(翻訳)スタニスラフスキー『俳優の仕事』1-1「はじまり」「ディレッタンティズム」
はじまり
19XX年2月19日、私が働くNという街で、有名な俳優であり演出家、教育者のアルカージイ・ニコラエヴィチ・トルツォフの公開レクチャーがあり、その記録のために同僚の速記者とともに私は呼び出された。このレクチャーは私のその後の運命を決定付けた。舞台への抑え切れない欲求が生まれ、現在、私はすでに演劇学校に入学し、アルカージイ・ニコラエヴィチ・トルツォフその人と彼の助手のイワン・プラトーノヴィチ・ラフマノフの授業がもうすぐ始まろうとしている。
古い生活を終わらせ、新たな道を進むことに私は限りなく幸せだ。
しかしながら、過去だって何かしらの役に立つ。例えば、私の速記術だ。
もしすべての授業を体系的に記録し、可能な限り速記したらどうだろうか。そうすれば丸ごと教科書となるではないか。それがあれば終わってしまったことも復習できる。私が俳優となったあとにも、この記録は仕事が困難な瞬間のコンパスになるだろう。
決めた。日記の形で記録しよう。
第1章 ディレッタンティズム
1
19XX年X月X日 (1日目)
今日、私たちはドキドキしながらトルツォフ先生の最初の授業を待っていた。しかし、先生は教室にやってくると、信じられない注文をしただけだった。彼は私たちに自分で選んだ戯曲の一場面を演じるよう指示したのだ。その上演は大舞台で行われ、観客として劇団員や劇場の執行部の人たちが参加するそうだ。先生は舞台装置のなかの私たちを、つまり舞台の上で、装置に囲まれ、化粧と衣装を付け、フットライトを前にした私たちを見たがったのだ。彼が言うには、そうして見せることによってのみ、私たちが舞台の世界のどのレベルにいるのかはっきりするということだった。
生徒たちはどうしていいかわからず固まった。私たちの劇場の舞台で演じるだって? それは芸術への侮辱、冒涜だ! 私はどこか別の、もっと権威の低い場所に移すよう先生にお願いをしようとしたが、そうする前に先生は教室を出て行ってしまった。
授業が中止になり、空いた時間は戯曲のパートを選ぶために与えられた。
先生の目論見は活発な議論を呼び起こした。さいしょは議論に加わったのはそれほど多くなかった。特に熱心に議論に参加したのがスタイルの良い青年のゴヴォルコフで、聞いた話ではどこかの小さな劇場で演じたことがあるらしい。美しく背が高くグラマラスなブロンドのヴェリヤミノワ、小柄でハツラツとして騒々しいヴィユンツォフもそれに加わった。
しだいに残りの人たちも差し迫った演技について考えられるようになってきた。想像の中でフットライトの陽気な明かりに包まれる。すぐに上演は面白く、有益で、必要なものにさえ思われてきた。上演について考えると心臓が強く高鳴りはじめた。
私とシュストフ、プシチンは始めとても控え目だった。私たちの夢想はヴォードヴィルや中身のない喜劇より先には及ばなかった。私たちにはそんなものが相応に思えたのだ。ところが周りのみんなからは、ゴーゴリ、オストロフスキー、チェーホフといったロシアの作家をはじめ、それから世界的な天才作家たちの名前が当然のように次々に出てきた。気づかないうちに私たちの控え目だった態度はどこかに行ってしまい、ロマンチックなものや、歴史もの、詩劇がやりたくなっていた……私を魅了したのはモーツァルト、プシチンはサリエリだった。シュストフはドン・カルロスが思い浮かんだ。そして話はシェイクスピアになり、ついにオセローの役に私の選択は落ち着いた。この役に決めたのは、プーシキンの本は家にはなかったが、シェイクスピアならあったからだった。創作活動の導火線に火がついた私は、すぐにでも仕事にとりかかりたくて本探しになど時間をかけていられなかった。シュストフがイアーゴ役を引き受けてくれた。
