフスキーシステムと呼ばれている)の大部で複数巻にわたる仕事を企画している。
すでに出版された『芸術における私の人生』は第1巻であり、この著作集の序章にあたる。
この著作、「体感」の創造のプロセスにおける『自分に対する仕事』は第2巻だ。
近々、第3巻に着手し、そこでは「具現化」の創造のプロセスにおける「自分に対する仕事」について語る予定だ。
第4巻は「役に対する仕事」に捧げられる。
この本と同時に、その助けとなるよう一連の推奨される練習(「トレーニングと教練」)を一緒にした問題集を出すはずだった。(注1)
もっと本質的で急ぐべき私の大きな仕事の基本となるラインから外れたくないため、いまはこの問題集の作成は行っていない。
「システム」の重要な基本を伝えたら、すぐに補足の問題集の編集に着手しよう。
注1 第3巻と第4巻の仕事は未完のままである。これらの巻のために保管されている資料は最終巻で公表する。スタニスラフスキーが考案したシステムに関する実践の練習(「トレーニングと訓練」)も実現していない。スタニスラフスキーのアーカイブで発見された練習に関するいくつかのメモは第3巻の付録として活字化されている。
2
この書も、続くすべての巻も学術的であるという自負は抱いていない。これらの書の目標は、実践的な目標以外にない。これらは私が俳優、演出家、教育者として長い間の経験で学んだものを伝えようとする挑戦である。
3
この本のなかで私が使っている用語は、私が作り出したものではなく、学生や新米俳優たち自身の実践から取り入れたものである。彼らはその活動において、言葉によって名付けることで自分たちの創造の感触を明確にしていた。これらの用語はそれが新米俳優に身近で理解しやすい点に価値がある。
この用語に学問的な根を探そうとはしないでいただきたい。私たちは自分たちの生活が作り出した演劇的隠語、俳優のジャーゴンを持っている。たしかに私たちは学術的な単語も同じように利用し、「潜在意識」、「直感」といった事例もあるが、私たちはこれらを哲学的な意味で使っているのではなく、単純な日常生活の意味で使っている。舞台の創造の領域が科学では軽視され、研究されぬままで、実践的な業務のために必要な言葉を与えられなかったことは私たちのミスではない。自分たちの、つまり自家製の方法で現状を脱せざるをえなかったのだ。
4
システムが追及する重要な課題の一つは、有機的な自然とその潜在意識による創造を、ありのままに喚起することに帰結される。
この点については最後の16章で語っている。この部分には特別の注意を向けてほしい。なぜならそこに創造とシステムのすべての本質があるからだ。
5
芸術については簡単にわかりやすく話し書く必要がある。難解な言葉は学生を驚かせてしまう。難解な言葉が刺激するのは心ではなく脳である。それでは人間の知性が、創造の瞬間において俳優の感情と、私たちの芸術の方向性において重要な役割を与えられた潜在意識を押さえつけてしまう。
しかし、複雑な創造のプロセスを「簡単に」話したり書いたりすることは難しい。言葉はとらえどころのない潜在意識の感触を伝えるにはあまりに具体的で乱暴すぎる。
こうした条件からこの本を特別な、印刷された言葉で語られていることについて、読者に感じてもらう助けとなるような形式を探す必要に私は迫られた。そこで、生き生きとした具体例の助けを借り、練習やエチュードをする学生たちの演劇学校での活動を描写することでそれを達成しようと試みた。
もし私のやり方が上手くいったのなら、本に印刷された言葉は読者自身の感覚で蘇るだろう。そのとき、創造の仕事や心理テクニックの基礎の本質を説明することが可能になるはずだ。
6
私がこの本のなかで語る演劇学校も、そこに登場する人々も実際には存在しない。
「スタニスラフスキー・システム」と呼ばれる仕事を始めたのは昔のことだ。最初は出版するためではなく、自分自身のために、私たちの芸術やその心理テクニックの領域で生じる探求の助けとなるようメモをとっていた。私が開設のために必要とした人々、表現、やり方は、もちろんその当時の遠い戦争前の時代(1907-1914年)から借用している。
こうして気づかぬうちに年ごとに「システム」に関するたくさんの資料がたまった。そしていまこれらの資料から本が生み出された。
