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「枠組み」から歴史を考えるー衣笠太朗『旧ドイツ領全史』感想(part.2)


衣笠太朗『旧ドイツ領全史』(パブリブ、2020年)について、ヨーロッパ史・ロシア史を専攻するメンバーのエッセイを2回に分けてお届けします。第2弾の今回は、本書の扱っているテーマを「枠組み」という視点から考えてみたいと思います。

1.はじめに:なぜ「枠組み」か? 

 どんなことであれ歴史を書くときに重要になってくるのが「枠組み」です。範囲、と言い換えてもいいかもしれません。要するに、時間(何時代か?)と空間(どこの地域か?)の対象をどこまでにするのか、ということです。もしこの2つを設定できなければ、「歴史」を書くうえで必要となることは(少なくとも現在の人間の知性から見れば)無限に膨らみ、処理が出来なくなってしまいます。
 ですから、我々が何らかの「歴史」を語るときには必ず何らかの「枠組み」を、意識しているといないとにかかわらず設定している、ということになります。例えば、今これを書いている人間が自身の研究内容を説明するとすれば、「18世紀(=時間)ロシア帝国(=空間)の宮廷政治と通商外交(=その中での細かい対象)」というような「枠組み」を使うことでしょう。 
 ここで重要になってくるのは、「枠組み」を設定するのは必ず歴史を語ろうとする人間の側であり、対象となる過去の中にはそのような「枠組み」は存在しないか、異なった「枠組み」が存在していた、ということです。つまり、歴史の語りは多かれ少なかれ「自分勝手」な設定に基づいていることになります。そしてこれは、学問としての歴史、すなわち一般に歴史学といわれる営みの中でも同じことです。
 
 だからこそ、ある歴史の語りを検討するときには、それがどのような「枠組み」に基づいているか、を読み取らねばなりません。逆の側から言えば、歴史を語る際には自らの語りがどのような枠組みに基づいているか、ということに自覚的になる必要があります。 
 この語りに際しての「枠組み」をめぐる問題は、歴史を考えるうえで重要であり続けてきました。それは歴史学者にとっても例外ではなく、ここ数十年の歴史学は、それまでの歴史学の語りが参照してきた「枠組み」の偏りや歪みをひたすら問い直してきた、といっても過言ではありません。植民地やマイノリティ、ナショナリズムをめぐる問題、あるいはグローバルヒストリーといった歴史の語りの隆盛は、この流れの中に位置付けられるでしょう。

 最近刊行された衣笠太朗『旧ドイツ領全史』(パブリブ、2020年)もまた、このような流れを参照しつつ、「枠組み」を問い直すことを中心的な問題意識に置いた本であるといえます。今回は、この『旧ドイツ領全史』を読んだ個人的な感想を書いていきたいと思います。

2.空間の「枠組み」を考える:なぜ「旧ドイツ領」か?

 本書が準拠している「枠組み」を考えたときに、まず気になってくるのが、タイトルに冠されている「旧ドイツ領」という用語でしょう。「旧」という言葉が使われている以上、ある時点での「ドイツ」を基準としてそこから「ドイツでなくなった地域」を対象としていることがうかがえます。そして「ドイツ」が国家として現在に通じる領域的な面での形を整えた時代を考えると、本書で使われている「旧ドイツ領」という用語が準拠している「ドイツ」は、1871年のドイツ帝国成立以後、1945年のナチス・ドイツまでの時期を指すのだろう…というのが、本書を開く前の評者の想像でした。
 そして同時に、この「枠組み」の意図するところはなんだろうか、という疑問がわきます。というのも、表紙に書かれている副題からもわかるように、本書は「境界地域」の歴史を見つめることで、「国民史」の在り方を批判的に眺め直すものである、と思われるからです。
 もし「旧ドイツ領」という用語が評者の想像通り近代以降のドイツ国家を基準として設定されたものであるならば、それは「国民史」の主役となった国家体制を前提にすることでしか成立しない、ということになります。そのような「枠組み」を参照して「国民史」をどのように問い直すのか、そして、「国民史」の問い直しという目的に対してなぜこの「枠組み」を想定したのか、というのが、評者が本書を読み解いていくうえで出発点となりました。

3.時間の枠組みを考える:時代をどう記述するのか? 