その日、私たちに最初の稽古は明日になると知らされた。
家に帰って自分の部屋にこもると、『オセロ』を取り出してソファーにゆったりと腰掛け、本をおごそかに開いて読書に取り掛かった。しかし、2ページ目からもう演技をするのが抑えきれなくなくなってきた。意思に反して手や足、顔が勝手に動き始める。こらえきれず、声に出して読んだ。手元にあった大きな象牙のペーパーナイフ。私はそれを短剣のようにズボンのベルトに挟んだ。厚手のタオルはターバンに変わり、窓のカーテンから取ったまだら模様のカーテン留めは包帯役を任された。シーツと毛布からシャツとガウンのようなものを作り上げた。傘はサーベルに変わった。盾がたりない。しかし、隣の部屋の食堂の棚に盾に変えられそうな大きなトレーがあることを思い出した。
さぁ出撃だ。
装備を整えたら、自分が立派なかっこいい本物の戦士であるかのように感じた。しかし、私の外見は現代的で文化的だが、オセローはアフリカ人だ。彼には何かトラのようなものがなければならない。トラの身のこなしを見つけるために、色々と訓練を始めた。部屋をこっそりと忍び足で歩き回り、家具のあいだの狭い通路を機敏にすり抜ける。獲物を待ち構え戸棚の後ろに身を隠す。私は大きな枕を想像上の敵対者に変え、待ち伏せてひとっ飛びに襲いかかった。そしてそれを絞め殺し、「トラ風に」踏みつぶした。それから枕はデズデモーナになった。私は彼女を情熱的に抱きしめ、彼女の手に模した伸ばした枕カバーの角にキスをし、それから軽蔑を込めてわきへ放り投げ、再び抱きしめる。そして首を絞め、想像上の死体に涙する。多くの瞬間が飛び上がるほどの成功だった。
こうして気付かぬうちに、5時間ほども演じていた。こんなことは強制されてはやれない。俳優としての高揚によってのみ数時間が数分に感じられるのだ。自分で体験した状況は本物のインスピレーションによるものだった証拠だ!
衣装を脱ぐ前に、もう部屋でみんなが寝ている機会に、大きな鏡のある誰もいない玄関にこっそり行き、電気をつけ自分自身を覗き込んだ。期待していたものとは完全に違って驚いた。演じているときに発見したポーズやジェスチャーは私が思い描いていたようなものではないとわかった。いや、それだけでなく、鏡はそれまで自分ではわからなかった自分の体型の筋張った様子や、美しくないラインをあばき出した。失望によって私のやる気はすぐに消え失せてしまった。
2 19XX年X月X日(2日目)
いつもよりかなり遅く起きた私は、急いで着替えて学校に走った。稽古部屋に入ったとき、そこではみんなが待っていて、あまりに混乱した私は謝るかわりにバカなことを言ってしまった。
「ちょっと遅れたらしい」。ラフマノフは長いあいだ私に軽蔑のまなざしを向けていたが、ついに口を開いた。
「みんな、座って待っていたんだぞ、イライラして腹を立てながら。それなのに、君はほんのちょっと遅れたと思っているとは! みんな目前の発表に興奮してここにやってきたのに、君がそんな風では、私は君と勉強していく気をなくしてしまった。創造への情熱を呼び覚ますのは難しい、けれどそれを台無しにするのはあまりに簡単だ。どんな権利があって君はグループみんなの発表を中断させたんだ? 私は自分たちの仕事に大いに誇りを抱いている。だからこうした秩序の破壊は容認できないし、集団行動では軍隊のような厳しさを自分に課している。俳優には兵士のように鉄の規律が求められるんだ。初めてのことだから口頭での注意にとどめ、稽古日誌には記入しないでおこう。しかし、君は今みんなに謝罪し、これからは稽古の開始15分後ではなく15分前に来ているというルールを自分に課したまえ」