この本の登場人物を変更しようとしても長い時間と困難さをともなうに違いない。さらに難しいのは、過去から取り入れたやり方や特定の表現を、新しいソヴィエトの人々の日常や生活と調和させることだ。やり方を変え、別の表現を探さなければならないだろう。これにはさらに長い時間と困難さをともなう。
しかし、私が自分の本で書いたのは、特定の時代や人々に向けられたものではなく、あらゆる俳優の気質をもつ人々、あらゆる民族、あらゆる時代の人々の有機的な本質に向けたものである。
一つのことや同じ考えを何度も繰り返しているのは、それが重要だと思うからで意図的に行っている。
読者にはこのしつこさをお許しいただきたい。
7
締めくくりに、この本の作業中に助言や指摘、資料などで色々な手立てで私を助けてくれた人たちに感謝を述べるという愉快な義務に思いをめぐらせよう。
著作『芸術における私の人生』で私は、俳優人生における最初の教師の役割を果たした人々について語った。グリケーリヤ・ニコラエヴナ・フェドートワとアレクサンドル・フィリーポヴィチ・フェドートフ、ナジェージダ・ミハイロヴナ・メドヴェージェワ、フョードル・ペトローヴィチ・コミッサルジェフスキーは私に芸術に取り組む方法を最初に教えてくれ、ネミローヴィチ・ダンチェンコを筆頭にモスクワ芸術座の同僚たちも、共通の仕事のなかでとてもたくさんの非常に重要なことを教えてくれた。彼らにいつも思いをはせ、特にこの本を出版したいま、心からの感謝を述べたい。
いわゆる「システム」の導入や作成、そしてこの本の出版を助けてくれた人々、何よりもまず変わることのない同僚であり私の舞台の活動において信頼できる援助者たちにも話を移したい。彼らと共に若くして俳優の仕事を始め、年を取ったいまもその仕事に従事し続けている。功労芸術家ジナイーダ・セルゲーエヴナ・ソコローワ(スタニスラフスキーの妹)と同じく功労芸術家のウラジーミル・セルゲーイチ・アレクセーエフ(スタニスラフスキーの兄)は「システム」の導入を助けてくれた。
たくさんの感謝と愛情と共に亡き友人のレオポルリド・アントーノヴィチ・スレルジツキーの記憶は消えることはない。彼は私の「システム」の初期の実験を認めてくれた最初の人であり、その初期の発展や導入を助けてくれ、私が疑いを抱いたり元気がない時に励ましてくれた。
「システム」の導入とこの本の作成に多大な援助を、私の名前が付けられたオペラ劇場の演出家であり教育者のニコライ・ワシリーエヴィチ・デミードフから受けた。彼は価値ある指摘や資料、事例を与えてくれ、本に関して自分の意見を述べ、私がした多くの間違いを明らかにしてくれた。この援助にいま心からの感謝をささげたい。
「システム」の導入を援助し、草稿に目を通し指摘や批判をしてくれた功労芸術家でモスクワ芸術座の俳優ミハイル・ニコラーエヴィチ・ケードロフに心からの感謝をささげる。
本の草稿の修正作業のなか指摘をしてくれた功労芸術家でモスクワ芸術座の俳優ニコライ・アファナーシエヴィチ・ボドゴルヌイにも心からの感謝をささげる。
この本の編集という多大な苦労を引き受けてくれ、その重要な仕事を卓越した知識と才能でやり遂げたJ. N セミノフスカヤに最大限の深い感謝を述べる。
K. スタニスラフスキー
【簡単な解説】
スタニスラフスキーはここで『俳優の仕事』の第1巻として自ら書いた伝記『芸術におけるわが生涯』を書いたとしているが、この部分にはかなり疑問が残る。二つの著作の出版をめぐる状況や執筆の経緯を見ても、恐らく最初からこの二つの著作を結びつける考えは彼は持っていなかった可能性が高い。そのため、この発言を真に受けることはできない。むしろ、俳優修業の方が先に構想としてはあったのではないかと思われる証言もある。
『芸術における私の人生』でも後半部分でシステムについては触れられているため、参考に読んでみて欲しい。現在出版されている岩波文庫版の翻訳には、浦雅春先生によるシステム部分の解説があるのでぜひお読みいただきたい。
またスタニスラフスキーは用語について、学術的だったり哲学的な解釈をしないでほしいと語っているが、ここには当時のソ連の思想の基本となっている唯物史観から見て、看過できない言葉(潜在意識、直感)を用いていることへの釈明というか、言い訳である。
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