 次に気になることとして挙がってくるのは、やはり「枠組み」を決めるもう一つの軸となる時間にまつわる問題であると言えるでしょう。「旧ドイツ領」が内包している複雑さは、それぞれの地域が「ドイツ」でなくなる過程によるのと同じくらいには、「ドイツ」として編成されるまでにたどった歴史の経緯に影響されているといえます。そしてこの後者を考えたときに、注目すべき点が出てきます。

 君主制と王朝原理がヨーロッパの支配的な政治秩序であった時代において、ドイツ地域の諸領邦は、ヨーロッパの諸王朝と複雑かつ密接な関係を持っていました。そこには、主に婚姻による血縁と、血縁をベースにした君主の地位の継承が影響しています。
 有名な例でいえば、アン女王の死後、遠い血縁にあたるハノーヴァー選帝侯のゲオルク1世がグレートブリテン王ジョージ1世として即位したハノーヴァー継承が挙げられます。この結果、グレートブリテンとハノーヴァー選帝侯領は同一の君主が統治する2つの領域として、1つの政治体に編成される形となります。グレートブリテンは大陸側との関係性を強め、18世紀を通じてヨーロッパ諸国の外交関係に影響を及ぼしていきます。
 それ以外にもドイツの領邦君主を介した血縁関係とそれが引き起こした政治的影響に関しては多くの例がありますが、紙幅の都合上ここでは割愛します。

 さて、このことを通じて何を言いたいか、というと、君主が政治秩序の重大な要素として機能し、君主の血縁が大きな意味を持った時代においては、国家のかたちの変更という事件についての考え方が、19世紀にヨーロッパにおいて領域主権国家体制が確立して以降とは大きく異なる、ということです。
 先ほど例に挙げたハノーヴァー継承の結果生じたような、1人の人物が複数の国家の君主を兼ねることで、君主位を務める国々が1つの政治的な集合体としてみなされる国家体制のことを「同君連合」といいます。この同君連合のもとにある諸国をつなぎとめているのは、基本的には君主という一個人です。
 そのため、もし君主の死亡やその他の事情により、別の人物へと君主の位が継承される、となったときには同君連合の解体という事態が発生することもあります。これは、それぞれの国家において、君主の資格や求められる在り方、即位の条件がまちまちであるためです。女性君主を認めるかどうか、というのは代表的な君主の継承に関する規定ですが、そのほかにも貴族層が主に有している免税や土地所有に関わる様々な特権をめぐる君主との駆け引き、宗教的な要素など様々な要素が関わってきます。
 特に、継承の候補者が複数いる場合は有力な国家の外交的な思惑によって大きな戦争へとつながる場合もあります。さらにいえば、貴族を中心とする特権身分の力や君主との関係次第では、君主の継承の際に生じるものとは別に、国家の領域的な範囲の組み換えが生じる場合もあります。
 
 このように、君主や貴族、教会といった複数のステイクホルダーたちの駆け引きの中で、主に君主を結節点として政治単位同士の離合集散が繰り返され、ときに政治単位自体の規模の変更が発生する動態的な国家体制の在り方は、「礫岩国家」と呼ばれています。
 礫岩国家においては、国家の領域の可変性は大きく、単純に戦争の勝敗による獲った獲られたではない変化の可能性が存在します。そして国家の領域についても、そのような変化の可能性が前提とされることになります。端的に言えば、「国家」なるものの範囲や秩序付けられ方も、時代や地域によって異なっていたし変化し続けていた、といえるでしょう。
 
 このことは、「境界地域」のある国家体制に対する編入や離脱が大きなテーマとなってくる「旧ドイツ領」の歴史に対して、その動態的な在り方の基底にあったものの変遷はどうであったのか、という疑問を投げかけることにつながります。もし、政治単位同士の離合集散のロジックが異なる時代の歴史的経緯を、「ドイツ国家」に向けて集約してしまうのであれば、それは「旧ドイツ領」が形成される過程の語りの一側面において、「国民史」の語りを焼き直してしまうものといえるでしょう。
 このような「危険」をどう扱い、長い時間にまたがる「旧ドイツ領」の歴史を記述していくのか、そしてそのためにどのような時代の区切り方が採用されるのか、というのが、本書の時間的な「枠組み」をめぐる問いの1つであるように評者には思われました。