私は急いで謝罪し、遅刻はしないと約束をした。だがラフマノフは授業を始めるつもりはなかった。彼によれば、最初の稽古とは俳優人生における事件であり、最高のものとして永遠に記憶にとどめる必要がある。私のせいで今日の稽古は台無しになった。だから私たちにとって重要な稽古は失敗した最初のものではなく、明日の稽古にしようというのだ。こうしてラフマノフは教室から出て行った。
しかし、この失敗談はまだ終わらず、別の「炎上」が私を待ち受けていた。ゴヴォルコフにたきつけられた同級生たちにボロカスに言われたのだ。この「炎上」は最初のものよりも厳しかった。私は取りやめになった今日の稽古をこれからも忘れないだろう。
私は早めに眠る準備をした。今日の大打撃と昨日の落胆のあとでは役作りをするのは怖かったからだ。しかし、板チョコが私の目に入った。私はこれをクリームバターと混ぜて塗ってみようと思い立った。褐色のペーストが出来た。顔に伸ばすと悪くない出来で、そのペーストは私をムーア人に変えた。浅黒い肌とのコントラストで歯がさらに白く見えた。鏡の前に座って、私はしばらくその輝きに見とれ、その歯のむき出し方や目の動かし方を勉強した。
化粧についてもっと理解し、判断したくなってコスチュームが欲しくなったが、いざ着てみると演じたくなった。新しい発見はなく、昨日やったことを繰り返したが、それはもう刺激を失っていた。そのかわり、私のオセローの外見がどのようになるのか見ることができた。これは重要なことだ。
3 19XX年X月X日(3日目)
今日は最初の稽古だ、私は開始のだいぶ前に着いた。ラフマノフは私たちに自分で部屋をセッティングし、家具を配置するよう指示した。幸いシュストフは外見的なことには関心がなかったので、私の要求にすべて賛成してくれた。家具のなかで自分の部屋と同じように位置を把握するためにも、私にはその配置は非常に重要だった。それなしではインスピレーションが呼び覚ませないのだ。ところが望んだ結果には至らなかった。私はとにかく自分の部屋にいるのだと信じ込もうとしたが、私それに納得できず、ただ演技の邪魔になっただけだった。
シュストフはすでに台本をすべて暗記していたが、私はメモをした役の台詞を読むか、覚えている意味に近いことを自分の言葉で伝えるしかなかった。驚いたことに、テクストは私を邪魔し、助けとはならず、テクストなしで済ますか、半分ほどに削ってしまいたかった。役の台詞だけでなく、私にとって他人である作者の考えや行動への指示が、家でエチュードの最中には楽しめた自由を制限した。
さらに不快だったのは、自分の声が聞こえないことだ。さらに、家での稽古で作り上げたミザンセーヌもイメージも、シェイクスピアの戯曲と混ざり合わないことが明らかになった。例えば、激しく歯をむき出しにすることや、目をキョロキョロさせること、私を役へと導いた「虎のような」身のこなしを、比較的落ち着いた初めの頃のイアーゴとオセローの場面にどうやって入れ込むのか。
しかし、これら野蛮人の演技のやり方や自分で作ったミザンセーヌを捨てることは、代わりになるものを一切持っていないので出来なかった。私は役のテクストを読み、野蛮人を演じたが、お互いに無関係でバラバラだった。言葉は演技を邪魔し、演技は言葉を邪魔した。全体的な不調和は無様だった。
(帰宅後―訳者)
家での稽古で私は新しいものを再び何も見つけられず古いものを繰り返したが、それは私をもう満足させてくれなかった。まったく同じ感触とやり方を繰り返すとは何なのだろう? その感触とやり方は私と野蛮なムーア人、どちらのものなのだろう? なぜ昨日の演技が今日のに似ていて、今日の演技は明日のに似ているのか? それとも私の想像力が枯渇したのか? 私の記憶のなかには役のための素材はないのか?
私がこんなふうに論じているあいだ、隣の部屋では大家さんがアフタヌーン・ティーの支度をしていた。自分の方へ注意をひかないように、練習を部屋の別の場所に移動し、台詞を出来るだけ静かに言わなければならなくなった。驚いたことに、このなんでもない変化が私を生き生きさせ、エチュードや自分の役に対してなにかしら新しい姿勢を取らせた。
秘密は明らかだ。長いあいだ一つのことにはまり込んで、いつまでも踏みならされた道を繰り返していてはいけないのだ。
決めた。明日の稽古では全体に、ミザンセーヌにも役の解釈にも役へのアプローチにも即興を入れよう。
4 19XX年X月X日(4日目)
今日の稽古では最初のシーンから即興を入れた。歩き回る代わりに、座ってジェスチャーや動き無しで演じることに決め、いつもの野蛮人のしかめ面をやめた。さて、どうだろう? 最初の言葉からこんがらがり、台詞も慣れたイントネーションも忘れ、止まってしまった。すぐに一番初めのやり方に演技やミザンセーヌを戻すはめになった。どうやら身につけた野蛮人の表現のやり方無しでやるのはもう不可能だった。私が表現のやり方を主導しているのではなく、その表現のやり方が私を主導していた。なんだこれは? 隷属状態なのか?
5 19XX年X月X日(5日目)
作業をしている場所にも、稽古に参加している人々にも慣れてきて、全般的な状態は良くなった。さらには、相入れなかったものが重なり始めた。これまで私の野蛮人を表現したやり方はシェイクスピアと溶け合わなかった。最初の頃の稽古では、私が思いついたアフリカ人の特徴的な立ち振る舞いを役に詰め込んだときにはわざとらしさや無理やりを感じたが、今では稽古をしているシーンにどうにか接ぎ木できたようだった。少なくとも激しい作者との不調和を感じることは減った。
6 19XX年X月X日(6日目)
今日の稽古は大舞台。舞台袖は奇跡的で興奮するような雰囲気だと思っていた。どうしたことだろう? 期待していた輝くフットライトの明かりや喧騒、雑然とした舞台装置のかわりにあったのは、薄闇、静寂、無人だった。巨大な舞台はオープンで、空っぽだった。フットライトのそばに未来風の装飾で縁取られた数脚のウィーン風の椅子があり、右側には作業スタンドが置かれ、3つの電灯が点いていた。
ちょうど私が舞台上に上がると、目の前に舞台の枠の巨大な穴が広がった。その向こうは果てしなく深い黒い空間にみえた。幕が開いて空っぽで無人の客席を舞台上から見たのは初めてだった。そのどこか、かなり遠くに思えたが、シェードの下に電灯が灯っていた。それはテーブルの上に置かれている白い紙を照らしていた。誰かの手が「どんなミスも残らず」書き付けてやるぞと準備をしていた……まるで自分のすべてがその空間に溶けていくようだった。
「始めていいよ!」と誰かが声をあげた。ウィーン風の椅子で囲まれた想像上のオセローの部屋に入り、自分の場所に座るように指示された。私は座ったが、自分のミザンセーヌで座ることになっている椅子ではなかった。作家自身だって部屋の見取り図を知るはずがない。どの椅子が何を表現しているのか、他の人に説明しなければならなかった。長いあいだ椅子に囲まれた小さめの空間にうまく入り込めず、しばらく周りで起きていることに注意を集中させることもできなかった。私は自分の隣に立っているシュストフを見ようとするのも難しかった。注意は観客席や舞台の隣の部屋にある工房に引きつけられた。そこでは私たちの稽古などものともせず自分たちの生活を営んでいた。人々は歩き回り、何か物を運び、ノコギリを引き、ハンマーを叩き、言い争っていた。