4.空間の枠組みについて:装置としての「旧ドイツ領」 

 ここからは実際に本書を読んでみて、ということになります。ここまで評者が前置きとして書いてきた内容を中心に見ていきたいと思います。まず1点目、「旧ドイツ領」という枠組みについての問題です。筆者はさっそく「はじめに」で評者が抱いたような疑問に応答しています。
 それによれば筆者は、本書の内で「国民史という問題性を考慮して、1871年に創設されたドイツ帝国から現代のドイツ連邦共和国に連なる国家群のみを『ドイツ国家』とみな」しています(本書4ページ)。これはつまり、近代以降のドイツ国家に主眼を置いていると解釈できるでしょう。
 また、筆者は「旧ドイツ領」という言葉について、「中立性や客観性の面で問題があるという指摘は免れない」としつつも、あえてこの言葉を採用した理由について「『旧ドイツ領』という枠組みで歴史を語ることに意味があ」り、この枠組みを採用することで「『かつてドイツ国家の領域内に位置していた』という以外に共通点がほとんどな」い諸地域をまとめて紹介し、「『国民史』を境界地域の側から眺めてみ」ようとしていることがわかります(以上いずれも引用は本書5ページより)。
 
 この点を考えると、筆者は近現代の「ドイツ国家」という巨大で強力な「国民史」の「語り手」をあえて参照項として考えているように感じられます。もちろん、そこで念頭に置かれている「語り手」はドイツだけではなくポーランドやチェコスロヴァキア、沿バルト諸国、フランス、ベルギーといったドイツの周辺諸国も含まれているといえますが、それでもやはり、「ドイツ」の比重は非常に大きいように思います。
 これは、近代の「ドイツ国家」をあえて自明に存在するものであるかのように議論の対象にあげたうえで、その内部に含まれる「境界地域」へとスポットを当てることで「ドイツ国家」の構築性を明らかにしようとしている試みと言えるように思います。その点を考えてみると、「旧ドイツ領」という「枠組み」は大きな役割を持つものとして捉えられるようになるでしょう。
 すなわち「旧ドイツ領」は本書の叙述の中で従来の国民史をベースにした「常識」的な通念の基盤として呼び出されつつ、自らがひっくり返されることでその上に載っている「国民史」をも揺るがす、重要な装置となっているといえます。
 
 続いて具体的な内容を見ていきましょう。本書の中で各地域ごとの記述は、いずれも中世あるいはそれ以前から筆を起こして来歴と地域の区分が形成されていく過程を概観したのち、ドイツ帝国成立、第1次世界大戦、戦間期、第2次世界大戦、冷戦期、その後、といったようにドイツ国家やヨーロッパにとって大きな動きがあったタイミングごとに区切ってどのような出来事あるいは運動があったかを詳説しています。
 このように、ある地域の上に時間を積み重ねていくという記述の方法によって、そこを「領土」とした諸国家の営みが並列化され相対化されていきます。これにより、「国民史」とそれと相互に依存する国民国家のレイヤーが土地から引きはがされ、緻密で詳細な記述が可能になっているといえるでしょう。
 すでにpart1でも言及されていることではありますが、「地域」という枠組みもそれを記述する側の都合が反映される面が強く、注意を要するものです。しかし、本書での地域という枠組みは、先ほど言及したように、「国民史」を解体するための装置として要請されている側面が大きいと思われます。我々読者がそのことを念頭において読み進めるのであれば、そこに特段の問題はないと言えるでしょう。
 
 総じて、「地域」を固定し、時間という縦の軸に沿って記述を進めていること、またそれを1つの地域だけでなく、「旧ドイツ領」という枠組みにおいて複数の地域に広げていることは、本書の特徴であり、本書の目的とも深く関わっているように思われます。