こうした状況にもかかわらず、私は自動的に話し、行動し続けた。もし長時間の家での練習で野蛮人の演技のやり方や台詞、イントネーションを叩き込んでいなかったら、最初の頃の言葉で止まってしまっただろう。ところが、結局のところ台詞詰まりは起きた。悪いのはあのプロンプターだ。この「ジェントルマン」がどうしようもない腹黒い男で、役者の味方ではないことがわかった。思うに素晴らしいプロンプターとは、一晩中黙っていることができて、俳優の記憶から台詞が突然抜け落ちた危機的状況のときに、その台詞だけを言うことができるものだ。しかし、私たちのプロンプターは常に休みなくヒソヒソ言っていて、酷く邪魔だったのだ。まるで耳を通って心にまで入り込んでくるほど過剰に熱心なお手伝いにどうしたらいいか、どう逃げたらいいのかもわからなかった。最終的に彼は勝利した。私は混乱し止まってしまい、邪魔をしないでくれとお願いしたのだった。
7 19XX年X月X日(7日目)
さぁ舞台で2回目の稽古だ。私は早朝から劇場に入り、楽屋で一人きりでではなく、みんながいる舞台で準備をすることに決めた。そこは仕事であふれていた。私たちの稽古用の装置や小道具がセットされていた。私は準備を始めた。
混乱に支配された状態で、自宅での練習の時間中の慣れた居心地の良さを探そうとすることは無意味なことだった。まず周囲の私にとって新しい環境を自分のものにする必要があった。そのため私は舞台の前方部分に近づき、舞台の枠の不気味な黒い穴に慣れ、観客席へと引き寄せる力から自由になれるように見始めた。しかし、その空間を気にしないように努力すればするほどそれについて考えてしまい、不吉な暗闇、枠の向こうへさらに強く引き付けられてしまった。このとき私の周りを歩いていた作業員がクギを落としてばらまいた。私はそれを拾い上げるのを手伝い始めた。すると突然、気分が良くなり、大劇場にいるのが快適にさえなった。しかしクギが集め終わり、人柄の良い話し相手が去ると、再びあの空間に打ち付けられ、またそのなかに溶けていき始めるかのようだった。ちょうど素晴らしいと感じたばかりなのに! とはいえ、クギを集めているとき私は舞台の枠の黒い穴について考えていなかったのだからそれも理解できる。私は急いで舞台から降り、一階席に座った。
他の人たちの場面の稽古が始まった。しかし私はドキドキしながら順番を待っていて、舞台上で繰り広げられていることを見ていなかった。
うんざりするような待ち時間にも良い面はある。それは、早く演じて、そして恐れていたことを終わらせたいという限界にまで人を到達させることだ。今日私はそんな状態を体感した。
ついに私たちの場面の順番になり舞台に出て行くと、そこにはすでに装置があり、室内のセットや舞台袖、建て増しなどの壁が集められていた。いくつかの部分は裏返しで、家具も同じく寄せ集めだった。とはいえ舞台の全体的な見栄えは照明が入ると心地よく見え、私たちのために準備されたオセローの部屋にいると快適だった。この舞台装置のなかで想像力を強く緊張させれば、きっと自分の部屋を思い出させるような何かを見つけられるだろう。
幕が上がって観客席がひらけた途端、私は丸ごと、完全にその力に支配されてしまった。これにより私のなかに新しい、自分にとって思いがけない感触が生まれた。どういうことかというと、舞台装置と天井が背後にある広い奥舞台から、上空にある巨大な黒い空間が脇にある舞台に隣接した部屋や舞台装置の倉庫から俳優を遮断してくれるのだ。こうした孤立はもちろん心地よかった。しかし、悪いことにこうした状況では室内のセットが役者の注意をすべて観客席へ反射させる反射板の役割を獲得してしまった。貝殻状の音楽用の舞台がオーケストラの音を聴衆の方へ跳ね返すように。もう一つの新しいことは、不安から見ている人たちを面白がらせようという欲求、退屈させたら大変だという思いが生まれたことだ。これは私をイライラさせ、行動したり話したりすることの咀嚼を邪魔した。そのうえ、何度も口にしたテクストの発音や慣れた動きが思考や感覚より先に行ってしまった。慌ただしさが生まれ、早口になった。この慌ただしさは行動やジェスチャーにも伝染した。私は飛ぶようにテクストを語ったために息苦しくなり、テンポも変えることができなかった。お気に入りの演じる場面でさえ一瞬で、まるで列車の走行中に見える電柱のようだった。わずかな台詞詰まりという大惨事は避けられなかった。何度となく懇願するように視線をプロンプターの方に向けたが、彼は何をするわけでもなく、腕時計のネジを巻いていた。これが以前の出来事にたいする復讐であることに疑問の余地はなかった。
8 19XX年X月X日 (8日目)
化粧と衣装のことが心配になったので、全体稽古のためにいつもより早く劇場にやってきた。私はきれいな楽屋を与えられ、博物館にあるような東洋風の『シェイロック(ヴェニスの商人)』に出てくるモロッコの王子のガウンが準備してあった。これだけあっては上手く演じなければ。いくつかのカツラや付け毛、ありとあらゆる化粧品が準備された化粧台のイスに座った。
何から始めよう? 褐色のブラシを一つ手に取った。しかしそれは固まっていて小さな層を塗ろうとしても難しく、どうやっても皮膚には付かない。シェード用のブラシに変えてみた。結果は同じだった。指に塗料を塗り、それを皮膚にのばし始めた。今度はわずかに塗ることに成功した。同じように別の色でも実験を繰り返した。だが水色の塗料はムーア人の化粧にはいらないようだった。頬に下地を塗り、小さな髪の房を貼り付けようと試した。下地はヒリヒリしみて、髪は逆立ってしまった……私はカツラを二つ三つ試着したが、どちらが前でどちらが後ろなのかすぐにわからなかった。化粧をしていない顔では三つのカツラはどれも「カツラであること」がバレバレだった。苦労して顔に付けた少しの塗料を落としたくなった。しかし、どうやって落とすんだ?
ちょうどこのとき楽屋にメガネをかけ、突き出た口ひげと長い三角ひげ(アノニマスの仮面みたいなヒゲ―訳者)の白衣を着た背が高く非常に痩せた男が入ってきた。この「ドン・キホーテ」はからだを半分に折ると(お辞儀―訳者)、おしゃべりすることもなく私の顔を「加工」し始めた。彼はさっとワセリンを取ると、私が塗った化粧をすべて落とし、前もってブラシに油脂を付けてから再び塗料を塗り始めた。油のついた肌に塗料は簡単にまっすぐのった。それから「ドン・キホーテ」は顔をムーア人になるのに必要な日に焼けた浅黒いトーンに染めてくれた。しかし、以前のチョコレートで作った方が暗い色だったので残念だった。あのときの方が目のキョロキョロする動きや歯の輝きが強かったからだ。
化粧が終わり、私は衣装を着て鏡で自分の姿を見てみると、「ドン・キホーテ」の技術に本当に驚き、自分の姿が気に入った。体の角ばりはガウンのひだの下に消え、自分で作り上げた野蛮人の険しい顔つきも全体的な見た目にとてもピッタリだった。
シュストフや他の学生たちが楽屋に立ち寄ると、彼らも私の外見にビックリし、嫉妬など微塵もなく声をそろえて褒めてくれた。これは私を元気づけ、以前の自信を回復させてくれた。舞台で私を驚かせたのは見慣れぬ家具の配置だった。ソファーの一つは不自然に壁から離れたほぼ舞台の中央に、イスはプロンプターボックスの方に目一杯近づけられ、前舞台の一番見える場所にまるで見せるために置かれているかのようだった。興奮で私は舞台上をあちこち歩き回り、分刻みで衣装の裾やヤタガン(短剣―訳者)を家具や装置のカドにひっかけた。しかし、これも機械的に役の言葉をしゃべることや立ち止まらずに歩くことの邪魔にはならなかった。どうにかこうにかシーンを最後までできそうに思えた。しかし、役のクライマックスの瞬間に近づくと、頭のなかに突然「今、止まってしまう」という考えが顔を出した。私をパニックが襲い、黙りこみ、目の前が真っ白になった……どうやってもう一度オートマチックな状態に戻り、今回危機的状況から救われたのか自分ではわからない。
このあと私は自分に愛想が尽きた。すぐにやめて、化粧を落とし、劇場から逃げ出そうという考えが私を支配した。