5.時間の枠組みについて:地域ごとの「時代区分」

 続いて、もう1つの関心である、「国家」に関する理念や原理が異なる時代をどのようにつないで記述に落とし込んでいるのか、ということについて検討していきたいと思います。本書で扱われている「旧ドイツ領」諸地域にはそれぞれ様々な来歴がありますが、いずれの地域においても、ドイツ帝国成立以前/以後に区切りを置いて各章が構成されています。このことは、「ドイツ国家」についての筆者の定義を参照すれば当然のことではありますが、それ以上の意味をも感じます。

 そう感じる理由には、「旧ドイツ領」成立の過程の歴史が大きく影響しています。各地域の歴史を見ていくと、「旧ドイツ領」諸地域はドイツ帝国成立時にプロイセンに含まれていた、もしくは獲得された領土、と考えることが出来ます。つまり、その来歴には、「ドイツ帝国」以上に「プロイセン」が大きく関わっています。このことを考えると、「プロイセン」の領土となったタイミングをもって、その地域が「ドイツ領」となった、と考えてしまいたくなります。
 しかしながら、それはあくまで「プロイセン領」であり、「ドイツ領」ではない、という姿勢が本書には表されているように思います。ドイツ統一の動きに際しての小ドイツ主義と大ドイツ主義の対立、あるいは「ドイツ帝国」成立以後もその域内に従来のドイツ諸領邦の枠組みが部分的に残り続けたことを考えても、「ドイツ」と「プロイセン」がイコールであるということは難しいし、正確ではありません。

 本書では「ドイツ」に組み込まれるに至った契機や背景において多様な諸地域を、あえて「ドイツ帝国」成立という一律のタイミングで区切ることにより、ともすれば単線的に捉えられてしまいがちな「プロイセン」から「ドイツ帝国」への変容にワンクッションを置いているように見えます。このことは、「旧ドイツ領」諸地域が「ドイツ領」となった、という事実と、プロイセンによるドイツ帝国の成立とドイツの統一という「国民史」の物語の切り離しを可能にしています。
 そしてその上で本書が主に準拠している「ドイツ帝国」の枠組みの成立以前の各地域の来歴の相違を記述することで、その枠組みが偶然につくられたものであることを示唆し、「国民史」の語りを相対化しているといえるでしょう。
 この点を考えると、本書では「近世」や「近代」という大枠の時代区分よりも、記述の対象とした地域に合わせた時間区分を採用しているということができます。そしてそのことにより、評者が事前に考えていたような時代の接続の問題は、地域に固有の時間的な区分によって上書きされて後景に退き、より地域の歴史に即した具体的で鮮明な記述が浮上してきます。

 本書における時間的な「枠組み」の取り扱いもまた、前述の空間的な「枠組み」と同様に、「国民史」の相対化のための装置として大きな機能を果たしていると言えるのではないでしょうか。
 そして本書の「枠組み」の機能は同時に、我々が歴史を語るときにその「枠組み」がどれほど大きな意味を持つのか、ということの例でもあります。何が語られているかだけでなく、どのように語られているか、を問うことは、時に語り手の恣意的な目的に引きずられたものとなる可能性のある歴史記述を読み解き批判しうる視座を得るために必要不可欠なことといえます。

6.おわりに

 さて、ここまで『旧ドイツ領全史』の感想を綴ってきました。最後にこの企画自体の種明かし、とはいってもそれほど大仰なものではありませんが、をしておこうと思います。もともとこの企画はpart1を担当したU.Mが私に一緒に感想を書いて紹介しないか、と持ち掛けてきてくれたことから始まっています。U.Mの専門は中東欧近現代史、私の専門は18世紀ロシアということもあって、この『旧ドイツ領全史』を時間的に前後から挟み撃ちするような形で感想を書いてみたら面白いのではないか、というのがその趣旨でした。
 実際に感想を書いてみて、その趣旨がどこまで文章の内容に表れているかは読者の判断にゆだねるほかはりませんが、少なくともpart1を読んだ限りでは、U.Mが主眼を置いているものと私が主眼を置いているポイントは似ているものの、なぜそこに興味を持ったか、という点が大きく異なるように感じられました。ぜひ読み比べてみていただければ、評者2人にとって冥利に尽きるというほかはありません。(part.2担当:M)


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