そして、こうして家にいる。しかし、今私にとってもっとも恐ろしい仲間がいることに気が付いた。それは自分自身だ。心の底から耐えがたくいまいましかった。どこかにお邪魔して気晴らしをしたかったが行かなかった。もうみんなが私の汚名を知り、私を指でさしてくるように思えたからだ。
幸運なことに敬愛する心優しいプシチンがやってきた。彼は自分のサリエリの演技について、観客だった私の考えを知りたいと言った。しかし私は舞台の袖から演技を見ていたものの、自分自身の演技への興奮と期待で舞台で行われていることが何も見えなかったので彼に何も言えなかった。自分については何も質問しなかった。残った自分への信頼にとどめをさすような批評が怖かった。
プシチンはとても素晴らしくシェイクスピアの戯曲やオセローの役について語った。しかし、彼が提示した役への要求は私には答えられないものだった。デズデモーナにはその美しい仮面の下にひどい悪徳が息づいていると信じ込んだムーア人の苦々しさ、驚き、失望について彼はとても素晴らしく語った。このためオセローの目に彼女がより恐ろしく映るのだと。
友人が帰ったあとで私はプシチンの解釈による心境で役のいくつかの場面にアプローチを試してみた。すると私はムーア人がかわいそうになり涙を流した。
9 19XX年X月X日 (9日目)
今日は芝居を見せる日だ。どうやって劇場に行くか、どうやって化粧台の前に座るか、どうやって「ドン・キホーテ」が現れてからだを半分に折るか、すべて前もってわかっている。しかし、私が化粧を気に入り、演技したくなったとしても、どうにもならないことは同じだろう。私のなかにすべてに対する無関心という感覚があった。ところがこの状況が続いたのは自分の楽屋に入る直前までだった。その瞬間心臓は高鳴り、息をするのも難しくなった。吐き気とひどい倦怠を感じた。病気になったのだと私には思われた。それも結構だ。病気なら最初の芝居の失敗を正当化できるだろう。
とにもかくにも舞台上のいつもと違う厳粛な静寂と秩序が私を不安にさせた。舞台袖の暗闇から出ていったときも、フットライト、照明、電灯のいっぱいの光が私を茫然とさせ、目がくらんだ。明かりはあまりに明るく、光の幕を私と観客席のあいだに作り出した。私は群衆から隔離されたように感じ、自由に息ができるようになった。しかし目はすぐにフットライトに慣れ、観客席の暗黒がさらに恐ろしさを増し、観衆へひきよせる力がさらに強くなった。私には劇場は観客で満席で、1000の目とオペラグラスが私一人の方を向いているように見えた。彼らはまるで犠牲者を刺し貫こうとしているかのようだった。自分がこの1000人の群衆の奴隷であるかのように感じ、卑屈で無秩序で、あらゆる妥協に準備が出来ている状態になった。私は全力を尽くし、群衆にへつらい、自分が持っているものや、与えられるものを群衆に与えたくなった。しかし今までないほどに中身はからっぽだった。
過度の熱意を自分のなかから絞り出し、不可能なことを実行しようとするへの無力感から身体じゅうに痙攣に達するほどの緊張が生じ、顔、腕、全身が動きや歩行を麻痺させた。すべての力がこの無意味で、非生産的な緊張に使い果たされてしまった。麻痺した身体や感覚を叫びに達するような声によって救わざるをえなかった。しかし、ここでも余計な緊張が自分の仕事をした。喉はカラカラになり、息は詰まり、声色は限界の高さまで高音になり調整はもうできなかった。結果として、私はガラガラ声になった。
外面的な行動や演技を強調せざるをえなくなってしまった。もう腕や足、長台詞を抑えられる状態になく、それが全体的な緊張を増大させた。私は自分が発するどの言葉も、子分が行うどのジェスチャーも恥ずかしくなり、その場で自分で批評し、顔が真っ赤になり、手や足を固くし、全力でソファーの背もたれに自分を押し込んだ。よるべなさと混乱で私は突然敵意にとらわれた。自分では自らに対してか観客に対してか、誰に対してかわからなかった。このせいで私は数秒のあいだ周囲のすべてのことから独立していると感じ、抑えきれぬほど大胆になった。有名なフレーズ、「血だ。イアーゴ、血だ!」が意志とは無関係に自分の中から吐き出された。これは逆上した受難者の叫びだった。どうやってこれが飛び出したのか、自分ではわからなかった。おそらく、私はこの言葉のなかに裏切られた男の侮辱された心を感じ、心の底から彼に憐れんだのだろう。このときのオセローの解釈は、以前プシチンが作り上げたもので、それが記憶のなかに克明に蘇り、感覚を刺激したのだ。
私には観客席に耳をそばだてる瞬間があり、まるで群衆のあいだに高い木々の梢を風が吹いた葉擦れの音がしたように感じた。
この承認を感じた途端、私のなかにどこに向けたらいいのか自分でもわからないエネルギーが湧きだした。それが私を運んでいった。私は最後の場面をどう演じたのか覚えていない。覚えているのはただフットライト、舞台の枠の黒い穴が私の注意から消え、あらゆる不安から解放され、舞台上で私にとって新しい未知の恍惚するような時間が生み出された。舞台上で体感したこの数分間以上に大きな快感を私は知らない。シュストフが私の変貌に驚いたことに気づいた。私は彼に火をつけ、彼もまた大きな熱意とともに演じ始めた。
幕が降り、観客席で拍手が起きた。私の心は軽くなり、嬉しくなった。自分の才能への確信はすぐに強くなった。思い上がりが生まれた。私が勝ち誇って舞台から楽屋に帰るとき、みんなが私に歓喜のまなざしを向けている見ているような気がした。
まるで客演俳優気取りで着飾りもったいぶり、尊大に、ヘタクソに無関心なふりをして休憩時間中に観客席に入っていったことが、今日思い出される。驚いたことに、そこには祝祭的な雰囲気はなく、「本番」の公演で使われるような完全な照明ですらなかった。舞台上で私が数千の群衆に思えたのは、一階席に全部で20人ほどだった。誰のために私は頑張ったのだろう? だがしかし、「今日の公演の観客は少ないのがなんだ。トルツォフ先生、ラフマノフ、私の劇場の選び抜かれた俳優たち、彼らは芸術の専門家なんだ。その人たちが自分に拍手してくれた! 彼らのまばらな拍手は、数千の群衆の拍手喝采にかえがたいものだ」と自分に言い聞かせ、すぐに自分を慰めた。
先生とラフマノフがよく見える一階席の場所を選び、二人が私を呼び寄せ、何か心地よいことを言わないかなと期待して座った。
フットライトの明かりが点く。幕が開いた、と直後に装置に取り付けられていた階段から、まるで飛び降りるかのようにマロレトコワが下りてきた。彼女は床に倒れ、身を震わせ「助けて!」と叫んだ。心を引き裂くような叫びに私は寒気を覚えた。それから彼女は何かを言おうとしたが、あまりに早口で何も理解できなかった。そして突然、台詞を忘れて途中で止まってしまうと、顔を両手で覆って舞台袖に駆け込んだ。舞台袖からは彼女を励ましたり、慰めたりする低い声が聞こえた。幕が降ろされたが、私の耳にはまだ彼女の「助けて!」という響いていた。これぞ才能だ! 才能を感じるためには、登場して言葉一つで十分なのだ。
先生にも激しく電流が走ったように私には思えた。「自分と同じことがマロレトコワにも起きたのだ。「血だ、イアーゴ、血だ!」というフレーズで観客を私が支配したように」と私は推測した。
この数行を書いている今、私は自分の未来を疑っていない。ところが、こうした自信も、私が自分のおかげだと認めた大きな成功など、おそらく存在しなかったのではないかと考えることを妨げなかった。だがそれでも心の奥底のどこかで、自分への確信が勝利のラッパを吹いていた。
前文無料で読めますが、面白かったら500円の寄付が可能です。購入して頂けると、今後の翻訳のモチベが上がります。
(画像はスタニスラフスキーの家にあるオネーギンの間、1922年) https://russiainphoto.ru/exhibitions/383/#18
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